昨年の全豪オープンは、このパンデミックで世界が混乱に陥る前の、正常で盛大だった最後のグランドスラム・イベントである。その舞台を最後に、2人の元女王がコートを去った。一人はカロライン・ウォズニアッキ、もう一人はマリア・シャラポワだ。

 ただし、2人の引き際は今思えば対照的だった。ウォズニアッキはその大会で現役生活に幕を下ろすことを1カ月前に発表し、別れを惜しむファンの熱烈な声援を受けながら3回戦まで勝ち進んだ。敗れた直後にはお別れのセレモニーが始まり、彼女のテーマソングともいえる『スイート・キャロライン』が流れる中、コートのスクリーンに数々のメモリアル・シーンが映し出された。涙のオンコート・インタビューはファンの記憶に今も残る。

正式な引退会見や華やかなセレモニーもなかった

 一方、1回戦で世界ランク20位のドナ・ベキッチにストレートで惨敗したシャラポワは、その約1カ月後に突如現役引退を発表した。それも、ファッション誌『Vogue』と『Vanity Fair』の電子版に寄せたエッセイの中で静かにその決意を綴ったのだ。だから私たちの多くは、シャラポワが最後にコートでどうふるまったか、どう去って行ったかを記憶していない。

 コロナ禍で最初にツアー大会の中止が発表されたのは、それからわずか2週間後のこと。そういう時期でなかったなら、正式な引退会見や華やかなセレモニーが催されただろうか。多分、そうはしなかっただろう。シャラポワは以前、こう話したことがある。

「これが私の最後の試合です、と世界中のファンに知らせてコートに立つ必要があるとは思わない。そういう終わり方は私らしくないと思ってきた」

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 2017年に刊行した自伝の中では、テニスツアーを「私の戦場」と表し、「戦場で友達を作ることに関心はない。仲良しになれば、自分の武器を捨てることになる」と綴ったが、引き際の姿もその「戦場」での生き様の延長線上であり、行き着く先だったのだろう。

 自ら選んだ孤立はシャラポワの強さの源だったが、ドーピング違反が発覚したとき、ツアー仲間からシャラポワを少しでも擁護したり、同情したり、心配したりする声がまったく聞こえてこなかったことは、その生き方の代償だったのかもしれない。

ともに女子テニス界を担ったセリーナとは…

 凛とした美しさとたくましさで長年女子テニスの代名詞だったシャラポワは、数々の名シーン、数々の名言を残したはずだが、なぜか今もふと思い出される言葉は、テニスを語ったものではない。最後となる試合の約半年前、ウィンブルドンで世界ランク88位のポーリン・パルメンティエとの1回戦を6-4、6-7(4)、0-5で途中棄権したあとに語った言葉だ。

「子供の頃からずっと家庭を持つことを夢見てきた。両親、特にお母さんと私はとても仲がよかったから、将来はそういう関係を自分の子供と築きたい。子供を生んでからテニスに復帰することは考えられないわ。そういう自分を想像したことは一度もなかった。だから、この夢はもうしばらくおあずけかしら」

 テニスは今も最大の生きがいか、それとも他に何か夢見ていることがあるか――そんな質問に対する答えだった。キャリアを通してグランドスラムでは初めての途中棄権という痛みの中で、表情を崩さず淡々と、しかしいつものように相手の目をしっかりと見てそう語った。

 ママさんプレーヤーとしての現役続行を拒む発言は、その前年、出産後に復帰して1年の間にグランドスラムの決勝に2度進んだセリーナ・ウィリアムズを意識したものだっただろうか。この頃はまだ希望を捨てていなかった完全復活だったが、それから2カ月後、シャラポワは全米オープンでセリーナに1-6、1-6で惨敗し、実はそれが引退を考える引き金になったという。セリーナには、初優勝したウィンブルドンの決勝を含めた初期の対戦の中で2勝したが、そこから19連敗。長年、女子テニスの両翼を担ってきた2人としてはあまりに一方的な対戦成績だった。

2019年の全米オープンで対戦したシャラポワとセリーナ・ウィリアムズ ©Getty Images

 セリーナを筆頭に30代で活躍する選手は少なくないが、32歳での引退は10代半ばのシャラポワが描いていた未来予想図に照らし合わせれば、遅すぎるくらいだったかもしれない。14歳で初来日したとき、父親のユーリさんはこう言っていたものだ。

「女子選手の寿命はせいぜい20歳過ぎまで」

 極端な持論に感じられたが、ちょうどその頃は、10代で5つのグランドスラム・タイトルを獲得して女王に上り詰めたマルチナ・ヒンギスが20歳を過ぎてその栄光を維持できなくなっていた時期だった。また、あとにして思えば、シャラポワが語った夢を父も当然のように思い描いていたのではないだろうか。

18歳で世界女王、グランドスラム、ドーピング発覚

 テニス選手としても、また〈商品〉としても10代後半が勝負と睨んでいた父の目はある意味正しかった。17歳でウィンブルドンを初制覇し、18歳のときに短期間だが世界女王の座につき、19歳では全米オープン、20歳で全豪オープン、とグランドスラム・タイトルを重ねた。苦手のクレーコート克服には時間を要したが、25歳のときに全仏オープンを制して生涯グランドスラムを達成すると、2年後にその全仏オープンを再び制する。トータルで21週世界1位に君臨し、『フォーブス』誌の名物企画である世界のセレブの年収ランキングではウィンブルドン優勝の翌年から11年もの間、女性アスリートのトップの座を守り続けた。

端正な顔立ち、188cmという長身で抜群のスタイルからファッションモデルとしても活躍した(プロツアー参戦2年目の2002年撮影) ©Getty Images

 予想もしなかったほど遠くまで走り続ける中で歯車がどう狂ってしまったのか、2016年にドーピング違反が発覚。15カ月の出場停止を経てツアーに戻って来るが、コートの妖精、コートの花というイメージを取り戻すことは不可能だった。それからの3年足らずの間でツアー優勝は一度あったが、グランドスラムには9回出場してベスト8が最高で1回戦負けが4回と、かつての輝きは失われていった。

イギリス人実業家と婚約中

 今やソーシャルメディアを覗き見るくらいしかシャラポワの近況を目にすることはできないが、そこでは苦悩する姿はなく、本来のイメージを損なわないゴージャスでハッピーな日常が切り取られている。昨年の暮れ、そこに一人の男性が無邪気な笑顔のシャラポワとともに登場した。婚約が報じられたイギリス人実業家で、ロイヤルファミリーとも親交が深いというプロフィールはシャラポワの名声にもふさわしい。 

 4月19日はシャラポワの34歳の誕生日。後回しにしてきた夢の行方に関心の目が注がれる。「マリア・シャラポワ」というコンテンツはやはり今も強力だ。

NYコレクションで、アメリカ版『Vogue』の編集長アナ・ウィンターと並ぶシャラポワ ©Getty Images

文=山口奈緒美

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