2020年から2021年(対象:12月〜3月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。スポーツ総合部門の第2位は、こちら!(初公開日 2021年2月28日)。

 人見絹枝が1928年アムステルダム五輪で日本人女性初のメダリストになってから100年近く。男性とくらべると身体面のみならず社会的な境遇においても大きなハンディを抱えながら、女性アスリートたちは、どのように戦ってきたのか振り返る(全2回の2回目/#1から続く)。

「強い女性は男性から敬遠されがち」

 日紡貝塚の女子バレーボールチームで主将を務めた河西昌枝は、結婚する前に、監督の大松博文の紹介で3人と見合いをしたが、相手の「優しさ」が「頼りなさ」に見えてしまい、すべて断ったという。厳しい競技生活を通じて精神的に自立したであろう彼女は、結婚する際にも、互いに依存することのない相手を望んだのかもしれない。

 結果的に河西は良縁に恵まれたわけだが、女性アスリートの第二の人生には、いまなおさまざまな困難と制約がつきまとうのもまた事実である。それというのも、女性が精神的に自立することは、《結果として日本社会の中での「女らしさ」という社会通念的な枠組みからは、はみ出していくことになる》からだ……と説明するのは、元柔道選手で現在はJOC理事を務める山口香(1964〜)である(山口香『残念なメダリスト チャンピオンに学ぶ人生勝利学・失敗学』中公新書ラクレ)。

 山口は、日本社会では強い女性は往々にして男性から敬遠されがちで、それゆえ女性アスリートが結婚や出産を望んでもなかなか相手が見つからないと指摘する。周囲が見合いを世話してくれた前畑秀子や東洋の魔女たちの時代とは違い、恋愛結婚が主流の現在ではまた事情も変わっているだろう。

安藤美姫の「相手は誰なのか」報道

 当の山口は、1988年のソウル五輪の女子柔道(当時は公開競技)52キロ以下級で銅メダルを獲得した翌年に引退したあと、JOCの在外研修制度で英国に留学し、そこで出会った男性とのあいだに子供を儲けた。だが、彼女は悩んだ末に、結婚しないで子供を産み育てる道を選んだ。《私の中では、出産と家庭を持つことはワンセットではなかったのです。長い間柔道に縛られて、今やっとそこから離れたのに、今度は家庭という枠組みに縛られる。それは私にとってすごく困難なことでした》と、山口はその真意を語っている(『婦人公論』2013年11月22日号)。

 しかし、そのことで、メディアでスキャンダラスな扱いをされることもあったという。同様のことは、フィギュアスケートの安藤美姫(1987〜)が2013年にやはり結婚せずに出産したときも繰り返された。このとき、本人が子供の父親は明かさないとの意向を示したにもかかわらず、一部メディアでは相手が誰なのか詮索するような報道が出た。

 折しも安藤は競技活動を休止中で、復帰して翌年のソチ冬季五輪を目指すかどうか注目されていた。それに加えて、日本社会ではシングルマザーに対してまだ理解が十分に進んでいないために、好奇の目で見られてしまったといえる。なお、彼女はこの年12月、五輪出場を目指して全日本選手権に出場するも7位に終わり、現役引退を発表した。

有森裕子は披露宴を中止せざるを得なかった

 五輪の女子種目は1970年代から大幅に増えていき、2012年のロンドン五輪でボクシング女子が採用されたことで、ついに男女とも全競技が実施された。日本の選手でも、とくに80年代以降、女性の活躍がめざましい。当記事の前編であげた橋本聖子や小谷実可子、前出の山口香のほか、マラソンの有森裕子(1966〜)、高橋尚子(1972〜)、野口みずき(1978〜)、柔道の谷亮子(1975〜)、レスリングの吉田沙保里(1982〜)、伊調馨(1984〜)、サッカーのなでしこジャパンなど、国際舞台で活躍する選手・チームが続々と登場した。

 しかし、それにともない、女性アスリートのプライベートな事柄までもが、メディアで興味本位的にとりあげられることが増えた。山口香や安藤美姫だけでなく、有森裕子も1996年のアトランタ五輪で、前回のバルセロナ五輪の銀に続く銅メダルを獲得したあと、1998年に結婚したアメリカ人男性をめぐって騒動に巻き込まれた。

 きっかけは夫の過去の金銭トラブルが報じられたことだ。これについては、有森も結婚前から気になっていただけに、公になって彼が悔い改めるのではないかと、内心ほっとしたという。だが、それに乗じて、彼が同性愛者であることまでが報道されたのには怒りを覚えたと、のちに明かしている(有森裕子『わたし革命』岩波書店)。誰かに迷惑をかける問題ではないのだから、当然だろう。しかし、同性愛に対して偏見もまだ根強くあったこの時代、このことは大きく騒がれ、2人は日本での披露宴を中止せざるをえなかった。

千葉すずバッシングとは何だったのか

 有森が活躍したアトランタ五輪では、競泳の千葉すず(1975〜)が世間のバッシングの標的となった。この大会で日本競泳陣は1つもメダルを得られずに終わった。敗北の責任の所在を問う声が高まるなか、ニュース番組に出演した千葉が「そんなにメダル、メダル言うんだったら、自分で泳いでみればいいんですよ」と発言して、物議を醸す。さらにさかのぼり、彼女が大会を前に「オリンピックを楽しみたい」と言っていたことも、問題視された。

 その後、あらためて「楽しみたい」と言った真意を問われた千葉は、《水泳の合宿というのをご覧になれば分かると思うんですが、本当に辛いものなんです。(中略)オリンピックとなったら、限界まで追い込まないといけないし、もし合宿とかが楽しくなかったら、それはそれは辛いことになるんです》と答えている(千葉すず・生島淳『すず』新潮社)。

「感動をありがとう」に乗ってくれなかった

 これとほぼ同じことを、2018年の平昌冬季五輪の女子カーリングで銅メダルに輝いた日本チーム(ロコ・ソラーレ)キャプテンの本橋麻里(1986〜)が著書で書いている。それによると、勝つためには苦しさをくぐり抜けないといけないからこそ、楽しい瞬間を発見してそれを膨らませていくことが必要なのだという(本橋麻里『0から1をつくる 地元で見つけた、世界での勝ち方』講談社現代新書)。

 いまでは、トップアスリートたちが五輪やワールドカップなどの大きな大会を前に「楽しみたい」と言うことは珍しくない。世間でもおおむね好意的に受け止められている。しかし、アスリートがどうしてそう口にするのか、きちんと理解している人は少ないだろう。

 むしろ、選手たちの言う「楽しむ」と、自分たちが観戦して「楽しむ」ことを混同している人が圧倒的に多いのではないか。

 コラムニストのナンシー関はかつて千葉すずがバッシングされたとき、その理由を、《視聴者(本来はもちろん観戦者であるが)が勝手につくった「感動をありがとう」に着地するはずの物語に乗ってくれなかったからである。感動という快楽を享受というより貪るためにつくった物語に、千葉すずは収まってくれなかったのだ。それで怒ってんだ》と喝破してみせた(『Number』1996年9月12日号)。

 その後、千葉は、2000年のシドニー五輪の代表選考に漏れたことを不服とし、日本水泳連盟にその理由の説明を求めて、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えた。結局、訴えは却下され、五輪出場の道は断たれたものの、同時に水連に対しても彼女への賠償金を命じる裁定が下された。このとき、メディアは一転して千葉を「悲劇のヒロイン」に仕立て、水連との対立を煽ったが、彼女はその物語に乗るのを拒み、裁定が出るとすぐ拠点としていたカナダへ戻って行った。

本橋麻里「五輪に振り回されすぎてはいけない」

 人々が、感動の物語をアスリートに見出し、貪るように消費する風潮はいまだに変わらない。とりわけ女性は男性よりもその対象になりやすい傾向があるように思う。だが、当のアスリートたちには、現役を終えてもなお、それぞれの人生がある。高齢社会にあっては、その後の人生のほうがはるかに長いのだ。そのなかでスポーツは、競技とはまた違う形で生きる糧にもなるはずだ。

 本橋麻里は著書のなかで後輩たちに向けて、《自分の人生を削り、擦り減らすようにカーリングに向かってほしくない》、《むしろ、人生を豊かにするツールとしてカーリングを活用してほしい。五輪だけに向かって燃え尽きてほしくないし、スポーツに、五輪に振り回されすぎるようなことがあってはならない》と呼びかけ、カーリングはあくまで長い人生の一部と位置づけている(本橋、前掲書)。

 本橋は、チーム青森のメンバーとして2006年のトリノ五輪に続き、2010年のバンクーバー五輪に出場したあと、出身地である北海道の北見市常呂町でロコ・ソラーレを結成する。それから平昌五輪でメダルを獲得するまでには、結婚して出産による活動休止を経て復帰し、子育てをしながらチームを率いてきた。母親となったアスリートが冬季五輪でメダルを獲るのは、日本選手では初めてだった。

千葉すず「エンジョイしてます」

 そのような生き方は、カーリングという競技人生が比較的長いスポーツだから可能なのかもしれない。だが、彼女のようなベテランの存在からは、若いアスリートが学ぶところも大きいはずだ。事実、1964年の東京五輪における小野清子もそうした役割を果たしていた。最近でいえば、女子バレーボールの日本代表としてロンドン五輪での銅メダルなどに貢献した荒木絵里香(1984〜)が、結婚・出産後の現在もVリーグで活躍するなど、カーリング以外の競技でも息長く活躍する選手がここへ来て目立ちつつある。

 残念ながら、現役引退後、日本代表やトップリーグの指導者に転身する女性アスリートはまだごく少数である。だが、引退後もなお自分のやってきたスポーツとかかわりを持ち続ける元選手は、昔からけっして少なくはない。前畑秀子は、子供が手を離れた50歳をすぎて、名古屋市が新設したプールで水泳教室を実現させ、後半生は市民の指導に力を注いだ。河西昌枝ら、かつての「東洋の魔女」も、ママさんバレーボールというジャンルを立ち上げ、講習会を通じて主婦たちにバレーの楽しさを伝えた。

 千葉すずもまた、引退後、身障者と健常者が一緒に泳げる水泳教室などの活動をいまなお続けている。さすがにコロナ禍のため、なかなか活動できない状況のようだが、昨年、旧知のスポーツカメラマンである藤田孝夫が彼女に連絡をとり、「コロナでキツいでしょ?」と訊ねたところ、「全然キツくないですよ、エンジョイしてます」との答えが返ってきたという(「NumberWeb」2020年6月15日配信)。この「エンジョイ」は、現役時代の「楽しむ」とはまた別の意味を持つに違いない。

(【前回を読む】「東洋の魔女」生理でも練習させて…当時も賛否両論 日本の女性アスリートは“誰と”戦ってきたか? へ)

文=近藤正高

photograph by AFLO