ブラジル柔道男子代表監督を務める日本人女性の藤井裕子さんと夫・陽樹さんの奮闘を以前配信したが、物語には続きがあった。7歳の長男である清竹君が、なんとブラジルフットボールの名門フラメンゴに日本人として初加入したという。久保建英とのエピソードや初練習の“潜入取材”など、全3回にわたってレポートする(#2、#3はこちら)

「僕の夢? バルセロナに入って、タケフサ(久保建英。レアル・マドリー所属だがスペイン1部ヘタフェに期限付き移籍中)と対戦したい!」

「久保選手」でも「久保君」でもなく、「タケフサ」。一瞬、「そんなことが可能なのか」と思ったが、年齢差は12歳半ほど。不可能ではない。

 自宅の壁という壁が、フットサルのフォーメーション図や飛行機の絵やらで埋まっている。落書きをするのは、「楽しいから」。最近では3歳の妹・麻椰ちゃんまで真似るようになったが、両親は好きにさせている。

 7歳の誕生日プレゼントに電動工具をねだり、それを巧みに操ってこしらえた船や飛行機などの"作品"が、ベランダに所狭しと並ぶ……。

7歳にして“自作の船”を作製©Haruki Fujii

 生まれてからずっと熱帯の太陽に焼かれ続け、顔も手足も真っ黒。足にはいつも一本歯下駄(姿勢が良くなり、身体能力が高まるとされる。ブラジル人はかなり驚くが、意に介さない)。日本からは地球の反対側で、伸び伸びと育った“野生児”だ。

 藤井清竹君。2014年1月22日、リオデジャネイロ生まれ。身長128cm、体重28kgは、同年齢の日本人男子の平均を身長で約7cm、体重で約4kg上回る。ブラジル人の同年齢の男の子と比べても、一回り大きい。

 少し変わった名前は、両親が沖縄を拠点に活動するロックバンド「MONGOL800」の大ファンで、ボーカル上江洌清作(うえず・きよさく)の名をもじって付けた。愛称は「キヨ」で、ブラジル人からもそう呼ばれる。

 両親が日本人なので日本国籍を持つが、ブラジルは出生地主義で国内で生まれたら両親の国籍とは無関係に国籍を与えるので、両方の国籍を持つ。

ブラジル男子柔道監督を務めるお母さん

 そんな清竹君のご両親について、以前の記事でも触れたが――説明しておこう。

 母・裕子さん(38)は、柔道のプロコーチだ。

2019年世界柔道での藤井裕子監督©Naoki Nishimura/AFLO

 愛知県大府市出身で、1982年バルセロナ五輪男子78kg級金メダルの吉田秀彦、2004年アテネ五輪と2008年北京五輪の女子63kg級で2連覇を遂げた谷本歩実ら多くのメダリストを育てた大石道場で5歳のときに柔道を始め、中学、高校では全国大会で上位に入った。広島大学教育学部を卒業後、大学院に進み、現役を引退し、英国のバース大学へ留学。英語を学びながら大学柔道部のコーチを務めた。

 英国柔道女子代表のコーチに抜擢され、2012年ロンドン五輪で12年ぶりのメダルをもたらす。2013年5月、ブラジル柔道男女代表の技術コーチに招聘され、2016年リオ五輪で女子57kg級ラファエラ・シウバの金メダル獲得などに貢献した。リオ五輪後もブラジルで指導を続け、2018年5月、若い外国人女性でありながらブラジル柔道男子代表監督に指名された。

 昨年3月半ば以降、ブラジルは新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大して練習環境の確保に苦労しているが、東京五輪での好成績を目指して海外遠征や国内合宿を繰り返す多忙な日々を送っている。

 父・陽樹さん(34)は、東京都出身。群馬県沼田市の高校サッカー部でFWとして活躍した。高校卒業後、東京の専門学校で2年間、スポーツトレーニングを学んだ後、東海大体育学部に入学。大学を卒業後、欧州旅行中にロンドンで裕子さんと出会う。平塚市の養護学校で教員として働いていたが、2013年初めに裕子さんと結婚。教員を辞職して裕子さんと共にブラジルへ渡り、以後は裕子さんの柔道プロコーチ業を支えるべく、"主夫"として家事、育児の大半を担ってきた。

ブラジルで暮らす藤井一家©Hiroaki Sawada

 フットボール好きは変わらず、リオのアマチュアリーグで活躍。清竹君のフットボール修行の水先案内人にして伴走者である。

フットボール修行が始まったのはゼロ歳

 その修行は、清竹君がゼロ歳のときに始まった。

 裕子さんは、清竹君の出産から4カ月後、コーチの職務に復帰。母乳で育てることにこだわり、リオ市内での練習には常に清竹君を帯同した。陽樹さんが世話をして、練習の合間に裕子さんが授乳。陽樹さんは練習場に小さなボールを持ち込み、清竹君とボールで遊んだ。

 ブラジル人は、子供が大好きだ。清竹君は練習場のマスコット的存在となり、選手たちは練習の合間に一緒にボールを蹴って遊んでくれた。

 3歳のとき、一家が住むリオ市内のマンションの管理団体が子供のためのフットボール教室を開設。すぐに入った。

「ブラジルではサッカーがうまいと認めてくれる」

 ただし、家では日本語しか使わないから、当然、ポルトガル語はわからない。同じ頃に通い始めた幼稚園でも、先生やクラスメイトとの意思の疎通に苦労した。

 陽樹さんが、当時を振り返る。

「言葉がわからなかったせいか、4歳になると『サッカー教室に行きたくない』と言い出した。無理に行かせても仕方がないので、しばらく練習を休ませました」

 幼稚園でも不安そうで、いつも先生にしがみついて庇護を求めた。しかし、1年ほどたつと言葉がかなり理解できるようになり、「またサッカーの練習に行きたい」。今度はうまく馴染め、どんどん上達した。

「ブラジルでは、サッカーがうまいと周囲が認めてくれる。そのことで自信をつけたようです」(陽樹さん)

 2019年10月、リオ市内のフットサルチームを集めてCFZ(ジーコ・フットボール・センター)で開催された「ジーコ・カップ」にフットボール教室のチームが参加。清竹君は中心選手として活躍した。参加チームの一部には、普段はリオのビッグクラブの下部組織に所属する子が"補強選手"として加わっており、大きな刺激を受けた。

コパ・アメリカ時の久保建英と清竹君©Haruhi Fujii

 また、この年の6月から7月にかけてブラジルで開催されたコパ・アメリカ(南米選手権)に参加した日本代表の試合を観戦し、練習も見学。レアル・マドリー入団が発表されて大きな話題を集めていた久保建英ら日本代表の選手たちと交流する機会があり、一緒に写真を撮ったり握手をしてもらって、久保の大ファンになった。

「4歳の頃は、ブラジル社会への適応に苦しんでいた」

 5歳にしてプロ選手を目指すようになり、以後、フットサルの練習に熱中した。

「4歳の頃は、ブラジル社会への適応に苦しんでいた。傍で見ていて、可哀そうだった。我が子ながら、よく壁を乗り越えてくれたなと……」

 当時を思い出して、陽樹さんは声を詰まらせた。

 昨年の3月中旬以降、ブラジルでは新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大。リオではロックダウンが実施され、幼稚園もフットサル教室も数カ月間、閉鎖された。

 陽樹さんは、清竹君を近所の空き地などへ連れ出し、2人で練習したり、他の子供たちがいたら一緒にボールを蹴らせた。

 10月、近所のアロウカという強豪フットサルクラブで練習が再開されたと聞き、入団させた。指導するのはプロコーチで、レベルはマンションのフットボール教室よりずっと上だった。

 清竹君のポジションは、左のアラ(MF)。当初は控えだったが、やがてレギュラーに。そしてチームの中心選手となり、チームメイトに的確な指示を送るようになった。その様子を見て、他の保護者は彼のことを「CK」(カピトン・キヨ=キャプテン・キヨ)と呼んだ。

 今年1月から2月にかけて、アロウカはリオ市内の強豪7チームを集めたリーグ戦に参加して2位。清竹君はほぼ全試合に出場して活躍し、1試合に5得点を挙げてリーグから表彰されたこともあった。

本田が所属したボタフォゴからも“誘い”が

 対戦相手のチームの監督がボタフォゴ(リオの4大クラブの1つで、昨年、本田圭佑が所属)の下部組織の指導者でもあり、「ボタフォゴへ来ないか。君ならすぐにレギュラーになれるぞ」と勧誘された。

 しかし、ボタフォゴの練習場は自宅から遠いこともあり、態度を保留した。

 そんな中で2月上旬、アロウカのチームメイトで仲の良いエンゾから、「僕はCTEFFというフットサル・クラブでも練習しているんだけど、そこのコーチから推薦されてフラメンゴのU-7の入団テストを受けるんだ」と聞かされた。

ジーコ、レオナルドらを輩出した名門フラメンゴ

 CTEFFは、フラメンゴの下部組織の指導者2人が立ち上げたクラブで、選手の個人能力を伸ばすことに特化した、いわばフットサルの私塾である。フラメンゴなどリオのビッグクラブの下部組織へ多くの選手を送り込んでいる。

 リオにはフラメンゴ、フルミネンセ、バスコダガマ、ボタフォゴの4大クラブがあるが、人気、実績で他を圧倒するのがフラメンゴだ。

 最大のレジェンドはジーコで、1981年に東京で行なわれたトヨタカップでリバプールを倒してクラブ世界王者となっており、2019年にも南米王者に輝いている。選手育成に定評があり、ジーコの他にも元ブラジル代表のジョルジーニョ、レオナルド(いずれも鹿島アントラーズで活躍)ら名手を輩出。今季、レアル・マドリーで絶好調のブラジル代表FWビニシウス・ジュニオールもこのクラブの出身だ。

フラメンゴ時代のジーコ©REUTERS/AFLO

 ファン総数が4000万人とも言われる世界最大級の超人気クラブで、このクラブの下部組織に入ることはブラジル中のフットボール少年の夢と言っていい。

指導者に高く評価され、入団テストを受けろと

清竹君と親友のエンゾ©Hiroaki Sawada

 エンゾも、その少年の1人だ。父親がフットボールが大好きで、自身もプロ選手を目指したが叶わなかった。そこで息子に自分の夢を託し、幼い頃から二人三脚で鍛えてきた。

 昨年初め、バスコダガマのU-6の入団テストに合格し、練習を積んでいた。ところが、3月中旬に活動が中止されたため、昨年末からアロウカとCTEFFで練習していた。

 しかし、実は一家は揃ってフラメンゴの大ファンで、本当はエンゾをフラメンゴの下部組織に入れたかった。CTEFFのコーチから憧れのクラブの入団テスト参加を勧められ、親子共々、大喜びだった。

 2月中旬、陽樹さんも清竹君をCTEFFへ入れた。ボタフォゴの下部組織に入れる選択肢もあったが、フラメンゴはクラブとして申し分ないし、リオの4大クラブのうちで練習場が家から最も近い。練習の度に車で子供の送り迎えをしなければならない親にとって、負担が少ない。

「今年のフラメンゴの入団テストにはもう間に合わないだろうけど、今後、テストを受ける機会が得られるかもしれない、と考えた」(陽樹さん)

 ところが、予想外のことが起きた。清竹君はCTEFFの指導者に高く評価され、入団して間もなく、エンゾと同様、フラメンゴのU-7の入団テストを受けるよう勧められたのである。

 入団テストは、U-7のフットサルの練習に参加する形で行なわれた。場所は、市南部のガベア地区にあるフラメンゴの本拠地の体育館。選手枠は20人弱で、U-6から昇格した選手が約半分を占め、残り半分が入団テストを受けて合格した選手が占めるという。このときの練習には、20数人が参加していた。

皮肉にも親友2人がポジション争いをすることに

 フットサルは5人制なので、ポジションごとに3〜4人の枠ということになる。清竹君の本来のポジションは左のアラ(MF)だが、すでにこのポジションは埋まっており、フィクソ(CB)のポジションでテストを受けることになった。エンゾもフィクソなので、皮肉にも親友2人が同じポジションの枠を争う格好になった。

ブラジルのフットサル練習の様子©Hiroaki Sawada

 エンゾはすでに何度も練習に参加していたが、なかなか合格を言い渡してもらえず、かといって不合格にもならず、「また次の練習にも来てくれ」と言われ続けていた。

 この日の練習が終わると、清竹君とエンゾはコーチから「また次の練習に参加してくれ」と申し渡された。そして、次の練習に参加したところ、「また次に来て」。これが繰り返された後、3月末、清竹君は6度目の練習参加で「おめでとう!合格だ!」と言われた。

「親の欲目かもしれないが、他の子供と見比べて、清竹は合格しておかしくない実力があると思っていた。ほっとしました」(陽樹さん)

 もちろん、清竹君も大喜びだった。

 ところが、4月に入るとブラジルでは新型コロナウイルスの感染がさらに拡大。リオの町は再びロックダウンに入った。フラメンゴのフットサル部門の練習も2週間中断され、ようやく4月20日、入団テストに合格してから最初の練習が行なわれた。

 この日は、入団テストの最終日でもあった。エンゾにとって、ラストチャンスだった。

<第2回に続く。関連記事からもご覧になれます>

文=沢田啓明

photograph by Haruki Fujii