ブラジル柔道男子代表監督を務める日本人女性の藤井裕子さんと夫・陽樹さんの奮闘を以前配信したが、物語には続きがあった。7歳の長男である清竹君が、なんとブラジルフットボールの名門フラメンゴに日本人として初加入したという。久保建英とのエピソードや初練習の“潜入取材”など、全3回にわたってレポートする(#1、#3はこちら)

 ここで、ブラジルのプロ・フットボールクラブの組織について説明しておこう。

 一定以上の規模のクラブは、ソシオ(会員)が利用する総合スポーツ部門とプロスポーツ部門を持つ。前者では、フットボール、7人制フットボール、フットサル、水泳、柔道、空手、体操、卓球、陸上、バスケット、バレーボール、カポエイラなどの種目をプロコーチの指導を受けながら楽しむことができ、たいてい年齢別、性別に複数のチームがある。後者は、フットボール、フットサル、バスケットボール、バレーボールなどのプロチームとその下部組織(アカデミー)を持つ。

 フットボールの下部組織は、トップチームでプレーする選手を育成するための機関だ。トップチームに直結するカテゴリーとして、通常、U-15、U-17、U-20があり、日々、練習を積みながら年齢別の州レベル、国レベルの大会に参加する。

ネイマールは常に2、3歳上のカテゴリだった

 ただし、優秀な選手は飛び級することが多い。

 例えば、ブラジル代表のエース、ネイマール(パリ・サンジェルマン)はサントスの下部組織で常に年齢より2、3歳上のカテゴリーに在籍し、しかも主力として活躍した。17歳1カ月でトップチームからデビューし、すぐにレギュラー。以後、二度と下部組織には戻らなかった。

2011年のネイマール©Getty Images

 かつてはBチームやU-23といったカテゴリーがあったが、近年はほとんどのクラブが廃止している。それゆえ、20歳までにトップチームへ昇格できなければ、他クラブへ移籍するかプロ選手になることを諦めるかの二択となることが多い。

 U-15の下に、通常、U-6からU-13まで1歳区切りのチームがある。これらのチームでは、当初は主としてフットサルをプレーし、徐々にフットボールの練習を増やしていく。ブラジルでは、フットボール選手を育てるためのベースとしてフットサルが位置づけられているためだ。

サントスの関係者から聞いた若年層の育成法

 以前、サントスの下部組織を取材した際、指導者から「プロ選手になるための理想的な道筋は、5歳前後からストリートでボールを蹴り始め、6歳頃までにフットサルを始め、10歳くらいからフットサルとフットボールを掛け持ちで練習し、14歳からはフットボールに専念すること」と聞いた。その際、このような説明も受けた。

「まず、フットサルでテクニックと状況判断力を徹底的に磨く。フットサルはフットボールよりもコートが小さく、プレーヤーの数も少ないので、ボールに触る機会が多いからね。フットボールとはボールのサイズと重さも異なり、フィジカル・コンタクトがほぼ禁じられている点が違うが、それは10代前半までなら問題ない。しかし、14歳くらいになるとフットサルをやめてフットボールに専念しなければならない。フットボール選手としての完成度を高めていくんだ」

ジーコ、ロナウジーニョ、ネイマールが通った道

 ジーコ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマールらブラジルが生んだスーパースターたちは、ほぼ例外なくこの道筋を辿っている。

フラメンゴ時代のロナウジーニョ©Getty Images

 このように、通常、プロクラブではU-6からトップチームまで壮大なピラミッドが形成されている。そして、雲の上に霞むピラミッドの頂点を目指し、広大なブラジル全土で、膨大な数の少年が日々努力を重ねている。

 ブラジルでクラブがプロ契約を締結できるのは、選手が16歳になってからだ。つまり、16歳未満の選手は皆、アマチュアなのだが、月謝を払う必要はない。無料でプロコーチの指導を受け、クラブのスポーツジムやプールやリハビリ施設などを利用でき、マッサージや故障の治療などを受けることができる。ユニフォームなどの用具も、たいてい無償で提供される。練習場から家が遠い場合は選手寮に住み、そこから中学や高校へ通う。寮費や学費も、クラブが負担してくれるのが普通だ。

 このような様々な特典を享受できるだけに、下部組織に入るには厳しい競争がある。入団テストに合格しなければならないし、一度入団しても常に内外の選手との競争にさらされる。少なくとも年に一度、選手の入れ替えがある。

何度でも敗者復活のチャンス、代表例はカフー

 ただし、ブラジルには800前後という膨大な数のプロクラブがあり、あるクラブの下部組織から退団を余儀なくされても、他のクラブに入団すればプロ選手になる可能性は残されている。20歳くらいまでは、何度でも敗者復活のチャンスがある。

日韓W杯時のセレソンの主将カフーも“敗者復活”から大成した©Sports Graphic Number/JMPA

 元ブラジル代表の名右SBで、2002年ワールドカップで主将として優勝カップを掲げたカフーが、19歳でサンパウロからデビューするまでに10以上のクラブの下部組織やトップチームの入団テストを落ち続けたのは有名な話だ。

 なお、多くのプロクラブがフットサルやフットボールのスクール(「エスコリーニャ」と呼ばれる)を各地でフランチャイズ展開しているが、これは生徒から月謝を取ってプロコーチが指導するもので、下部組織とは異なる。ただし、エスコリーニャでは「優秀な生徒は、プロクラブの下部組織の入団テストを受けるチャンスが与えられる」というのが謳い文句で、これが生徒とその父兄へのセールスポイントとなっている。

 現実問題として、エスコリーニャからプロクラブの下部組織に入り、プロ選手になったケースは多くない。

 その数少ない例外が、2001年から2014年までサンパウロFC、ACミランなどで活躍して2007年の世界最優秀選手に選ばれ、ブラジル代表の一員として2002年ワールドカップで優勝したMFカカである。

裕福な家庭で育ったカカ©Takuya Sugiyama

 彼はブラジルのプロ選手には珍しく裕福な家庭の出身で、一家がサンパウロFCのソシオだった。エスコリーニャでフットサルやフットボールの指導を受けていて、12歳のとき、エスコリーニャからプロ部門の下部組織へ推薦され、U-15の入団テストを受けて合格。サンパウロFCのトップチームを経て、世界トップの選手へと羽ばたいた。

 しかし通常、プロ選手を目指す子供はエスコリーニャには入らず、強豪フットサルクラブで腕を磨いてからプロクラブの下部組織の入団テストに挑戦する。

「1人の有望なブラジル人選手とみなしている」

 清竹君が通うフットサルの私塾CTEFFの指導者マテウスはフラメンゴのU−9の監督でもあるが、清竹君を高く評価している。

フットサル塾の監督でフラメンゴのコーチでもあるマテウスと©Hiroaki Sawada

「キヨの最大の長所は、とても賢くて状況判断が優れていること。ボールを止める、蹴るといった基本技術がしっかりしており、体格も平均以上だ。両親の理解とサポートもあるから、今後、どんどん伸びるんじゃないかな。プロ選手? 今後の努力次第では、十分に可能だと思うよ」

 日本人選手とブラジル人選手の身体的、技術的な違いについて聞くと、やや怪訝な表情を浮かべた。

「ブラジルにはありとあらゆる人種の選手がいるので、日本人だから、欧州系だから、黒人系だから、といったことは一切考えない」と前置きして、「キヨは体のサイズが平均以上で、骨格もしっかりしている。生まれも育ちもブラジルだから言葉の問題はなく、仲間ともよく打ち解けている。テクニック、身体能力も平均レベル以上で、私は彼を一人の将来有望なブラジル人選手とみなしている」という答えだった。

付き添いとして“潜入取材”に成功

 4月20日に清竹君がフラメンゴのU-7の初練習に参加することを陽樹さんから聞き、取材したいという意向を伝えた。

 ただし、昨年の3月中旬以降、ブラジルのほとんどのプロクラブがトップチームから下部組織まであらゆるカテゴリーの取材を受け付けていない。通常なら下部組織の練習を取材するのは全く問題がないはずなのだが、この状況では正面切って取材を申し込むと断わられる可能性がある。

 当面、下部組織の練習では選手の付き添いとして大人1人に限って同行できるという。そこで、陽樹さんの代わりに20日の練習を見学させてもらうことにした。やや大袈裟に言えば、"潜入取材"ということになる。ただし、特段変わったことをするわけではなく、他の選手の父兄と同様、練習を見守るだけだ。

 この日の練習は、午後6時から8時まで。その前に、クラブの事務所で清竹君の選手登録証と陽樹さんの同行者カードを作ってもらう必要があった。

とんでもなく広大なフラメンゴの敷地

 フラメンゴの本拠地は、市南部のガベア地区にある。7万3000平方メートル(東京ドームの1.5倍強)の敷地に7面のテニスコート、5つのプール、3つの体育館、1つのフットボール・スタジアム、スポーツジム、レストラン、医務室、リハビリ施設、更衣室、イベント会場などがあり、約2万4000人の会員が13種類のスポーツを楽しんでいる。

2014年ブラジルW杯ではオランダ代表がフラメンゴの施設をベースキャンプ地とした©Getty Images

 この施設は総合スポーツ部門で、利用するには会員になる必要がある。会員権の相場は2万5000レアル(約50万円)程度で、会員の多くは中流以上の階級に属する。

 一方、プロフットボール部門は、市の南西のバルジェン・グランジ地区に17万平方メートル(東京ドームの3.6倍強)の広さのトレーニングセンターを持つ。天然芝のピッチが5面、ハーフサイズの人工芝のピッチが1面、ゴールキーパー専用の練習ピッチが1面あり、U-15からトップチームまでがここで練習する。敷地内に、下部組織の選手のための寮もある。

あまり似てないジーコ銅像がお出迎え

 ガベア地区のクラブ本拠地の正面入口を入って階段を登ると、クラブ最大の英雄であるジーコの銅像が出迎えてくれる(ただし、あまり似ていない)。右手にクラブの歴史を紹介するミュージアムがあり、左手に各種グッズを販売するオフィシャル・ショップがある。

フラメンゴのクラブ本拠地にあるジーコの銅像の前で©Hiroaki Sawada

 我々は、フロアの裏手にある事務所へ向かった。陽樹さんが申請用紙を提出し、清竹君の選手登録証を作ってもらった。

「ATLETA」(アスリート)と記され、有効期限は2021年4月20日から2022年4月20日までの1年間で、クラブのすべての施設が基本的に無料で利用できる。そして、陽樹さんには「ACOMPANHANTES」(同伴者)のカード。これを提示すれば選手に付き添ってクラブの敷地に入れるが、施設を利用することはできない。

フラメンゴの選手登録証と同伴者カード©Hiroaki Sawada

 ブラジル中のフットボール少年の誰もが憧れる超名門クラブの選手登録証をもらって、清竹君はとても嬉しそうだ。

 陽樹さんがオフィシャル・ショップで清武君用にフラメンゴのユニフォームを選んでいると、エンゾとその友人がやってきた。ショップの中には人工芝の小さなピッチがあり、清竹君たち3人はそこでボールを蹴ってしばらく遊んだ。

 それからいったん外へ出て、駐車していた車の中で清竹君がバナナを食べながらしばらく休憩した。

 いよいよ、フラメンゴでの入団テスト合格後最初の練習が始まる。

<第3回に続く。関連記事からもご覧になれます>

文=沢田啓明

photograph by Takuya Sugiyama/Hiroaki Sawada/Naoya Sanuki