東京五輪の会場となる有明アリーナが、長岡望悠(久光スプリングス)の代表復帰の舞台となった。

 五輪のテスト大会を兼ねて5月1日に行われた中国とのバレーボール国際親善試合は、女子日本代表にとって約1年7カ月ぶりの国際試合。世界ランキング1位の中国にセットカウント0−3で敗れたが、試合後、日本代表の中田久美監督が「今日の試合で一番の収穫」と語ったのが、長岡だった。

 2016年リオデジャネイロ五輪で日本チームの最多得点を挙げたオポジットは、2017年3月に左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、復帰後まもない18年12月に、イタリア・セリエAの試合中に再び同じ部位を損傷。2年近くに及ぶ長いリハビリの末、昨年10月にVリーグに復帰していた。代表では昨夏の紅白戦に短時間出場したが、国際試合の出場は18年10月の世界選手権以来、約2年半ぶりだ。

 1、2セット目は2枚替えで出場し、スパイク、ブロックで得点。第3セットはスタートから入り、トータルで古賀紗理那(NECレッドロケッツ)の17得点に次ぐ10得点を挙げた。

「サウスポーが1枚いるというのは、非常に戦力的に有効だなと感じた」と中田監督は言う。

長岡への評価を口にした中田監督 ©︎REUTERS/AFLO

 長岡の特徴は、サウスポーを活かしたライトからの速い攻撃。直接得点を奪うことはもちろん、速いテンポで決定力のある長岡がライトにいることで、相手ブロックが引き寄せられ、レフトからの攻撃が楽になる効果もある。

「膝が、耐え抜いてくれた」

 試合後、記者会見に臨んだ長岡は、アイシングを施した左膝をいたわるように言った。

 二度目の怪我からの復帰の過程で、長岡は一度、日本代表や東京五輪を視界から遠ざけた。

 一度目の左膝前十字靭帯断裂からの復帰も、1年以上を要し、大変な苦労を伴うものだったが、18年12月の二度目の怪我からの復帰はそれを上回るものだった。思うように状態が上がらず、19年夏に再度手術を行うなど、先の見えない日々が続いた。

「今回はうまくいかないことのほうが多い。1歩進んで2歩下がって、また進むかと思いきやもう一回1歩下がって、みたいなことの繰り返し。今思えば、1回目の時は順調だったんだなーと。今は1回目とはまったく違う怪我、という感覚です。前の怪我の4倍ぐらい大変」と話していた。

 体はもちろん、心もつらかった。リハビリが思うように進まない中、迫ってくる東京五輪への思いを聞かれたり、その舞台に立つことを期待される。それが大きなストレスになっていった。

「周りの期待を余計に重く感じてしまったというか、周りから言われることに対して過剰に感じてしまう部分がありました。みんなは頑張って欲しいと思って言ってくれていることなんですけど、だんだん、それをうまく消化することが難しくなって。みんな、私にそこ(東京五輪)を目指して欲しいという感じで言ってくださったんですけど、その期待に応えなきゃと、いっぱいいっぱいになって、余裕がなくなっていきました。

 もう言わないでーって思っていた時もありましたね(苦笑)。ありがたいことなんですけど、その時は余裕がなくて。完全に、心が折れた時もありました」

長岡が立ち返った“原点”とは

 復帰を諦めて引退が頭をよぎったこともある。それでも、長岡はコートに戻ってきた。“原点”に立ち返ることができたからだ。

2年半ぶりの代表に戻ってきた長岡 ©︎Takahisa Hirano

「いろんなものが覆いかぶさって、本当の、正直な自分の気持ちがわからなくなっていたんです。自分が何を大事にしたいのか、行きたい方向をいつの間にか見失っていた。だから、1回全部ゼロにして、本当は自分はどうしたいのかを考えたら……やっぱりもう一度復帰して、自分が満足できるところまではやろうと思いました。

 自分自身が納得できるようにとか、家族の前でもう少しプレーしたいという気持ちはすごくあったから、その部分で満足できたら、私は十分だなって思ったんです。そうやって自分に素直になれたことで、すごく楽になりました。ここを目指したいという欲よりも、この膝で、新しい膝で、もう一度満足のいくパフォーマンスをするためにチャレンジしていこうと思いました。成長したいという思いは、私のバレー人生でずっと変わらずに、一番大事にしてきたことなので。だから、原点に戻れたような感覚がありました」

 そうして、昨年10月18日にVリーグ復帰を果たした。11月14日のKUROBEアクアフェアリーズ戦では、約4年ぶりにフルセットの試合をスタメンから戦い抜き、54.2%という高いアタック決定率で、チームトップの28得点を奪う活躍を見せた。

 11月末に話を聞いた際、長岡はそのフルセットの試合を振り返り、「体の反応はどうかなと思ったんですけど、膝はそのあと大きな炎症がおきなかったので、『フルセットできるんだねー。すごいすごーい!』と思って」と笑いながら、愛おしそうに左膝をなでた。

 それでも、ジャンプ力や試合勘は戻りきっておらず、左膝をかばって他の場所に負担がかかることもあった。恐怖心も簡単には拭い去れない。

 以前と同じ体ではないため、「負担になるような体の使い方はしちゃいけないので、より繊細にならなきゃいけない」と手探りの部分もあり、「6人の中の歯車の1つとしてちゃんと噛み合いながらも、勢いをもたらさなきゃいけないポジションなんですが、今はまだまだみんなの歯車に入っていけていない。(10のうち)5も、3も行っていないレベル」と話していた。

「やっと今、7割ぐらいまで」

 しかしVリーグ後に代表合宿に参加し、今年4月の記者会見の際には、「今は確実に段階を踏めているなという手応えがある。今までは5割前後という感覚だったんですけど、この合宿に来て、やっと今、7割ぐらいまではきたかな、という感じです」と充実感をにじませていた。

©︎Asami Enomoto

 国際試合復帰の相手となった中国は、実力も高さも世界トップ。長岡の前には身長198cmの世界一のエース、シュ・テイなど、190cmを超える選手たちが立ちはだかった。179cmの長岡にとって、最大限に負荷がかかる相手だ。

 だからこそ、「久しぶりに、こうした高い相手に対して、積み重ねてきたことを出し切った上で、体が耐えきれるのか、どこまで通用するのかを考えていた。体、膝が耐え抜いてくれたということがすごくよかった」と試合後、安堵の表情を浮かべた。

 一時は重荷になった代表や東京五輪に、今は自然体で向き合っている。

「今の自分にできることを精一杯やり抜く中で、チームに貢献できるのであれば、という気持ち。今日こうやって中国と試合をして、膝が耐えてくれて、段階をまた踏めたことはすごく大きなことですし、こういうことを大事にしながら一歩一歩進んで、チームに貢献できるレベルに自分が行けたら、精一杯貢献したいという気持ちでいます」

©︎Takahisa Hirano

 プレーだけでなく、コート外でも、今の長岡はチームの力になれるはずだ。リオ五輪後に歩んできた道は、長岡に精神的なたくましさや視野の広さを与えた。二度の大怪我を乗り越えた経験はもちろん、海外リーグに挑戦した経験も大きな糧になっている。

 2018-19シーズン、長岡は久光を離れ、イタリア・セリエAの強豪イモコに移籍した。一度目の怪我から復帰したばかりの時期で、東京五輪も近づいてくるタイミングだっただけに、悩み抜いての決断だった。

「悩んで悩んで……どうなっても後悔しないほうを、自分がワクワクするほうを、と思って決断しました。一番はやっぱり環境を変えたかった。成長し続けるために、変化を求めている自分がいました」

 だが、イモコに合流して約1カ月半後、試合中に再び左膝前十字靭帯を損傷し、帰国した。イタリアに行ったから怪我をしたというわけではないが、結果的に長期の離脱を余儀なくされ、もしかしたら長岡はイタリア移籍を後悔しているのでは、と勝手な想像をしていた。だからこの言葉を聞いた時、心底驚いた。

「怪我した時に思いました。『この選択しといてよかったー!』って」

 今でも、後悔は「全然ない」と言い切る。それほど濃密でかけがえのない時間だった。

「本当に行ってよかったなって」

 まず長岡が驚いたのは、イモコで出会ったプロ選手たちの想像を超えるタフさだった。バスでの過酷な長時間移動や、国内リーグと欧州チャンピオンズリーグが並行して行われるハードスケジュール。しかも両大会は使用するボールが違うため、ボールの性質の違いにもその都度対応しなければならない。私生活も含め、挙げればきりがないほどあった、長岡が面食らうようなことを、他の選手たちは平然とこなしていた。

「みんな、ちょっとやそっとのことじゃあ惑わされない。『そういうもん』って感じなんだろうなって。『こうじゃなきゃいけない』と思っていたら、応用力がなくなっちゃうなと感じました。最初体調を崩したりもしましたけど、それも自分でなんとかするしかない。もう全部の経験を、あーこういう感じなんだなーって、こう両手を広げて……浴びてましたね(笑)」

 そんな経験があるから、久しぶりに戻ってきた2020-21シーズンのVリーグでは、イレギュラーな出来事もイレギュラーだと感じなくなったという。

「2カ月もなかったけど、それでこんなに学べるんだから、本当に行ってよかったなって。行ってなかったら、一生後悔していたと思います」

 そう言える長岡こそタフだ。

 いろいろな意味で、長岡のバレー人生を変えたイタリア挑戦。そこで得たものが活きる場面はこれからまだまだありそうだ。

文=米虫紀子

photograph by Takahisa Hirano