世界No.1プレーヤーになると期待されたはずのネイマールに、醜聞が続いている。そこでネイマール本人と父親に取材経験のあるブラジル在住ライターが全3回にわたり分析する。(第1回/第3回はこちら)

 ネイマールは、どのようなキャリアを歩んできたのか、そしてどんな人間なのか――。日本のファンにはあまり知られていないであろう事実を紹介しながら、考察してみたい。

 1992年2月5日、父ネイマールと母ナジーネの間に長男として生まれた。フルネームは、ネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール。父親が自分と同じファーストネームを選んだので、名前の最後に「ジュニオール」(英語の「ジュニア」)が付いている。

 生まれたのは、サンパウロ郊外の中都市モジ・ダス・クルーゼス。日系人が多く住む農業と商工業の町だ。父親がプロ選手で、当時、地元のクラブでプレーしていたのである。

 父親は、国内の中小クラブを渡り歩いたアタッカーだった。小柄で、あまりスピードはなかったが、まずまずのテクニックの持ち主だったようだ。1996年、妹のラファエラが誕生。翌97年、父親は現役を引退した。32歳だった。

 ブラジルの中小クラブの選手の給料は低い。父親は10年余り、プロ選手としてプレーしたが、蓄えはほとんどなかった。住む家がなく、一家はサントス郊外に住んでいた父親の父親(ネイマールの祖父)の家の一室に転がり込んだ。父親は、サントスの水道局に職を得た。

13歳のとき、代理人の口聞きでマドリーから……

 ネイマールは、ヨチヨチ歩きの頃から父親にフットボールの手ほどきを受けた。毎日、路上や近所の広場でボールを蹴り、6歳で地元のフットサルチームに入ってテクニックを磨いた。11歳でサントスのフットサルチームに加わり、やがてフットボール部門の下部組織へ。

 小柄でほっそりしていたが、軽やかな身のこなしと華麗なテクニックは群を抜いており、クラブ関係者の間で「ペレの再来」と評判になった。U−13のサンパウロ州選手権で大活躍し、国内有数の敏腕代理人が付いた。

クラシコでのネイマール。マドリーは13歳時からすでに彼に目をつけていたという©Getty Images

 13歳のとき、この代理人の口利きでレアル・マドリーの練習に参加し、紅白戦で得点を量産。レアル・マドリーから100万ドル(約1億1000万円)の"支度金"と相当額の"給料"を提示されたという。欧州では外国人選手は18歳にならないとプロ契約ができないから、グレーな条件である。

 父親と代理人はレアル・マドリーからの"オファー"に舞い上がったが、本人が幼友達と離れて外国に住むのを嫌がった。

 父親は、サントスの幹部と交渉。レアル・マドリーから提示されたのとほぼ同額の"支度金"と"給料"を出すことを条件に、息子をサントスに残留させた。ブラジルでは16歳にならないとプロ契約ができないので、これも“グレー”である。

 そして、13歳でナイキとスポンサー契約を結んだ。ナイキにとって、史上最年少の契約選手だった。

ネイマールの父親が語っていたこととは

 ネイマールの父親は、筆者とのインタビューにこう答えている。

「選手としての私と息子の違い? それは才能だ。息子の才能が自分とは比較にならないほど巨大なのは、幼い頃から気づいていた。しかし、その才能の大きさを本当に理解したのは、レアル・マドリーの練習に参加したときだ。

 世界トップクラブの専門家が高く評価し、まだ13歳なのに驚くような条件を提示して欲しがった。これを見て、『俺の息子は本当にすごいんだ』と思った(笑)。

 息子が14歳のとき、私は仕事を辞め、彼の才能に一家の命運を賭けることにした。すべての練習とゲームに付き添い、 事細かくアドバイスをした。妻には、栄養面で万全のサポートをしてもらった」

17歳でトップチーム、翌年にはセレソンに

 無謀とも思えたこの賭けは、結果として大成功を収めた。彼が、爆発的なスピード、驚異的なテクニック、常識を覆すアイディアと創造性を備え、超絶ドリブラーでありながら優れたストライカーへと成長していったからである。

17歳でサントスとトップチーム契約を結んだ時のネイマール©AFLO

 サントスの下部組織では、常に年齢より上のカテゴリーでプレーし、しかもチームの中心選手だった。2009年3月、17歳1カ月でデビュー。ほどなくレギュラーポジションを獲得し、ブラジルの年代別代表にも選ばれた。

 2010年7月、ブラジル代表の強化試合(対アメリカ代表)に初招集され、いきなりゴールを決めた。以後、クラブでも代表でも絶対的な選手となっていく。13歳のときに彼を取り逃したレアル・マドリー、さらにはバルセロナなど多くの欧州ビッグクラブからオファーが殺到した。

 翌年の2011年、サントスの中心選手としてコパ・リベルタドーレスで優勝。この年と翌年の南米最優秀選手に選ばれた。

私生活では16歳の女性を妊娠させてしまう

 一方、私生活ではごく短期間交際した16歳の女性を妊娠させてしまい、2011年8月、男の子が生まれた。しかし、この女性と結婚する気はなかった。19歳にして未婚の父となったが、子供を認知し、養育費を払うことで女性と合意。子供は母親と一緒に住むが、以後、いつでも子供に会える権利を確保した。

2011年クラブW杯では酒井宏樹とマッチアップ©Takuya Sugyama

 選手としてのキャリアは、至って順調だった。レアル・マドリーとバルセロナが激しい争奪戦を繰り広げた末、2013年5月、バルセロナへ。クラブは、移籍金を5700万ユーロ(約76億円)と発表した。しかし、後になって実際に移籍に要した金額が推定8820万ユーロ(約118億円)だったことが判明し、当時のバルセロナ会長とネイマールの父親の間での不正取引が疑われた。会長は辞任に追い込まれ、その後、別件もあって逮捕されている。

バルサ移籍の密約でサントスから“出禁処分”

 また、ネイマールの父親がすでに移籍の1年半前の時点で将来のバルセロナ移籍を保証する密約を交わし、バルセロナから4000万ユーロ(約54億円)を受け取っていたことが発覚。サントスは、ネイマールと彼の父親に損害賠償を求めた。結果的にサントスの訴えは退けられたが、以後、ネイマール父子はサントスへ出入り禁止となっている。

 バルセロナでは、大エースのリオネル・メッシに対して謙虚に振る舞い、良好な関係を築いた。2014〜15年からの3シーズンは、ウルグアイ代表FWルイス・スアレスと3人で史上最高と評された超強力3トップを形成。「MSN」と呼ばれた。

サッカー史に残る破壊力を誇った「MSNトリオ」©Getty Images

 代表では、2014年に母国で開催されたワールドカップ(W杯)でエースとしてチームを優勝に導くことを期待されたが、準々決勝のコロンビア戦で背中を負傷。ドイツとの準決勝に出場できず、彼を欠いたチームは1−7という歴史的大敗を喫した。

 それでも、バルセロナでは2014〜15年に欧州CL、スペインリーグ、スペイン国王杯の三冠を達成。このシーズンのクラブW杯も制覇した。2015〜16年も、スペインリーグと国王杯の二冠を獲得。万事順調に見えたが、2017年8月、世界のフットボール史上最高となる2億2200万ユーロ(約297億円)の移籍金でパリ・サンジェルマン(以下、PSG)へ移って世界を驚かせた。

PSGへと移籍した2つの理由とは

 移籍した主な理由は、2つありそうだ。まず、幼い頃から「世界一の選手になる」という野望を抱いていたが、「バルセロナでは、クラブ生え抜きのメッシがいる限り、いつまでたっても脇役から抜け出せない」と考えたであろうこと。また、息子の代理人となっていた父親が移籍によって多額のコミッションを得ようとしたことだ。

 こうして、天文学的な額で世界中のどのクラブであろうと払うはずがないと思われていた違約金をPSGが負担することにより、電撃的に移籍。バルセロナの関係者とサポーターを激怒させた。サントスに続き、バルセロナも裏口から出て行ったのである。

 PSG移籍後、当初は好調で得点を量産し、2017年の年間世界最優秀選手の投票で3位に選ばれた。今にして思えば、この頃がネイマールのキャリアの最高到達点だったのではないか。

ロシアW杯で失笑を買ったシミュレーション

 ブラジル代表では、2018年W杯でエースとしての役割を期待された。しかし、2018年2月に負った右足首の故障が完治しておらず、ダイビングやシミュレーションを繰り返して失笑を浴びた。ブラジル代表は、準々決勝でベルギー代表の前に敗れ去った。

ロシアW杯で批判の的となった“転倒”©Getty Images

 その後、PSGではチームメイトらとの軋轢もあって居心地の悪さを感じ、入団からわずか2年後の2019年6月、古巣バルセロナへの復帰を目論んだ。しかし、PSGとの契約では違約金が設定されておらず、クラブが認めなければ他クラブがいくら金を積もうと移籍できない。PSGは頑として手放そうとせず、ネイマールは心ならずも残留することになった。この経緯がメディアで報じられ、サポーターは怒り狂った。

 それでも、黙々とプレーすることで少しずつサポーターの信頼を回復。欧州CLで、2019〜20年は決勝まで、2020〜21年は準決勝まで勝ち進んだ。その後もバルセロナ復帰やレアル・マドリーなどへの移籍の噂が飛び交ったが、今年5月、PSGとの契約を2025年6月末まで延長した。

 つまり、選手としてのネイマールは、多少の紆余曲折はあったものの、世界有数の選手へと成長した。

酒井宏樹への侮辱疑惑など、最近もトラブルが頻発

 一方、ピッチ内外でトラブルが頻発している。

 2013年にサントスからバルセロナへ移籍した際に父親が不正取引を行なった疑惑に始まり、サントス時代、バルセロナ時代の所得隠しと脱税などの容疑でブラジル、スペイン両国で有罪判決を受け、巨額の罰金を科せられた。また、2019年5月にサンパウロ在住のブラジル人女性をパリへ呼び寄せ、この女性から「ホテルで性的な暴行を受けた」と訴えられた(ただし、証拠不十分で無罪となった)。

選手としては評価されるが、人間としては……

 昨年9月には、フランスリーグのマルセイユ戦の終盤、スペイン人CBアルバロ・ゴンサレスの後頭部を殴って退場処分を受けた。試合後、ネイマールは「ゴンサレスから人種差別的な言葉で罵られていた」と糾弾。ところがその後、スペインのラジオ局が「ネイマールは、試合中、マルセイユの日本代表右SB酒井宏樹を『クソったれの中国人』と何度も罵っていた」として、口の動きが明瞭にわかる動画を付けて報道。「人種差別を受けたと言っておきながら、当の本人が別の選手に人種差別行為を行なっていた」と非難された。

PSGのネイマールvsマルセイユの酒井宏樹(c)Getty Images

 昨年末には、新型コロナウイルス感染が爆発的に拡大した母国ブラジルで、150人以上とされる知人、友人を集めた巨大年越しパーティーを開催。メディアと国民から轟々たる非難を浴び、地元の警察から市の条例違反で取り調べを受けた。そして、第1回で記したナイキの性暴行疑惑である。

 選手ネイマールは評価に値するが、人間ネイマールには大きな疑問符が付く――。それが、多くのブラジル国民が抱く思いだろう。

 これから選手として、また人間として、ネイマールはどこへ行くのだろうか。

<第3回に続く。関連記事からもご覧になれます>

文=沢田啓明

photograph by Takuya Sugiyama(L)/Getty Images(C,R)