現地時間6月15日、今年もロイヤルアスコット開催が幕を開けた。

 イギリス、アスコット競馬場を舞台にした5日連続のミーティング。この間に今年は8つのGIレースが行われるが、この開催が注目されるのはなんといってもイギリス王室主催という点。この4月には95歳の誕生日を迎えたエリザベス二世女王も連日、観戦に訪れ、GIレースでは勝ち馬関係者に賜杯を授けるシーンを目に出来る。そんな由緒ある開催がこのロイヤルアスコットなのである。

 この華やかな開催には、過去に日本馬も数頭、挑んでいる。キングズスタンドS(GI/当時GII)で2着したアグネスワールドや、ゴールドC(GI)で果敢にハナを切ったイングランディーレ(9着)、3歳で渡英しフランケルに挑んだグランプリボス(セントジェームズパレスS、8着)などもそうだが、中でもプリンスオブウェールズS(GI)に挑戦した馬達は現地でも注目を浴びた。

 というのも5日間の開催、8つのGIレースの中でも最も賞金が高額で、いわゆる目玉というかメインにあたるのが2日目に行われる芝2000メートルのプリンスオブウェールズSだからだ。

 2019年には当時イギリスに長期滞在中だったディアドラ(栗東・橋田満厩舎)が挑んだが、突然の豪雨による道悪に泣き6着、16年のエイシンヒカリ(栗東・坂口正則厩舎)は1番人気の支持を受けたがこれも6着。そして、更にその1年前の15年、秋の天皇賞馬スピルバーグ(美浦・藤沢和雄厩舎)がこのレースに挑んでいた。

イギリスでのスピルバーグ

「私の下手な英語を聞いてくれるのは馬だけでした」

 お国柄というか土地柄というか、雨天の多いイギリスだが、スピルバーグが挑んだ15年は好天続き。例年より「馬場が固い」と言われる中での開催となった。

 秋の天皇賞の勝ち馬を現地へ連れて行った藤沢調教師は、まず同馬を競馬の聖地とも言われるニューマーケットに滞在させ、調教を積んだ。05年、ヨーク競馬場のインターナショナルS(GI)にゼンノロブロイを挑ませた(2着)時もここで調教を重ねた。イギリスに数ある調教施設の中でもニューマーケットが最もメジャーである事は周知の事実だが、日本のナンバー1トレーナーがそこへ行く事にはまた別の意味があった。後にJRAで1500勝もの勝ち星を記録する男が、まだJRA入りする前に、馬を学ぶために過ごしたのがこのニューマーケットだったのだ。当時を振り返る伯楽は、よく次のような言葉を口にする。

「私の下手な英語を聞いてくれるのは馬だけでした」

調教師として周囲の雑音に屈しなかった

 半ば冗談のようにそう語るが、これはある意味、芯をくった発言でもあるのだろう。日本語などまるで通じないニューマーケットで、藤沢青年は馬と対面し続けた。話しかけながら過ごし続けた。その歳月は実に4年。ただでさえ鋭い感性の持ち主である彼が、4年間も馬と、馬だけと過ごしていたのである。学ぶことが実に多かったであろうことは、容易に察しがつく。

ニューマーケットでの藤沢師

 こうして充実した時間を過ごした後、帰国し、JRA入りをした。1987年に調教師免許を取得。開業後は、様々な改革を行ってきた。ほんの一例として有名なのは「集団調教」や「馬なり調教」と呼ばれる調教法だ。どちらも読んで字のごとく。集団調教は複数頭の馬を同時に馬場へ入れる調教法であり、馬なり調教は一杯に追ったり、鞭で叩いたりすることなく、馬の気に任せて走らせる調教法である。

 これらを最初に始めた頃は「集団で馬場に入れるなんて邪魔だし危険だ」とか「馬なり調教では仕上がらない」など、外野がかまびすしくなったものだ。しかし、そんな雑音に屈することなく、若き藤沢和雄調教師は自分の信念を貫き通した。その結果、厩舎の成績は右肩上がり。ついにはリーディングの座は指定席となり、駿馬の梁山泊とも言える状態になると、多くの厩舎がその方法を真似るようになった。

 現在ではそれらの調教法はスタンダードと言ってよく、直接、間接を問わず多くの厩舎が藤沢厩舎のやり方の影響を受けているといっても過言ではないだろう。

「自分としては“当たり前”の事をやっていただけ」

 しかし、伯楽自身は「何も特別な改革をしてやろうと思った事はない」と言う。

「自分はJRAに入るより前にイギリスへ渡りニューマーケットで過ごしました。だから、向こうのやり方が当たり前だと思っていました。日本流のやり方を知らなかったので、開業後、自分としては“当たり前”の事をやっていただけのつもりでした」

 先に挙げた「集団調教」や「馬なり調教」だけでなく、曳き運動の強化に午後運動の撤廃、飼い葉の改良や寝藁を麦稈に変更するなど、彼が取り入れた仕様は枚挙にいとまがない。それらが“改革”と呼ばれたわけだが、本人に言わせると「全てニューマーケットでは当たり前の事」だったのである。

ニューマーケットに帰ってきた藤沢調教師は

 こうしてニューマーケットに帰ってきた藤沢調教師はスピルバーグをプリンスオブウェールズSに挑ませた。しかし、残念ながら結果は9頭立ての6着。競馬の本場の厚き壁を打ち砕けず、自分を育ててくれたイギリス競馬に恩返しをする事は出来なかった。

「ペースが遅い分、いつもより前の位置での競馬になったけど『最後は馬がチャレンジをしなかった』と騎乗したスミヨンが言っていました。まぁ、イギリスの馬が強いのは分かって来ているわけだし、競馬だから仕方ありません」

スミヨン(左)と藤沢師

 当時、藤沢調教師はさばさばとした口調ながらも悔しそうな表情でそう語った。

「最後のダービー」よりも「馬の将来」を

 さて、ハッピーエンドとはいえないそんな遠征ではあったが、そんな中、日本のトップトレーナーの矜持を感じさせる出来事もあった。

 この遠征で藤沢調教師が現地へ連れて行ったのはスピルバーグだけではなかった。帯同馬としてルルーシュもニューマーケット入り。スピルバーグと一緒に調教されていた。そして、同馬はロイヤルアスコット開催初日のオープニングレースであるクイーンアンS(GI)にエントリーしていた。しかし、レース当日、ルルーシュの姿はアスコット競馬場にはなかった。

スピルバーグ(左)とルルーシュ

「体調が整わなかったので、回避する事にしました」

 藤沢調教師は淡々とそう語った。しかし、わざわざイギリスまで連れて行ったのに、あっさりと回避するのは、心情的には容易ではないと思われる。そう問うと、師は再び口を開いた。

「もちろん使えるなら使いたいですよ。でも、こちらのGIは強敵揃いです。完調でも勝ち負けするのは簡単ではないのに、万全といえない状態で臨んでも、馬がかわいそうなだけです」

 今年の青葉賞で2着となり、日本ダービーの出走権を取得したキングストンボーイを「勝ち負けに食い込むのは難しい」と言い、ダービーに使わなかったのは記憶に新しい。来年の2月には定年で引退となるにもかかわらず「自分にとって最後のダービー」よりも「馬の将来」を優先させたのだ。そんな日本一の調教師の「馬優先主義」という姿勢は、ニューマーケットでは“当たり前”の事なのかもしれない。藤沢調教師が調教師として過ごせる期間は残すところ8カ月半ほどだが、その動向は最後まで目が離せそうにない。

文=平松さとし

photograph by Satoshi Hiramatsu