細かい雨が降ったりやんだり。

 6月19日の夕刻から、相模原ギオンスタジアムで、全日本大学駅伝の関東選考会が行われた。

 今年の11月7日に行われる全日本には、昨年の大会で8位までに入った駒澤大、東海大、明治大、青山学院大、早稲田大、東洋大、帝京大、順天堂大がすでにシード権を獲得している。

 そして今年の選考会の上位7校が本大会へと進出するが、結果は次の通りとなった。

1位 東京国際大学
2位 國學院大學
3位 法政大学
4位 拓殖大学
5位 中央大学
6位 中央学院大学
7位 日本体育大学

2校は「出場常連校」から「シード権確実校」へ

 全体を見て感じたのは、東京国際大と國學院大は大学駅伝界では、ともに「出場常連校」から「シード権確実校」へとランクアップしているということだ。

 東京国際大は、箱根駅伝の2区と3区の区間記録を持つイェゴン・ヴィンセント(3年)は別格として、箱根駅伝の1区を2度走っている丹所健(3年/湘南工大附・神奈川)が最終組で日本人グループを引っ張り、28分39秒60をマークして日本人2位に入った。

 丹所の高校時代の5000mのベストは14分30秒台。「ビフォア厚底時代」の記録なので単純に比較は出来ないが、大学で大きく成長したことを証明した。

東京国際大OBの伊藤達彦は10000mで五輪出場を決めている ©Asami Enomoto

 東京国際大からは卒業生の伊藤達彦(現・Honda)がオリンピック代表に駆け上がったが(伊藤は高校を卒業したら専門学校に進むつもりだったという)、育成力が常連校への原動力になっている。

「今回の予選会をトップ通過できないようじゃ」

 そして、2位の國學院大はいま伸び盛り。2019年の出雲駅伝で優勝、昨年の箱根駅伝では3位に入り、今年入学した1年生は実績十分で、強豪校としての橋頭堡を固めつつある。今回の予選会も、3組目を終えて首位。東京国際大とは1分49秒57の差をつけていたが、エース級が集結する最終第4組で藤木宏太(4年/北海道栄)、島崎慎愛(4年/藤岡中央・群馬)が上位グループに絡めず、総合で2位となった。

藤木宏太

 レース前、前田康弘監督は「今回の予選会をトップ通過できないようじゃ、駅伝では戦えないよね」と学生たちに話しており、学生たちは2位通過にも重たい表情だった。

 実は、5月に行われた関東インカレでは、最終日に行われた5000mを藤木、島崎、中西大翔(3年/金沢龍谷・石川)が棄権し、全日本の予選に注力していた。前田監督は、

「いろいろな考え方があると思いますが、ウチの場合、全日本の予選会に参加する場合は、上期最大のターゲットと捉えて練習計画を組んでいます」

と話し、あえて関東インカレをスキップしてまでも、全日本に備えていた。中西は1組目で1位とはなったが、準備を重ねていただけに、2位通過は満足できる結果ではなかった。

前田監督「どこかに過信があったんでしょうね」

 冷静になって見ると、数年前の國學院大ならば、2位で部員たちは喜んでいたことだろう。しかし、箱根で3位を経験した以上、この結果は納得できるものではなくなった。前田監督はいう。

「上を目指す過程では、避けられないことかもしれませんが、どこかに過信があったんでしょうね。2組目で走ったキャプテンの木付(琳・4年/大分東明)は、ケガ明けなのに、5000mの時点でひとりで仕掛けて自滅してしまい、2組目で16位でした。もうちょっと我慢して、8000mあたりで仕掛けていれば、潰れることはなかったでしょう。そうすれば、チームもトップ通過ですよね。キャプテンであることの気負いがマイナスに働いてしまいました。藤木、島崎のふたりも力を発揮できず、4年生にとっては考えることもあるでしょう。ただ、ここで天狗にならなかったことで、夏合宿でもう一度攻めることが出来ると思います」

 強豪は一夜にしてならず。アップダウンを繰り返しながら、力を蓄えていく。

エース不在の中央大学は鬼門を突破

 一方で、素直に笑顔を見せた学校もある。

 5位通過の中央大学だ。

 ここ数年、中大と全日本の相性は良くなかった。2018年はレース中の棄権者が出て出場ならず、2019年は17秒ほどの差で次点。2020年もコロナ禍で書類選考となり、これもまた出場を逃した。

 4組目を走った三浦拓朗(4年/西脇工・兵庫)は手首にミサンガを巻いていたが、

「去年のキャプテン、池田(勘汰/現・中国電力)さんが『邪気は全部吸ってくれるから』と作ってくれたんです」

と語るほど、全日本予選会は鬼門だった。

 今回の予選会では、日本選手権からオリンピックを見据える吉居大和(2年/仙台育英・宮城)、エースの森凪也(4年/福岡大附大濠・福岡)が出走せず、「飛車角落ち」という状態だったが、ほとんどの選手が上位でレースを進め、「強さ」を身につけつつあることを印象づけた。

 これで全日本は、実に9年ぶりの出場となる。藤原正和監督は、ホッとした表情でこう話した。

「全日本の予選会は、ミスが許されない本当に厳しいレースです。これでやっと重い扉を開けることが出来ましたし、選手たちも吹っ切れたでしょう。実は、この予選会をターゲットに据えて、大学にお願いして、6月上旬に菅平で合宿をしました。この合宿を見て、吉居、森はいなくとも、突破は堅いと思っていました。ここをステップにして、夏にしっかりと走り込み、箱根駅伝予選会、全日本といいレースができればと思います」

立教と慶応は本選出場はならなかったものの

 予選会においては、本戦には手が届かなかった学校にも見るべき点はある。

 東京六大学から参加した法政、慶応と立教のうち、法政は3位通過。慶応と立教は通過ラインからは遠かったものの、1組目から順位を競っていた。

 選手のリクルーティングに関しては、このところ立教の華々しさが目立っているが、慶応にもいい選手が入学している。

 名門・九州学院(熊本)出身で、昨年の高校駅伝で留学生区間である3区で区間15位と健闘した田島公太郎は、最終組で30分19秒72。また、高校2年の時に1500mでインターハイ14位に入った安倍立矩(厚木・神奈川)は30分59秒67で走った。

 3組目の安倍は、1周目で3番手につけ、積極的なレースを見せたが、

「あれ、こんな位置で走るつもりじゃなかった……と気づいたときは遅かったです(笑)」

と反省。聞けば、高校3年の時はコロナ禍でインターハイがなくなり、早々に受験勉強に切り替えて、理工学部に現役合格を果たしたという。

 昨年の箱根駅伝の予選会でも、慶応は少しずつ上向いていた。今回の予選会でも、チームとしてはいい方向に向かっているように思える。

20チーム中16位の立教に「爪痕」を残した選手が

 期待値が高まっている立教は、2018年12月に上野裕一郎監督が就任して、実質の指導は3年目となる。ただし、昨年10月に行われた箱根駅伝予選会では、慶応が19位、立教が28位と苦戦を強いられた。

 今回は20チーム中16位。ただし、「爪痕」(つめあと)を残した選手がいる。3組目で走った服部凱杏(2年/佐久長聖・長野)だ。

服部凱杏(立教大37番)

 服部は高校時代から実績があり、進学先が注目されていた選手だ。日本選手権の1500mにも出場予定だが、この日は序盤から40人から成る集団を先頭で引っ張った。

「自分のペースで気持ちよく走れましたよ。最初から引っ張るつもりはなくて、結果的に前に出る形になっただけですけど」

立教の急激な成長がいつになるか

 途中、1000mのラップが2分40秒台に上がった時があったが、服部は番手を下げたものの、冷静だった。

「もう一度、ペースは落ちてくると思ったので、中団で様子を見てました。そのおかげでラストを上げられました」

 冷静なレース運びは、名門校で磨かれたセンスだろうか。ラスト一周もしっかりと上げてフィニッシュ、タイムは29分22秒88の自己ベストだった。

「上野監督から、今日は組トップか、自己ベストのどちらかを狙っていこうと言われていたので、とりあえず目標はクリアしましたけど、もう少し勝負に絡みたかったですね」

 今後はトラックで記録を狙いながら、10月の箱根予選会に照準を合わせていくという。

 この日走った立教の8人の選手構成は、4年生が1人、2年生が5人、1年生が2人。29分台は3人と、今年度にいきなり箱根の本戦出場は難しいだろうが、徐々にベクトルは上向いている。

 過去、長年の低迷から抜け出して箱根に出場するチームは、急激な成長を見せるもの。その年がいつになるか。

「駒大一強」の声が大きいが…

 取材を終えて、各大学のマイクロバスがある駐車場を歩いていると、運転席に座っていた神奈川大学の大後栄治監督が、窓を開けて声を掛けてくれた(大学長距離界では、自らハンドルを握る監督が多い。一度、合宿地の狭い道を超絶技巧で運転していく東洋大の酒井俊幸監督を見て、たまげたことがある)。

 神奈川大の結果は11位。「7枠あるので今年は狙っていきます」と話していただけに、想定外の結果だったのだろう。

「残念ですね。まだ、脚が出来ていない選手が多かったということです。箱根駅伝の予選会に向けて、もう一度、しっかり作り直さないといけません」

 落胆の色が見えた。雨が降る夜、きっと神奈川大のキャンパス近くにある合宿所まで、バスの中は静かなことだろう。

 全日本大学駅伝の本番は、11月7日。

 今年の勢力図は「駒大一強」の声が各所から聞こえてくるが、夏合宿を経て、この予選会の通過校も、走るのが叶わなかった学校も、どんな成長を見せてくれるだろうか。

 ひと夏で、学生は大きく変わる。

文=生島淳

photograph by Satoshi Wada