2015年の箱根駅伝で、青山学院大学を初優勝に導き「三代目・山の神」と呼ばれたのは神野大地だが、その裏側で選手たちを支え「青学大陸上部の歴代最高主務」と呼ばれた人がいる。プロランナーとなった神野をサポートする高木聖也さんだ。

「箱根駅伝を走りたい」と九州の名門校から青学大に進んだ青年が、その道を諦め“最強マネージャー”として箱根を制覇するまでに迫った(全2回の1回目/#2に続く)。

神野のマネジメントを始めて3年目

 今年2月のびわ湖毎日マラソンで、神野大地は2時間17分56秒で142位に終わった。昨年4月からコーチを務める藤原新氏も「いける」と踏んでいたなかでの、まさかの結果。厳しい現実を突きつけられることになった。

 思った以上に走れなかったことにひどく落ち込む神野に、マネジメントを務める高木聖也さんは、彼の競技人生を考え、正直に思ったことを伝えた。

「今までやってきたことは神野がマラソンで結果を残すためには十分な取り組みではない。まず、そのことを受け入れないといけないんじゃないか。結果が出てないのは才能のせいではないと思うよ」 

 神野は、高木さんの言葉を神妙な面持ちで聞いていたという。

「マネジメントという立場からすると、選手の競技活動や結果に対して踏み込んだ発言をすることに対しては気を遣います」

青山学院大学陸上部の元主務だった高木聖也さん。現在は大学の後輩でプロランナーの神野大地をサポートしている ©Yuki Suenaga

 それは、神野のマネジメントを始めて以来の3年間で最も厳しい言葉だったが、高木さん以外には誰も言えない愛情のこもった激励だった。

神野大地との出会い

 高木さんが神野と出会ったのは、青学大の2年生になった春のことだった。

「黄金世代と呼ばれて、活躍を期待されて入学してきた選手のひとりでした」

 神野以外にも小椋裕介(現ヤクルト)、渡邉心、久保田和真ら優秀な選手が多く入ってきた。彼らは、このあと、青学大を支える主軸になっていく。

 高木さんは、彼らが入学してくる1年前、熊本の駅伝強豪校・九州学院から青学大に進学し、陸上部に入部した。5000mの持ちタイムは14分42秒で、新入部員11人中9番目。トップのタイムは、2009年の世羅高校の都大路優勝メンバーでのちに主将となる藤川拓也(14分15秒・現中国電力)だった。

度重なる怪我「でも、マネージャーになりたくない」

 箱根駅伝出場に向けて、部内の激しい競争に揉まれる高木さんだったが、なかなか思うようには走れなかった。高校1年時は中学時代の3、4倍の練習をこなしても壊れず、そのタフさを評価されていたのに、青学に入ると度重なる怪我に苦しんだ。

「チームの練習を見ていて、自分もこういう練習をこなせれば箱根のメンバーに入れるかもしれないと思って取り組んでいました。でも、高2の時に発症した抜け症は改善しないし、疲労骨折も2年間で3、4回やって……。やればやるほど難しいなっていうのをなんとなく自分でも分かっていたんですけど、その気持ちにずっと抗いながら走っていた」

©Yuki Suenaga

 青学大の陸上部には、2年から3年に進級する時に、選手として継続できるかどうかの基準が設けられている。5000mで14分40秒――。このタイムを切れないと、原晋監督からマネージャーへの転身を告げられるのだ。

「ルールがあるのは知っていましたし、僕がそこの対象に入るのは理解していました。でも、マネージャーになりたくない、なんとかそこから脱したいという気持ちが強かった」

 しかし、青学大の陸上部は走りたいという気持ちだけでいられる場所ではなかった。大学2年の夏、ついに原監督から「マネージャーにならないか」と肩を叩かれた。

「1時間05分30秒を出したら選手として続けさせてください」

 だが、高木さんは、簡単に箱根を諦めるわけにはいかなかった。陸上の名門・九州学院高校に進学することを決めてから、競技人生の最大の目標はずっと「箱根駅伝」だった。地元を離れ、青学に進学したのもそのため。両親や親戚、友人、恩師の期待にも応えたかった。可能性がある限り、選手として挑戦したい――。

 原監督に大学2年の3月、立川で開催される学生ハーフで「1時間05分30秒を出したら選手として続けさせてください」と交渉した。監督は、ラストチャンスを高木さんに与えてくれた。

「地元の友人とかも僕が箱根を目指しているのを知っていて応援してくれていたので、『もう走れない』という報告をするのが嫌だなって。だから、諦めたくなかったですし、マネージャーにもなりたくなかったんです。そうしてチャンスをもらって……。でも、箱根駅伝直前の12月末の学内TTを走った時、左の中足骨が折れてしまった」

 その時点で3月のレースで目標タイムを破るのは不可能になった。病院での検査を終え、松葉杖で原監督の元にいくと開口一番、こう言われた。

「マネージャーとして頑張りなさい」

 高木さんは、素直に「はい」と答えた。もう箱根駅伝を走ることはできない。それでも、不思議と涙することも感情が大きく揺れることもなかった。

「選手としてうまくいかないことが多くて、もう走らないで済むと思うとホッとした気持ちがありました。それでも、箱根を走りたい気持ちもまだ強くありました。なんとか折り合いを付けて覚悟を決めたんですが……。何より家族や恩師の期待に応えられないのがつらかったですね」

最も優秀な学生が任される「主務」に

 複雑な気持ちを抱えつつも、3年生から“マネージャー”として青学大陸上部を支えていくことになった。

「マネージャーをするようになって、自然と選手との距離感は少しずつ変わっていきましたね。指導とまではいかないけど、意見することも増えた。だから仲の良かった選手とちょっと距離が出来ちゃったこともありました(笑)」

 大学の陸上部では、マネージャーもしくは学生コーチで最も優秀な学生が4年生で「主務」を任される。仕事は、練習の準備や試合のエントリー、学校施設の使用許可書の提出などのマネージャー業務に加えて、マネージャー陣の統括、そして主務の最大の仕事でもある「監督と選手との調整役」がある。

 高木さんは、同学年から選ばれ、4年生で青学大陸上部の主務を任された。選手主体でのチーム作りを意識し、原監督にもいろんな提言をしていたという。なかでも、今も青学大陸上部の伝統として受け継がれているのが「青トレ」だ。フィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一監修の体幹とケアトレーニングだが、この時に高木さんたちが積極的に取り入れ、神野らがこなして結果を出すことで定着していった。

「青トレ」©Takashi Shimizu

監督に直談判「優勝を狙うと言ってください」

 高木さんが主務の役割をこなすなかで、一番こだわったのが年間の目標だった。

「僕らの1つ下の代は、スカウティングが良くて黄金世代と言われていたんです。原監督も専門誌のインタビューで『彼らが4年になった時に、優勝を狙います』みたいなことを言っていて。でも、それって僕らの代が抜けているんですよ。それがめちゃくちゃ悔しかった。僕らの代にも強い選手がいたし、『優勝を狙うのは来年じゃなくてもよくない?』と。

 実は監督には、ガチガチに優勝を狙うよりも3位ぐらいを狙う気持ちの余裕をもって運があれば優勝もという考えがあったみたいなんですけど、それでも僕らは3位以上という考えが嫌だった。それで僕と主将の藤川で『僕ら4年生の目標は箱根駅伝優勝でいきたい。3位を狙うのではなく、優勝を狙うと言ってください』と直談判したんです」

 高木さんの中に自分たちの代が優勝できるという確信があったわけではない。むしろ自分たちが調べた他大学との戦力比較からも、中村匠吾、村山謙太らを擁する駒大、大六野秀畝がいる明大や東洋大が強いことは予想していた。「(青学大は)5番手以内に入るというレベルだった」という。

「でも、無謀な目標じゃない。成長次第では、狙える目標だと思っていました」

 高木さんら4年生の熱い想いは、2015年の箱根駅伝で結実する。

優勝を確信した瞬間「マジで優勝か、うそだろって」

 1区の久保田和真が快走して、トップの駒大に1秒差の2位で好スタートを切った。その後もいい流れで襷をつなぎ、4区の田村和希が区間新で区間賞と、トップの駒大に46秒差に迫った。5区は、この激走で「3代目・山の神」と呼ばれることになる神野だった。

「神野は、大崩れしないのが強みでした。2年から2区を任されるなど駅伝の主要区間を任されて安定した結果を残していましたし、普段の取り組みが成長に繋がっていて、こういう取り組みをしていたから強くなっていったんだろうなと見て分かる選手。原さんは『お手本になる選手』と言っていましたけど、本当にそうで、『みんな、神野を見ろよ』という選手でした」

 神野は、軽い体を活かしてスイスイと坂を上っていく。先行する馬場(翔大・駒大)との差を徐々に詰め、10キロ付近でついに追いついた。

「この瞬間に、僕は勝ったなと思いましたね。マジで優勝か、うそだろって感じで……。めちゃくちゃテンションが上がりました」

©AFLO

 高木さんは、神野のすぐ後ろを追う運営管理車に原監督とともに乗っていた。神野が駒大の馬場を抜き去った後、高木さんには原監督が興奮しながらも自らを落ち着かせようとしているのが見えた。

「僕らもですけど、原さんからしたら十何年越しの瞬間じゃないですか。内心はソワソワしているけど、自分のテンションを上げないようにしていたのか、急に車内にいる人に飴を配りだして(笑)。それはすごい面白かったですね」 

 神野は、柏原竜二のタイムを24秒も上回り、区間新で往路優勝。そこから青学大は1度もトップを譲ることなく、復路も制して箱根駅伝初優勝を達成した。

結果的に箱根駅伝は走れなかった。でも…

 今の青学大の「自主性」のベースを作ったのは、高木さんたちの代の努力に他ならない。この時代にチーム内で静かに大きな改革が進み、その流れを原監督も容認していた。そこには高木さんたち4年生への信頼が大きかったことが見て取れる。実際、高木さんたちは原監督と衝突することはほとんどなかった。基本的に主務は監督の立場に寄り、運営をしていかなければならないが、高木さんは、監督が目指す方向と学生が考える方向が一致するように両方にうまく働きかけて調整していった。

「僕が監督の側につこうと思っていたわけじゃないですけど、僕が監督の文句を選手に言い始めたら終わりだなっていうのは感覚として分かっていました。それは控えるようにしていましたし、ミーティングで監督が話をして、最後に主務も発言するんですけど、その時は何をいうべきか、内容と言葉は事前に準備して発言をしていました」

 現役選手としては苦しみ、結果的に箱根駅伝は走れなかった。しかし、主務というチームの一員として箱根駅伝・初優勝という大きなタイトルを勝ち取った。その後、青学大の陸上部は箱根4連覇を達成する。そして、高木さんは「歴代最高の主務」と呼ばれるようになった。

©Yuki Sunenaga

「歴代最高の主務」から大手銀行マンへ

 大きな満足感を得て、高木さんの陸上人生は、大学の卒業とともに終わりを告げた。進んだのは、ドラマ『半沢直樹』を地でいく大手銀行マンの道。だが、社会人3年目が終わろうとしている時、福岡国際マラソンで初めてフルを走った後輩・神野大地から突然のメッセージが届いた。

「聖也さん、プロになりたいので正式な依頼としてサポートしてもらえませんか」

 高木さんは携帯を握りしめた手に力が入ったのを感じた。

「えっ、マジで?」

 いざ本人に真意を聞いてみると、真剣な思いが返ってきたという――。

(【続きを読む】なぜ青学“伝説のマネージャー”は神野大地と五輪を目指した?「箱根のような経験をマラソンでもさせてあげたい」へ)

文=佐藤俊

photograph by Yuki Suenaga