7月26日、ブンデスリーガのビーレフェルトは奥川雅也の完全移籍での加入を正式発表した。奥川は2020−21シーズン、冬の移籍市場でザルツブルクから期限付きでビーレフェルトに加わり、リーグ13試合1得点。1部の舞台で一定の結果を残し、新シーズンへの足掛かりにした。昨年に続くインタビューでは、オーストリアでの葛藤とドイツでの手応え、チームメートとしてプレーした堂安律の印象や日本代表への思いなど移籍決定前に幅広く話を聞いた。

この3カ月は今までで一番キツかった

――今年の冬にドイツ1部で残留争いに巻き込まれていたビーレフェルトに移籍して、最終節で残留を決めました。シーズンを終えたときの心境は?

「頑張って良かったなっていう気持ちと、少しはチームを助けることができたかなっていう安心感。一番走ったシーズンだったので、やり切った感がすごくありました。この3カ月は今までで一番キツかったので、報われたなって」

©Atsushi Iio

――キツかったというのは、残留争いを繰り広げるなかでのメンタル面が、ですか?

「僕は助っ人として来たので、結果を出さなければ、チームメイトから『何しに来てんねん』って思われてしまう。どうしたらチームを勝利に導けるか、ずっと考えていました。(フランク・クラマー)監督も『お前は必ず使う』と言ってくれていたので、その信頼にどう応えるか。なかなか勝てなくてチームの雰囲気が沈みがちになるなかで、どうやって活気づけるか。そんなことばかり考えながらやっていましたね」

――優勝して当たり前のザルツブルクでは、経験できないことですからね。

「ザルツ時代も『自分がやらな』と思っていましたけど、残留争いのチームにやって来て、その責任感がすごく生まれたというか。残留したから言えますけど、いい経験ができたと思います」

――ヨーロッパにわたって6シーズン目。初めてシーズン途中で期限付き移籍を経験しました。決断の背景を教えてください。

「ザルツで出場機会が少なくなってきて、レンタル先を探していたときに、ビーレフェルトが欲しいと言ってくれたんです。かなり運が良かったと思います」

――2部のホルシュタイン・キール(18-19シーズン)でプレーしたときから、ドイツでのプレーに好感触を抱いていましたもんね。

「だから、即答でしたね。早くチャレンジしたくて。(ウーベ・ノイハウス)監督から『ぜひ来てほしい』と言ってもらえたので、いい話が来たなって。残留争いをしていたので、正直、難しいタイミングでの加入になりましたけど。監督から『チームの助けになってくれ』と言われていたので、『結果を残すしかないな』と思っていたところで……」

新監督がザルツのアカデミーで指導していた幸運

――3月にノイハウス監督が解任されてしまった。でも、むしろ新監督になってからのほうが起用されていますよね。

「そうなんです。それもすごく運が良くて」

――なんでもクラマー新監督はザルツブルクにいたそうで。

「ザルツのアカデミーで指導していたんです。僕はちらっと顔を見たことがある程度だったんですけど、向こうは僕のことを知ってくれていて、いきなり先発で起用してくれた。そこからずっとスタメンでしたから。クラマー監督のサッカーはザルツのサッカーと似ているので、周りは戸惑っていたんですけど、僕は理解している。だから、周りに『こうしたほうがいいよ』とか、それこそ(堂安)律にも『このポジションはこう行ったほうがいい。そこを監督は気にして見ているから』みたいな話もしました。監督が代わってから、すごくやりやすくなりましたね」

否定されてきた部分をドイツ1部で評価してもらえた

――ドイツ1部におけるプレーの手応えは、どうでした?

「僕が加入した頃は正直、チームとして機能していなくて。監督もマズいと感じていたのか、ミーティングの回数が多かった。そこで言われていたのが『チームのために走れ』ということ。僕が走れることは監督も知っていて、『(トップ下だけど)ボランチ気味のポジションを取って、前に出て行け、後ろにも下がれ』と指示されて。自分のサッカー人生で一番、ハードワークしたシーズンでした」

――ヨーロッパに来た頃は「守備ができない」と言われていたのに、ザルツブルク時代に鍛えられて、ハードワークは武器になってきた?

「そうです。今まで否定されていた部分をドイツ1部で評価してもらえたのは、大きかったですね」

ビーレフェルトではハードワークで評価されたという©Getty Images

移籍前、ザルツブルクでのもどかしい思い

――それにしてもザルツブルクでの20-21シーズン前半は、どうなってしまうんだろうと。

「そうでしたね、はい(苦笑)」

――前季に9ゴール6アシストをマークして、二桁得点を目標に掲げて臨んだシーズン。9月22日のマッカビ・テルアビブとのチャンピオンズリーグのプレーオフでゴールを決め、幸先の良いスタートを切ったはずでした。ところが、徐々に出番を失ってしまった。

「最初のうちは体も動いていたんですけど、過密日程でケガがなかなか治らなくて。(ジェシー・マーシュ)監督からも『万全じゃないなら、ベンチスタートにする』と言われることが多くなっていって。やらなあかんシーズンやのに、思うようにプレーできなくて、焦りというか、もどかしさがありました」

――ケガはシーズン序盤から抱えていたんですか?

「細かいケガがあって、チャンピオンズリーグの本戦に入る前ぐらいに内転筋を痛めてしまって。それが自分のプレースタイルに影響するくらい大きいケガだったんです。でも、最初はドクターにだけ伝えて、『監督には言わんといてくれ』と」

ゴールを決めたCLバイエルン戦は痛みのピークだった

――勝負のシーズンだから、なんとか試合に出たかった?

「監督からも『お前は必要やから、コンディションを上げてくれ』と言われていて。だからドクターに『ここで離脱するわけにはいかへんから、治療しながら、だましだまし、やらせてほしい』と頼みました。でも、それで通用するほど甘くはなかった。それこそ(11月3日の)チャンピオンズリーグのバイエルン戦は、痛みのピークやったんです」

――ゴールを決めて、シーズンの流れが変わるかなと思っていましたが、むしろ痛みがピークのなかで、なんとか決めたゴールだったんですね。

「痛み止めを飲んで、注射もしながら出場して、結果が出たから余計に『もっとやらな』と思ったんですけど、その直後の代表ウィーク中の練習で足がまったく動かなくなって。そこで初めて、チームから離れてケガと向き合ったんですけど、『今シーズン、ヤバいな』っていう危機感があって。やっぱり焦りが多かったです」

ノイアーの牙城を破ったCLでのゴール©AFLO

痛みに関して、メンタル的なケアと理解があった

――痛みはいつ頃から和らいできたんですか?

「正直、今もあって。慢性的な痛みになっています」

――では、ビーレフェルトでも痛みを抱えながらプレーしていたんですね。

「ただ、ビーレフェルトは『痛かったら練習を抜けていい』と、理解を示してくれた。そうやってメンタル的なケアをしてもらえたので、試合に出続けることができたのかなって思います」

――冬の移籍市場で新天地を求めることを考え始めたのは、いつぐらいからですか?

「12月の頭くらいですかね。監督にも『出られへん状況にあるし、試合に出る機会が欲しいから』と少しずつ話していて」

――新しいチームに移っても、ケガで思うようにプレーできないかもしれないという不安はなかったんですか?

「正直、ありました。この状態で行っても大丈夫なのか、もし使い物にならなかったらシーズンを棒に振ってしまうんじゃないかって。だから賭けでした。ただ、ビーレフェルトの監督は、『足が痛い』と伝えたうえで、『欲しい』と言ってくれた。そんなにも必要としてくれるなら、行きたいなって。『やらな』と思って体のケアもすごくしました。いっぱいいっぱいでしたけど、残留することで報われて、よかったです」

律のフィジカルは、ドイツ人にも全然負けない

――ビーレフェルトでは堂安選手とチームメイトになりました。彼との連係で崩すシーンもありましたが、堂安選手のプレーはどうでした?

「律の一番凄いところは、フィジカルの部分。ドイツ人にも全然負けないんですよ。あそこ(右サイド)であれだけボールをキープしてくれれば、FWや僕は裏に飛び出しやすいし、ワンツーで抜けたりするイメージも湧いてくる。僕と律は毎試合、同サイドで出場していて、監督から信頼されていたと思うし、僕自身、律の存在に助けられたというか。たぶん律もそう思ってくれているんじゃないかな。右サイドから仕掛けることが多かったので、チームの助けになれたと思います」

――オーストリアと違ってドイツには、堂安選手だけでなく日本人選手も多いから刺激になったのでは?

「それこそ律はポジションも近いですし、意識はしますけど、意識するよりも意識されないといけないと思っていて。みんな日本代表の常連だけど、僕は代表に入ってないから、周りからすると『誰?』っていう感じだと思うんです。僕がいいプレーをして、みんなの注目を集めるようにならないといけない。だから、毎試合、得点したり、印象的なプレーをしないといけないっていう思いでやっていましたね」

ビーレフェルトでは堂安律と同僚となった©Getty Images

昨年の日本代表追加招集、合流見送りの“不運”

――日本代表に関して言うと、ザルツブルク時代の11月に日本代表に追加招集されたにもかかわらず、チーム内で新型コロナウイルスのクラスターが起きたため、合流が見送られました。あのときの心境は?

「日本代表のキャンプ地がオーストリアだったので、監督、コーチから『チャンスがあるんじゃないか』と言われていたんです。でも、発表されたら名前がなくて、まだまだ足りないものがあるんだなって。次の日がラピード・ウィーンとアウェイゲームだったので、気持ちを切り替えて練習に励んでいたんです。そうしたら、練習後、コーチから『おめでとう』と言われて。『呼ばれたよ』って。正直、何のことかまったく分からなくて。追加招集されたことが分かっても、切り替えていたので、どう表現していいか分からなかった。でも、一番に思ったのは、今まで頑張ってきて良かったな、っていうこと。代表で自分のプレーをみんなに見せたいな、と思いながら、ウィーンへの遠征に行った覚えがあります」

――そうしたら、クラスターが起きてしまったと。

「あれはすごく運が悪くて。結局、全員、陰性だったんですよ。コロナラボのミスというか、たまたま違う結果が出てしまって。僕も監督とかにめちゃめちゃ抗議しましたし、監督もドクターにめちゃめちゃ抗議してくれて。ヨーロッパの選手たちは代表活動に行けたんですけど」

――日本代表はかなり徹底してコロナ対策を行っていましたから。

「安全第一だから今回は見送ろう、という話になって。めちゃめちゃショックでしたね」

――むしろ、そこからよく切り替えられましたね。

「でも、それこそ会場がオーストリアだったから声が掛かった部分もあったと思うし、ここでガッカリするより、森保(一)監督に見てもらえていたことをポジティブに捉えることができましたね」

拓実くんから「森保さんは雅也のことを見ているぞ」って

――南野拓実選手も、「雅也は今後必ず入ってくる」といったコメントをしていました。

「拓実くんはザルツにいたとき、代表から戻ってくると必ず『森保さんは雅也のことを見ているぞ』って教えてくれて。それが励みになったし、『頑張らな』っていう気持ちにもなった。代表に呼ばれたときも、『やっと一緒にできるな』と連絡してくれて。僕もまた一緒にプレーすることを目標にしているので、頑張りたいと思います」

ザルツブルク時代の奥川と南野©Getty Images

――同級生の鎌田大地選手が日本代表の中心となり、同じく同級生の中山雄太選手、三好康児選手、板倉滉選手は東京五輪に出場します。奥川選手にとっても次の1年は代表入りの足掛かりとしなければいけない?

「その通りだと思います。だから、日本代表を視野に入れながら、チームを慎重に選びたいと思っていて(※7月26日にビーレフェルトへの完全移籍が正式に発表された)。所属チームで結果を出すのはもちろん、日本代表に入るために、ということを強く意識して、次のシーズンはやりたいと思っています」

――今、日本代表に選ばれていないからといって、選ばれている選手たちに負けているつもりもないわけですよね?

「一切ないですね」

――堂安選手、遠藤渓太選手(ウニオン・ベルリン)など、ヨーロッパでプレーする年下の選手が増えて来ました。どう感じていますか?

「僕自身、19歳のときにヨーロッパに来たので、もっと来たほうがいいと思います。同じリーグに日本人選手が増えると報道される量も増えますし、日本人対決は僕自身も、負けないぞ、って気合が入るから、もっともっと来てもらって、切磋琢磨したいですね。日本人選手の評価が上がれば、僕自身の評価にも繋がりますから」

――新シーズンはどんなシーズンにしたいですか?

「前のシーズンはザルツで難しい時期を過ごして、試合に出ることに目線を向けて、チームのためのプレーに徹することが多かったんです。今年もチームのために動きますけど、それ以上に、もっと貪欲に自分のプレーをしていきたいと思っています。今年はそういうところにもっとチャレンジしたいなって」

奥川は2021-22シーズンのさらなる飛躍を期す

「裏の仕事」とともに、得点もできれば

――あとはゴールですよね。19-20シーズンはせっかく9ゴールまでいったのに、20-21シーズンのリーグ戦は1ゴールにとどまってしまった。

「そうですね。ただ、ビーレフェルトは僕の裏の仕事もしっかり評価してくれていて」

――裏の仕事というのは?

「ゴール前の仕事だけじゃなくて、後ろに戻ってくる運動量も評価してくれる。ビーレフェルトに限らず、ブンデスリーガ全体がそうした働きを評価してくれるんです。点は取れなかったですけど、『評価している』と監督からも毎試合言われましたし。そこで、さらに得点もできれば、道がもっと拡がっていくと思うので、新シーズンは思い切ってチャレンジしたいですね」

新シーズンに向けて、着々と準備を進めている©Getty Images

文=飯尾篤史

photograph by Atsushi Iio