「デジタルタトゥーの傷は簡単に消せない。不安を抱えて競技に集中できない選手の悩みも聞いてきたし、日々の努力を表現する気持ちを踏みにじる行為です」

 アスリートへの性的な意図を持った隠し撮りや画像拡散の被害が国内外で広がる中、マラソンのテレビ解説でもお馴染みの増田明美さんがいつもより声のトーンを落として、問題の根深さを語った言葉が印象深い。

「デジタルタトゥー」とは一度インターネット上で拡散した個人情報や中傷がタトゥー(入れ墨)のように消えない状況を指す。

 スポーツ界で20年以上前から続く性的画像問題は最近、スマートフォンの普及で中高生や応援するチアリーダーにも被害が急増している。バッグに穴を開けて撮影したり、腕時計型カメラを持ち込んだり、手口も巧妙化。SNSを通じてアスリートに卑劣な言葉がダイレクトメールで直接送られたり、加工した画像を性的な意図で流布されるなど、嫌がらせが深刻化している。

「レオタード」ではなく「ユニタード」

 東京五輪・パラリンピックでも「盗撮対策」が強化され、実効性を高めるために警察とも連携した通報システム構築を視野に入れる。新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京五輪は全42会場のうち約8割が集中する東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏と北海道、福島を加えた1都1道4県が「無観客開催」となり、会場での被害リスクは低減したが、正式なパスを持つ取材メディアの画像や動画でもSNS上で引用されて水面下で売買の対象になる時代だ。

 4月にスイス・バーゼルで行われた体操の欧州選手権ではドイツ女子代表で21歳のザラ・フォスら3選手が定番の「レオタード」でなく、首から足首までほぼ全身を覆う「ユニタード」と呼ばれる衣装で登場して世界に一石を投じた。彼女らがスポーツが性的に消費される画像問題に抗議する意思を込めたのと同時に、東京五輪に出場するアスリートからも自ら安心して競技に集中できる環境を守る新たな動きが広がっている。

逮捕者第1号、Vリーグのトイレ盗撮も

 性的画像問題は昨年7月末に複数の陸上女子トップ選手が日本陸連のアスリート委員会に「胸や尻などをアップで無断撮影される被害」を相談して表面化し、同11月に日本オリンピック委員会(JOC)などスポーツ7団体が「アスリートの盗撮、写真・動画の悪用、悪質なSNS投稿は卑劣な行為」として被害撲滅に取り組む共同声明を発表した。相談窓口の特設サイトを開設すると、半年間で約1000件の情報が寄せられ、逮捕者が相次ぐ事態に発展している。

 5月に警視庁がテレビ番組の女性アスリート画像をアダルトサイトに無断転載した著作権法違反容疑で男を逮捕したのは、JOCから情報提供を受け、捜査して立件に踏み切った全国初めてのケース。女子バレーボール選手の衣服が透けて見える動画を販売した名誉毀損容疑、中学生の女子水泳選手のテレビ番組画像をアダルトサイトに無断転載した著作権法違反容疑でそれぞれ逮捕した例もあった。中には1億円を超える収入を得たケースもあったとみて調べているようだ。

 バレーボール女子元日本代表で2004年アテネ五輪に出場した大山加奈さんは共同通信のインタビューで「今考えるとひどかった」と、Vリーグのトイレが盗撮されていた衝撃的な実態を明かしている。赤外線カメラで下着が透けるように撮影された写真がネット上に掲載されたこともあったという。12年ロンドン五輪体操女子代表の田中理恵さんは現役時代、カメラのシャッター音に「正直嫌だな」と感じながら、自らの声を抑えて演技していた経験を打ち明けている。

元体操日本代表・田中理恵さんも「」

 女性蔑視発言で森喜朗前会長が辞任した東京五輪・パラリンピック組織委員会は3月、新設した「ジェンダー平等推進チーム」の取り組みとして、競技会場での「禁止行為」に「選手らに対する性的ハラスメント目的の疑いがある写真や映像の撮影」を新たに追加。アーティスティックスイミングの五輪銅メダリストで組織委の小谷実可子スポーツディレクターは「私も選手時代、性的ハラスメントに不安を持って競技していたこともあった。禁止行為に明記され、逮捕者が出たことは大きな一歩」と強調した。

 だが現在の軽犯罪法や条例の取り締まりの対象は主に衣服で隠された体や下着を撮影する行為で、ユニホーム姿がそれに該当するかどうかの判断は難しく、罰則も軽い。大会関係者は「無観客でも全く気が抜けない。仮に国内外で五輪選手の加工した画像や動画が出回ったら、開催国としての信用問題につながる」と警戒感を強める。

「もっと前からあれば競技を辞めなくてよかった」

 体操のドイツ代表チームは7月10日から東京五輪に向けて事前合宿地の新潟県上越市で練習を開始し、五輪本番では全身を覆うタイプのユニタードを着る予定という。

 「子どもたちのロールモデルになりたい」と語るフォスが訴えるのは「自由な衣装の選択肢」だ。英メディアによると、子どもの頃はレオタードでも気にならなかったが「思春期が始まって生理が来てから心地悪さを感じるようになった。露出が多い衣装に気を取られ、不安を抱える選手にとって励ましになれば」と覚悟を口にした。これまで宗教上の理由を除けば積極的にユニタードを着る選手は少なかったが、ルール上の問題もない。約1年前から開始したユニタード作製プロジェクトの反響は大きく「もっと前からあれば競技を辞めなくてよかった」との声も届いた。

 日本陸連アスリート委員会委員長の高平慎士氏はユニホームのデザインの多様な選択肢の必要性を指摘する。「規制するのではなく、選択肢を増やす方法でどう対策していくのか、一緒に考えていきたい。ファッション性などアスリートによって価値観は違うので、一方的に『だめ、NO』というのは効かないと思う」との見解を示す。

「盗撮行為」は刑法で規定されていない

 そもそも国内の「盗撮行為」の刑罰は刑法で規定されておらず、都道府県ごとに迷惑防止条例で取り締まるが、抜け穴だらけとの指摘も多い。海外では韓国、フランスなどで性的目的での無断撮影、拡散行為は犯罪。2016年に海外で行われた国際大会では、日本の女子選手の下半身を狙って撮影していた男性が、現地の法律に基づき逮捕、立件された例がある。

 近年は航空業界の客室乗務員への乗客による撮影行為も問題視され、国内航空業界は昨年9月、法務相宛に「盗撮罪」創設の要請書を提出するなど、議論は高まっている。

 日本のスポーツ界では撮影を許可制にしたり、競技会場で見回ったりと自衛策を講じたが、拡散される画像への対処には限界がある。6月の陸上日本選手権(大阪市・ヤンマースタジアム長居)では迷惑撮影を通報するためホットラインが初めて設置され、4日間を通して複数の通報があった。警備に加えて警察署に協力を要請し、私服警察官が会場を巡回した。

 法律の専門家によると、日本の性犯罪で多いのは圧倒的に痴漢や盗撮とされ、手口が粗暴でない盗撮は江戸時代から続く日本特有の「のぞき見文化」との指摘もある。だが、そうした行為が許されるはずもなく、悪質な営利目的や性的画像悪用の嫌がらせは法規制の対象に加えるべきだとの意見は多い。最近は肌の露出を抑えながら高い機能性を備えるユニホームの開発をメーカーに期待する声も選手サイドから出ている。

 こうした動きをどう形にしていくのか。それが今後の対策強化の焦点になりそうだ。

文=田村崇仁

photograph by Getty Images