<初出:Sports Graphic Number 1031号(2021年7月15日発売)>

 大相撲名古屋場所、十両の土俵がざわついた。2日目、幕内から番付を落としている人気力士炎鵬と、貴源治の一番だ。貴源治の、まるでボクシングのアッパーカットのような下からの張り手が炎鵬の顎にヒット。小兵の炎鵬は鼻血を出しながらも応戦し、土俵際での際どい相撲となり軍配は炎鵬に上がるも、物言いがついて取り直しとなった。

 だが、その後、炎鵬がふらついているのに気づいた呼出しが高田川審判長に報告。審判団の協議の結果、審判長から「炎鵬が脳震とうを起こしているため、貴源治との取組が取れないとみなし、貴源治の勝ちとします」との場内説明があった。観客はもとより炎鵬本人も、不戦敗に納得がいかないのか、土俵下で怪訝そうな表情を見せつつも、車椅子に乗せられて花道を下がっていった。

 この一番には、今年の初場所後に新たに審判規則に加わったルールが適用された。初場所中、幕下の朝玉勢と湘南乃海が思い切り当たったあと「立ち合い不成立」で仕切り直す。この際、湘南乃海が左右に大きくふらつき脳震とうを起こしていたのだが、本人の意思を確かめて取組を続行。この一番が脳震とうの危険性や対処法について、内外の議論を呼ぶことになったのだ。

「力士が思い切って相撲を取れる状況にしていかないといけない」

 これを受けて相撲協会は審判規則を以下のように改定している。

〈審判委員は、力士の立ち合いが成立する前に、相撲が取れる状態ではないと認めた場合には、協議の上で当該力士を不戦敗とすることができる〉

 その後の春場所では三段目の力士が頭から土俵に落ちて動けなくなり、なすすべもないままに数分間放置され、救急搬送される事案も発生した。これは脳震とうではなかったものの、結果として、不幸にも亡くなってしまう事故となる。

 相撲協会は5月7日、「応急対応処置講習会」を開いた。警備担当の親方や呼出しなど約60名が講習を受け、応急処置や安全、迅速に担架で搬送する方法を専門家から学んだ。
「力士が思い切って相撲を取れる状況にしていかないといけない」とは春日野警備本部長の言葉だ。

 遅きに失したのか否か―意見は分かれるところだが、車椅子も担架も使われることなく、全力士が15日間の戦いを無事に終えることこそが相撲界の本望であるには違いない。

文=佐藤祥子

photograph by KYODO