日本人監督としてヨーロッパサッカーの最前線で指揮を執るモラス雅輝さん(42歳)のインタビュー(全2回/後編へ)。

オーストリアに日本人監督が誕生した

 欧州5大リーグに「日本人監督」が誕生するまでの道のりは、とてつもなく険しい。歴史、文化、言語の壁が立ちふさがり、クラブ側からしたらわざわざ日本人監督を抜擢する理由がない。日本企業がクラブを買収するといったマネーパワーを使わない限り、実現する日は来ないのかもしれない。

 だが、そんな中、欧州サッカー界の中でステップアップし続けている監督がいる。16歳でドイツへ留学し、オーストリアサッカー協会で指導者ライセンスを取得したモラス雅輝(42歳)だ。

 これまでオーストリアの名門レッドブル・ザルツブルクのスタッフ、浦和レッズのコーチ、ヴィッセル神戸のコーチなどを歴任し、今夏ついにヴァッカー・インスブルックのセカンドチーム(以下、インスブルックIIと表記)の監督に抜擢された。

 インスブルックはオーストリア2部の所属で、インスブルックIIはオーストリア3部の所属。つまりオーストリア3部に日本人監督が誕生したのだ。

 個人的な調べによると、欧州サッカー界で男子3部リーグ以上の日本人監督はこれまで2人しかいなかった。

 2014年に星川敬(現INAC神戸レオネッサ監督)がポーランド3部のコンコルディア・エルブロングの監督を務めた。本田圭佑がSVホルンの実質的なオーナーだったとき、濱吉正則(現九州産業大学サッカー部監督)が2016年から約1年間、オーストリア3部と2部で監督を務めた。

 モラスはそれに続く3人目である。

「オーストリア1部のクラブからコーチの話ももらったんですが、僕はインスブルックで女子チームの監督を経験し、取締役会のメンバーも全員知っている。彼らから『ぜひ来てくれ』と熱心に誘われ、信頼を感じて決めました。求められているのは、ヨーロッパで活躍する選手の育成。これまで僕が得たノウハウや経験を伝えていきたいです」

日本人のライバルは「アフリカ、北中米の若者」

 欧州における日本人監督の誕生は、日本人選手にとってもメリットになる。早速、移籍が実現した。

 6月下旬、サガン鳥栖U-18所属のFW二田理央がインスブルックIIの練習に参加して合格。レンタル移籍されることが決まったのだ。二田は6月に鳥栖でJ1デビューしたばかりの高校3年生。すでに地元の練習試合でゴールを連発している。

 日本人監督の存在によって、インスブルックは日本人選手の新たなゴールドマイン(金鉱)になるのか?

 そう問うと、モラスは首を横に振った。

「もちろん僕自身、日本人選手を育てたいと考えているし、クラブ側からも日本人選手を2、3人獲得していいと言われています。しかし現実に獲得するとなると、いくつかの問題に突き当たるんです」

 モラスのもとには、日本からだけでなく、世界中から売り込みが殺到しているという。

「日本からも十数名の話を頂いたんですが、それ以外からの売り込みもすごく多い。たとえばドイツのレバークーゼンにはU-23のチームがなく、U-19からトップに昇格できなかった選手の受け皿がない。そこで『インスブルックにいかがですか?』と連絡が来た。

 オーストリアの名門レッドブル・ザルツブルクからも、U-23に上がれなかった選手の売り込みがありました。新しい兆候としては、アフリカや北中米からの売り込み。ナイジェリアのアンダー年代の代表選手や、カナダのアンダー年代の代表選手の売り込みがありました。

 つまり日本人選手は、ヨーロッパ大陸の若者に加え、アフリカ、北中米の若者と競争しなければならないんです」

©Beate Retzbach

「英語が話せない」「じゃあいらない」

 売り込みが殺到し、尋常ではない数の競争相手がいる――。こういう国際競争でネックになるのが、語学力の乏しさである。

「僕との会話は日本語で大丈夫ですが、チームメイトやスタッフとの意思疎通を考えると、英語ができた方が圧倒的に有利。

 ドイツやオーストリアのクラブに日本人選手を紹介するときは、必ず『英語を話せるか?』と聞かれる。『あまり話せない』と伝えると、『じゃあいらない』となってしまう。

 実際、J1のあるクラブの主力選手をオーストリア1部のクラブが取ろうとした際、英会話が厳しいということで破談になりました」

「日本人は安くないよね」

 そして何より問題となるのが「育成補償金」(トレーニングコンペンセーション)だ。

 FIFAのルールでは23歳以下の移籍の際、獲得する側のクラブは、その選手が12歳から23歳までの間に在籍したクラブに対して、「育成補償金」を払わなければならない。育成の対価をちゃんと払うという考えに基づいている。たとえ移籍金がゼロでも、若手獲得の際にはお金が動くのだ。

 香川真司がセレッソ大阪からドルトムントへ移籍した際、移籍金はゼロだったが、ドルトムントは「育成補償金」として35万ユーロ(約4500万円)をセレッソに支払った(香川はセレッソに16歳から21歳まで在籍)。

 たかが数千万円という印象を受けるかもしれないが、スイスやオーストリアといった「ステップアップリーグ」の小クラブには大きな金額である。

 これが移籍の障壁にならないように、アフリカや北中米のクラブは「育成補償金はいりません」と申し出るのだという。

「アフリカや北中米の選手の場合、『とにかくヨーロッパへ行ければいい。だから育成補償金はいりません』というスタンスなんですよ。

 先ほど例に出したレバークーゼンからの売り込みも、『育成補償金はいらない』というものでした。レッドブル・ザルツブルクもそう。

 それに対して日本は、多くの場合、育成補償金をしっかり請求しようとする。FIFAのルールに基づいた当然の権利なんですが、アフリカや北中米のクラブはそうではないので、クラブの経営陣からすると『プロとして活躍した実績が乏しい日本人選手でもお金がかかるの?』となってしまう。

 ヨーロッパのサッカー業界では『日本人は決して安くないよね』という認識が広まって来ています」

監督に就任したさいの1枚 ©FC Wacker Innsbruck

育成保障金ゼロでどうやって稼ぐ?

 なぜアフリカや北中米のクラブは、手にできるはずのお金を「いらない」と言えるのか。当然、彼らも慈善事業をしているわけではない。そこには別に稼ぐシステムがある。

「フューチャーセールといって、『ここで活躍して次にステップアップしたときに得た移籍金を分け合いましょう』と事前に取り決めるんです。具体的には、契約書に『次にクラブが得る移籍金の30%を支払う』という感じで条項を盛り込む。

 短期的な利益を辞退することで市場に入れてもらい、将来一緒に儲けましょうという考え方です」

 分配率を30%に設定した場合を考えてみよう。ある日本人選手がJリーグのクラブからオーストリアのクラブに0円で加入し、その後、移籍金1億円で他クラブへ羽ばたいたら――Jリーグの元のクラブに3000万円を渡すというイメージだ。

 獲得する側からしたら最初に育成補償費を用意しなくていいし、期待通り活躍したら、日本側も育成に投資したお金を回収できる。

「健全経営で知られるドイツのクラブでさえも、コロナ禍の影響は大きく、売上が落ちています。プレミアリーグや投資家が支える一部のクラブを除いて、獲得コストをいかに下げるかがヨーロッパ市場のトレンドになっています」

 今夏、三笘薫が川崎フロンターレからプレミアリーグのブライトンへ移籍し、ブライトンとオーナーが同じベルギー1部のサンジロワーズへレンタルされることが濃厚になっている。移籍金は300万ユーロ(約3億9000万円)と推定されており、モラスの話と矛盾するように思われるかもしれない。だが、ブライトンのオーナーは約1800億円の資産を持っており、例外的なケースと言えるだろう(また、古橋亨梧のヴィッセル神戸からスコットランド1部のセルティックへの移籍に関しては、移籍金が非公開となっている)。

「なぜ田中碧がドイツ2部にレンタルなんだ?」は的外れ

 フューチャーセールの一形態として、レンタルを活用したやり方もある。

 Jリーグのクラブから買い取りオプションを設定してヨーロッパのクラブにレンタルし、買い取りオプション行使後も“共同保有権”を維持し、次のクラブに移籍した際の移籍金の一部を受け取るというもの。

 長友佑都がFC東京からチェゼーナにレンタル移籍し、インテルへステップアップした際、このやり方が採用されたと言われている。

「この夏、田中碧選手の川崎フロンターレからフォルトゥナ・デュッセルドルフへのレンタル移籍が発表されたとき、日本の一部の識者からは『なぜJリーグを代表する若手が、ドイツ2部にレンタルなんだ』という声があがったと思います。

 しかし先ほど言ったように、コロナ禍でドイツのクラブも減収に苦しんでいる。ドイツ2部のシャルケ、ニュルンベルク、ザンクトパウリなど1部復帰を目指すクラブのスポーツディレクターと話しても『フリーレンタルか違約金ゼロの移籍しか基本的に考えていない』と言っていた。

 中途半端にドイツ1部の下位クラブへ行くと、残留争いに巻き込まれて守備に追われる。そういう意味で、田中碧選手の選択は素晴らしいと思います。

 Jリーグからレンタル料と買い取りオプションを安い金額に設定してヨーロッパへ行き、その代わりにフューチャーセールで利益を分配するやり方が、今のヨーロッパ市場に合わせた現実的な方法だと思います」

移籍市場に選手が余っている状態

 今、ヨーロッパの多くのクラブではリストラが進んでいるという。

「コロナ禍前であれば、ドイツ1部ならレンタル料2000万円、買い取りオプション2億円といっても、そこまで大きな投資ではなかった。でも今は違う。

 ドイツのクラブではアカデミーで働く指導者の数を減らしたり、バス運転手や分析官の数を減らしたり、いわゆるリストラが進んでいる。

 選手の数も減らそうとしている。つまり市場に選手が余ってしまっているんです。さらに南米や東欧からの売り込みに加えて、アフリカと北米からの売り込みが増えている。日本人選手の欧州移籍のハードルは間違いなく上がっています。

 そういう現実の中で、もしJリーグのクラブが高いレンタル料を設定したり、満額の育成補償金を要求したりすると、『それなら他国の選手を取るよ』となってしまうんです」

 Jリーグの立場になればそもそも人材を流失させたくないし、若手がどうしても移籍したいのなら、できるだけ大きな利益を得たいと考えるのは当然だ。

 だが、目先の利益にこだわっていたら時代に取り残される。ヨーロッパで流行しつつある「フューチャーセール」という長期的な投資を理解すべきだ。

 ピッチ内もピッチ外も、情報が武器になる。

 ヨーロッパサッカーの最新の知見が入ってくるという点でも、「監督界の欧州組」の存在はとてつもなく大きな意味がある。

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文=木崎伸也

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