2016年リオ五輪に続いてゴルフ日本代表監督の大役を務めた丸山茂樹。しかし、個人スポーツであるゴルフにおいて、監督の役割とは一体何なのか? 松山英樹と星野陸也を間近で見守り続けた丸山が大会4日間を振り返った「Sports Graphic Number」掲載記事を特別に公開する。

【初出:Sports Graphic Number 1033・1034号(2021年8月12日発売)「監督よりお父さん」/肩書などはすべて当時】

 日本チームの監督として同行した、東京五輪のゴルフ競技が無事に終わりました。日本男子の結果は松山英樹が15アンダーの4位タイ、星野陸也は6アンダーの38位タイ。メダルを獲得することができませんでしたが、この状況下で戦い抜いた2人に拍手を送りたいですね。

世界で勝つゴルファーのレベルの高さを痛感した

 予想通り、最終日は大混戦となりました。飛距離を武器に安定したゴルフを見せたザンダー・シャウフェレ(アメリカ)、一気に10ストロークもスコアを伸ばした45歳ロリー・サバティーニ(スロバキア)らメダリストだけでなく、惜しくも4位タイに終わったロリー・マキロイ(アイルランド)あたりも、「国を背負って戦っている」気迫が凄まじかったですね。

 選手たち、特に海外勢にとってはすごくやりづらい4日間だったでしょう。慣れない日本で、コースとホテルを行ったり来たりの生活。ホテルに戻っても部屋から一歩も出られないわけですから、プレーをしていない僕でさえもストレスを感じました。

 ただ、彼らは世界のトッププロたち。学習能力が高く、強靭なメンタルを兼ね備えたプレーヤーばかりです。徐々に霞ヶ関のコースや日本の暑さにも適応していた。でも考えてみたら、PGAツアーでもメジャー大会でも、求められることは同じです。改めて世界で勝つゴルファーのレベルの高さを痛感する大会でもありました。

優勝した米国代表シャウフェレの母は日本育ちの台湾人で祖父母は東京在住 ©JMPA

監督というより“お父さん”

 難しい環境下だったから、いつも以上に監督の役割が大きかった? いえいえ、ほとんどの方が「丸山は何をしているんだ?」と見ていたと思います。それは僕も右に同じです(笑)。

 ゴルフは個人スポーツなので、日頃からそれぞれがキャディ、トレーナー、コーチ、その他のスタッフを抱えて行動しています。ましてや東京五輪は団体戦ではないので、本来であれば僕のようなポジションの仕事は必要ない。でも、オリンピックでは役職としてそれが必要だった。だから僕がいるというだけ。

 実際、リオ五輪の経験からなのか、アメリカの監督は、協会の関係者が務めていました。これからは日本もそうなっていくのかもしれませんね。英樹とはデビュー当時に一緒に練習ラウンドを回りましたし、毎年のように家に遊びに来た時代もありましたから、コミュニケーションを期待されていたと思います。陸也も日大の後輩にあたりますから、監督というより、“お父さん”というポジションの方がしっくりきますね(笑)。

 陸也はコースやスイングのことなど、よく質問もしてくれましたね。そういう時に大事なのは、僕なりの意見を迷わずハッキリ言うこと。それが試合中の迷いを消すことに役立てばという思いでした。

松山英樹「五輪の前に1回ぐらい試合をやっておきたかった」

 英樹は大会前にコロナ陽性反応が出たことで体調面が危惧されていました。確かに体調は万全ではなかったですが、それでも言い訳ひとつしなかった。無観客開催とはいえ、記者やボランティアスタッフの目もありますし、何より日本国民からマスターズチャンピオンとして“200%”の注目を浴びる。しかもゴルフは他競技と比べて4日間と時間も長い。メンタル的にすごく負担がかかったと思います。「五輪の前に1回ぐらい試合をやっておきたかった」なんて本音ものぞかせていましたから。

 勝敗の分かれ目を挙げるとすれば、最終日13番ホールの「ジャッジ」ではないでしょうか。ちょうど風が少し強くなってきて、ドライバーショットをフェアウェイバンカーに入れてしまった。2打目もグリーン手前のバンカーに捕まり、ボギー。11番、12番と連続バーディといい流れだっただけに、勝負どころでリズムに乗り切れなかったことが悔やまれます。特に13番はボギーを打つホールではなかったですから(初日と3日目がパー、2日目はバーディ)。

 それでも「さすが」と思わせるプレーもたくさんありました。特に、最終日の18番のセカンドショット。その前の17番でバーディパットを外し、本人もメダルが厳しくなったことを自覚していた。それでも、めげずにバンカーからチャンスにつけてくる。あんなショットは常人では打てません。

最終日、松山は首位に1打差2位で出て5バーディ、3ボギー。プレーオフ1ホール目でパーセーブならず4位タイで初の五輪を終えた ©JMPA

丸山が嬉しかった“松山英樹の一言”

 それでも「さすが」と思わせるプレーもたくさんありました。特に、最終日の18番のセカンドショット。その前の17番でバーディパットを外し、本人もメダルが厳しくなったことを自覚していた。それでも、めげずにバンカーからチャンスにつけてくる。あんなショットは常人では打てません。

 だから、プレーオフ(PO)は力尽きてしまったかな。それでも、PO18番のティショットはフェアウェイど真ん中にバシッと打った。体力も気力も残ってない中でも正確なショットを繰り出せる精神力を最後に見せてくれました。

 本人は、はらわたが煮えくり返るほど悔しかったでしょう。ただ、試合直後に「メダル取れなくてすいませんでしたー!」と冗談っぽく言っていたんです。それが嬉しかった。彼にとって一番明るい対処の仕方だったと思う。僕がそばについたことが緊張感を和らげることにつながっていたとしたら、役割を全うできたと言えるかもしれません。

 1組目のトップバッターという大役を任された陸也にとっては、とてもスリリングな4日間だったでしょう。でも、最終日に5アンダーという今大会のベストスコアを出して終われたことは誇りに思わないといけない。いま25歳ですが、すでに世界を舞台に戦っていた英樹とは立場が違う。陸也はこれからがスタート。今季もメジャー大会を経験していますが、世界のトップと同じ土俵で戦った今回の東京五輪はとても貴重な経験を積めたはずです。

 現在、国内ツアー賞金ランクトップ。当然将来は海外でのプレーをイメージしている。東京五輪がいいきっかけになって飛躍につなげてほしい。身長もあり、飛距離も十分。ショットもパットもよくなってきている。刺激を受けながら、自分の長所をしっかり伸ばしていけば、十分期待できるのではないでしょうか。

ゴルフが五輪に浸透するにはまだ時間が必要

 これで僕は2016年のリオに続いて、五輪2大会を経験させてもらいました。世界トップレベルのゴルフを間近で堪能できた一方で、観る人もプレーする人も、ゴルフが五輪に浸透するにはまだ時間が必要だと感じました。選手たちにとっても連戦するツアーのなかで1週間、変則的に動くことは容易ではない。出場回避した選手もいたし、大会直前に来日する選手も少なくありませんでした。

ゴルフ日本代表監督の大役を務めた丸山茂樹 ©JMPA

 今後、ゴルフと五輪の関係性を深めていくには、アマチュアの選手が出場する大会になっても面白いと思いますね。個人戦でなくても、団体戦、ペアを組んで勝負する形でもいい。ゴルフにもさまざまな競技性があることをアピールできる機会になるでしょうし、将来を担う学生たちにもチャンスが与えられる。準備なども現状よりはスムーズになるでしょう。

 これからゴルフが五輪競技として発展していくか、いろんな角度からの議論がされるといいですね。選手としてプレーしたかった? そりゃ出てみたかったですよ。もっと僕が若い頃から五輪競技になっていたらよかったのにな。

文=丸山茂樹

photograph by Getty Images