「こんなことある?」

 オリックスのルーキー来田涼斗は、そう言わんばかりに大きな瞳を丸くした。

 8月21日の西武戦。6番・DHで先発出場した来田は、西武の先発・今井達也に、2打席連続で3球三振を喫した。しかも6球すべてストレート。来田は初球から全球振っていったが、当たらない。150キロ台の速球にかすることもなく、6度すべて見事な空振り。信じられないといった表情だった。

「自分の中では捉えられると思って振っていったボールが、全部シュート気味に逃げていくようなかたちで、当たらなかった。ストレートが本当に速くて伸びもあったので、すごいなと思いました。今まで打席に立った中にはいないようなピッチャーでした」

 プロの洗礼か。しかしそんなことではへこたれない。

「小さくならず、大きく育っていけるように、毎日食らいついて頑張りたい」

 そう語っていた通り、翌日の第1打席では、1死一、二塁の場面で初球を勢いよく振り抜き、ライトへのタイムリー安打を放って笑顔を見せた。

 この春まで高校生だったとは思えない、末恐ろしい18歳である。

衝撃のフルスイングデビュー

 デビューは衝撃的だった。

 7月13日に初めて一軍登録された来田は、その日、釧路で行われた日本ハム戦に7番・レフトで初出場初先発。初回に2死一塁の場面で初打席が回ってくると、初球を迷いなくフルスイング。打球は右中間スタンドに飛び込み2点本塁打となった。高卒新人の初球本塁打は、史上初の快挙である。

 高校時代も、高2春のセンバツ準々決勝の智弁和歌山戦で、先頭打者本塁打とサヨナラ本塁打の両方を記録する“史上初”をやってのけたが、やはり来田は何か持っている。それを一振りで証明した。

 しかもそれだけでは終わらない。2、3打席目にもヒットを放ち猛打賞。そして初盗塁まで決めた。「トリプルスリー」を目標に掲げるのもだてではない。

 初もの尽くしの1日の最後は、初のヒーローインタビューで締めくくった。

「監督、コーチから思い切っていけと言われたので、初球から思い切ってバットを振っていきました。うまく当たってくれて、飛んでいってくれました」とインタビューも笑顔でそつなくこなす。

 最後にファンへのメッセージを求められると、サッと帽子を取って背筋を伸ばした。

「兵庫県神戸市から来ました来田です。よろしくお願いします」

 爽やかな風が、遠く離れた釧路から本拠地・関西まで届いたような気がした。

中嶋監督も評価する「思い切りのよさ」

 東京五輪による中断期間を挟み、後半戦も一軍で出場を続けており、8試合に出場して27打数8安打、打率.296(8月27日時点)。これまで、下位の順位がほぼ確定したシーズン終盤に高卒1年目の選手が一軍を経験することはあったが、チームが25年ぶりの優勝に向けて首位をひた走る中での、高卒ルーキー野手の起用は異例だ。

 外野はレフト・吉田正尚、センター・福田周平、ライト・杉本裕太郎がほぼ固定されていたため、後半戦はDHでの出場が多くなっているが、それでも使ってみたいと思わせるものが来田にはあるのだろう。中嶋聡監督は言う。

「もちろん弱点もあるとは思うんですけど、思い切りのよさというか、振っていけるところがいい。こちらは『思い切っていけ』って思いますし、その通りにいってくれているのが非常にいいですね。それに、来田が打ったら、(高卒2年目の)紅林(弘太郎)も打たなきゃいけなくなっちゃうから。『もう世代交代させるぞ』って言っといたからね(笑)」

見ていて気持ちの良い豪快なスイング©KYODO

 プロ初打席も含め、来田は一軍でも「緊張しない」と言うから驚かされる。

「もともと緊張するタイプではないので。自分のペースでやっているだけです」

 恩師である明石商の狭間善徳監督は、「のめり込むというか、没頭できる、集中できるからやろうね」と分析する。

「(来田から)よー電話かかってくるんよ」と嬉しそうだ。

「初出場の時も、『ちょっと北海道で、一軍でスタメンで出ます』言うから、『ほんまかぁ?』って。ここまで早く一軍の舞台で、とは思わなかったから、驚きというか、嬉しいですね。来田に限らず、OBが大学やいろんなところで頑張ってるのを聞くと、力をもらうんやけど、来田の場合はやっぱり活躍している姿をみんなが見られるから、明石商業の OBも現役も、すごく力もらってるんちゃうかな」

明石商業・狭間善徳監督(2019年)©Hideki Sugiyama

春も夏も出られなかった甲子園

 来田は昨年、コロナ禍によって目標を奪われた球児の1人だった。

 1年夏から甲子園に出場し、2年は春、夏ともにベスト4入りに貢献。3年春のセンバツでの4季連続甲子園出場も決めており、夏には5季連続出場も、日本一も狙えたはずだった。

 しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響で、昨年は春も夏も、甲子園は中止となった。

 懸けていたものが奪われた。それでも来田は前を向いた。

「コロナが広まっていましたので、大会がないということに関しては、もう、仕方がないことでした。だから切り替えて、次の目標、プロに行って活躍するという夢があったので、それに向かって頑張ろうと思いました」

高校時代の来田涼斗(2019年)©Hideki Sugiyama

 そしてわずか1年後の今、目標としていた舞台でキラキラと輝きを放つ。

 昨年は長期間チーム練習ができない状態が続いたが、その間、走り込みや、バドミントンのシャトルを打つ“羽根打ち”などにコツコツと取り組んだ。それにより基礎を見直すことができ、今につながっていると、昨年の出来事も前向きに捉えている。

 今夏は甲子園が開催されたが、宮崎商と東北学院はチーム内に新型コロナウイルスの感染者が確認されたため出場を辞退した。地方大会でも、辞退せざるを得なかったチームがいくつもあった。戦うことができずに高校野球が終わってしまい、心に穴が空いたままの3年生もいるだろう。

 それでも、人生は終わりじゃない。今の来田の姿はそんなメッセージでもある。一つの目標を断たれても、前を向いていれば、また別のステージでこんなにも輝ける。それはプロ野球に限らず、どんな世界でも同じことだ。

 来田はこの夏、自分のことで精一杯な一軍生活の中、それでもちょっと時間ができると、気になって高校野球の試合を見ているという。出場辞退のニュースには胸を痛めた。希望を失っているかもしれない後輩球児たちに伝えたいことはありますか? と聞くと、来田はこう答えてくれた。

19年夏の甲子園準決勝・履正社戦でホームランを放った来田涼斗(当時高2)©Hideki Sugiyama

「甲子園が決まって、そこで出場辞退になるというのは本当に悔しいことだと思います。けど、甲子園がすべてではないので。その先の人生のほうが長いと思うので。だから次の目標を見つけて、頑張って欲しいです」

 来田は自らその言葉を体現し、今日も打つ。走る。ガムシャラに。

文=米虫紀子

photograph by KYODO