8月18日、向田真優は婚姻届を提出した。お相手は学生時代から交際し、社会人になってからもコーチとして支え続けてくれた志土地翔大氏。東京オリンピック金メダリストが結婚というハッピーなニュースは暗いニュースが多い世の中をほっこりさせた。

 8月下旬、都内で夫妻に会うと、夫の方からこの日に籍を入れた経緯を語り始めた。

「日取りは優勝した直後に決めました。たぶんその日(8月6日)に決めたんじゃないかな」

 向田は即座に頷いた。

「そう。大安がいいということで」

結婚は「私にとっては逆に遅いくらいでした」

 志土地はその前に三重県四日市市にある向田の実家を訪ね、入籍する意向を伝えた。

「結婚するという話は前々からしていたけど、具体的にいつ籍を入れるという話はしていなかったので」

 姓が変わったことについて聞くと、向田は「まだ実感がわかなくて」とのろけた。

「いろいろなところで『志土地』と書くたびに、ア〜ッとなりますけどね」

 現在、向田は24歳だが、JOCエリートアカデミーに籍を置きながら安部学院高に通っていた頃までは「20歳までに結婚したい」という早婚願望を抱いていたと打ち明ける。

「でも、(大学進学で)至学館に行った時点で、『あっ、若いうちの結婚は無理だな』と諦めました(笑)」

 至学館大は男女共学ながら、以前は女子大で当時から女子レスリングの名門として知られていた。現在もレスリング部は女子のみで、類まれな競争社会を構築している。第三者から見れば、とても恋愛にうつつを抜かしている暇はない環境だ。

 しかし、昨年向田は至学館大を卒業し、現在は社会人レスラーの身。しかも、東京オリンピック女子53kg級で金メダルを獲得したことで結婚することに支障はなくなった。

「だから早いとは思わない。私にとっては逆に遅いくらいでした」

東京オリンピックを終え、結婚を発表した向田真優と志土地

“吉田沙保里二世”と言われたが……

 向田は三重県四日市市出身。同県出身のレスラーには吉田沙保里がいる。高1でシニアの二大選手権である全日本選抜選手権で3位に入賞し、その後もシニアの大きな大会で上位に定着するようになった向田は、リオデジャネイロ・オリンピックの直前に行なわれた同選手権で初優勝を遂げると、“吉田沙保里二世”と呼ばれるようになった。

 このとき、向田はまだ大学1年生。周囲の期待に応えるように、リオ五輪の4カ月後に開催された世界選手権に55kg級で初出場を果たすと、初優勝を遂げる。

 翌年には五輪階級の53kg級に落とし、世界選手権2連覇を狙った。果たして向田は難なく勝ち上がり、決勝でも残り時間10秒まで6−4とリードしていた。この一戦を筆者は現場で見ていたが、「このまま向田が逃げ切るだろう」と楽観視していた。

 しかし、試合終了間際、対戦相手に浴びせ倒しのように倒されると、スコアは6−8と逆転。土壇場で勝負を引っくり返された向田は呆然とした面持ちのまま、キャンバスで体育座りを続けるしかなかった。勝負は最後まで何があるかわからないということを如実に現した一戦だった。

 翌年、向田は世界王者に返り咲くが、2019年の世界選手権では決勝で北朝鮮代表に第2ピリオドになってから逆転負け。2020年アジア選手権決勝ではローリングを仕掛けている最中に相手に向きを変えられ逆転フォール負けを喫してしまった。

向田の金メダルを信じて疑わなかった人物

「ここ一番というところで弱い」

 向田には、いつしかそんなレッテルが貼られるようになってしまった。国際舞台では安定した結果を残していなかっただけに、そう思われても仕方あるまい。正直、今回の東京オリンピックも向田に関していえば、「メダルを獲ってくれさえすれば……」という声すらあったことは否定できない。

 その一方で向田とともに「東京で金メダル!」を信じて疑わない者もいた。二人三脚で調整に励んでいた志土地コーチだ。昨年春、向田とともに愛知県を離れて上京。向田の専属コーチという形で活動することになった日体大レスリング部出身で、プロのMMAファイターとして活動したこともある男は「逆転負けを喫しないためにはどうしたらいいか」をメインテーマに指導することを決意した。

 この階級で向田のテクニックは申し分ない。だったらまんべんなく調整するより、マイナス部分を徹底して強化する方が得策だと考えたのだ。そのために志土地はまず向田の「最初の1分、あるいは1分半はメチャクチャ強い」という長所に着目した。「だったらその強さを試合終了まで継続させたらいい」

 具体的にいうと?

「意識の部分を最初から最後まで変えないということです。試合中、点数も自分で計算して『いまは何点リードしているから大丈夫』という気持ちではなく、いつも0−0のつもりで攻めにいく。声かけも常に攻撃を意識してもらうように心がけました」

2018年の世界選手権で向田が優勝すると、コーチだった志土地は肩にのせて喜んだ

志土地の指導が生きた決勝でのタックル

 これまでの向田は試合中に弱気になると、残り時間を気にしたり、審判にアピールすることが多かった。だが、今回そういう場面は皆無だった。白眉はパン・キアンユ(中国)との決勝だろう。第1ピリオドは0−4とリードを許したが、第2ピリオドになると反撃を開始。片足タックルからバックを奪って2点を返す。その後再び片足タックルを決め、4−4のイーブンにした。

 ルール上、タイスコアのまま試合が終わると、あとに点数をとった方が勝者となる。向田がリードする形になったわけだが、その後ディフェンシブな流れに転じることは皆無だった。逆に向田はタックルでさらに攻めたてる。以前の彼女だったら、考えられない流れではないか。この瞬間、志土地は「練習した成果が出た」とヒザを叩いた。

「リードしていても、攻撃を続ける練習を繰り返していたので」

 その直後、パンは起死回生のタックル返しを狙うが、向田は耐え自分の体を一回転させない。とはいえ、左足を抱えたまま正座するような体勢になってしまった。このままバックに回られると逆転を許してしまう。涙を呑んだ数々の決勝が脳裏をよぎった。

 ここで向田は歯を食いしばった。

「手を離したら、一生後悔する」

 土壇場になると、気持ちと気持ちの勝負だった。その体勢のまま向田は立ち上がり、パンを場外に押し出す。これで5−4。勝負の分かれ目となる場面だった。

 こういう攻防をシミュレーションしていたわけではない。しかし、志土地コーチからの「立てる」という指示はしっかりと耳に届いていた。「あの場面では相手が場外を背負っていたので、ギリギリのところだった。ちょっと間違えば、自分が外に出ることになるので、イチかバチかの攻撃だった。結構危ないシーンだったと思います」。

向田は嬉しそうに金メダルを見せてくれた ©Koji Fuse

“禁断の愛”と言われ…「命をかけるくらい追い込まれていた」

 このとき、志土地は「頼む」と神頼みをする心境だったと打ち明ける。

「試合終了のブザーがなるまで、どうなるかわからない展開でしたからね。1秒あれば逆転されてしまうような僅差だった。だから最後までドキドキでした。最後はもう応援する側の人間になっていましたね」

 初めてのオリンピックで初めての金メダル。優勝した直後、志土地コーチは「このまま負けたら生きていけるのか」という名言を残している。交際が発覚したときには学生とコーチの禁断の愛と受け止める者もいたので、志土地は大学のコーチ職を辞めざるを得なかった。だからこそハングリーだった。

 志土地は「あれは偽らざる心境だった」と本音を漏らす。「結果的に負ければ、非難されるだろうし、今まで真優が頑張ってきたことが全部パーになる。言い方は悪いですけど、自分たちの生活もかかっていたので命をかけるくらい追い込まれていました」

 また今回オリンピックを制することで、向田は「彼氏がいても強くなれる」ということを証明した。実際交際する相手がいたら弱くなったり実力が停滞するケースを筆者はたびたび目撃した。要は自覚の問題か。

 将来設計も着々と進んでいる。ふたりで「子供はパリオリンピック後に」と決めた。つまり向田は東京に続いてパリも目指すということだ。53kg級は今年の世界選手権に初出場を果たす藤波朱理(いなべ総合学園高)など新世代が台頭しているので、海外より国内での争いの方が熾烈になる可能性が高い。向田は「朱理ちゃんは本当に強い」と認めたうえで宣言する。

「今回の金メダルを手にしたら、絶対に次もという思いがある。しっかりと勝てるようにまた1から準備していきたい」

 愛は窮地を救う。

文=布施鋼治

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