東京五輪・パラリンピックを機にさまざまな競技施設が新設された。大会を終えた今、新施設や歴史ある既存の施設のあり方はどのようなものになっていくのだろうか。

 転換点を迎える既存の施設の1つに辰巳国際水泳場がある。1993年に開業し、競泳の日本選手権をはじめ、アーティスティックスイミングなどの数々の大会が行なわれてきた「水泳の聖地」は、東京五輪では水球の会場として使用された。

 ただ、オリンピックの競泳、飛込、アーティスティックスイミング、パラリンピックの水泳の会場として東京アクアティクスセンターが新設されたことから、辰巳国際水泳場は大会後、アイスリンクに改修することが2019年3月に発表されていた。

 五輪が終わり、9月21日には辰巳国際水泳場の中間計画が発表された。それを踏まえ、改修と転用の意味、課題を考えてみたい。

 中間計画では「東京辰巳アイスアリーナ」(仮称)は2025年の開業を予定し、1年間を通して氷上スポーツのために使用できる「通年リンク」であるとする。大会の開催のほか、日頃から氷上スポーツを楽しめる場にすることを想定している。また有明アリーナと連携して国際大会開催も盛り込まれている。

 この計画は、かねてからの“ある課題”を克服する可能性の1つとなり得ることを意味する。

 それは、フィギュアスケートにおいてリンクが不足しているという課題だ。

全スケーターの積年の課題

 新たにオープンするリンクがある一方で閉鎖されるリンクがあり、そこを拠点としているスケーターの滑る場所が失われ、移る先を見つけるのも容易ではないことが問題となってきた。東京都の場合、連盟に登録している選手数は、2018年には1500人を超えたが、これは2007年当時の2倍以上となっている。近年、子どもたちのあこがれの選手のアンケートで羽生結弦などフィギュアスケート選手の名前があがってきたことが示すように、スケートをしたいと思う子どもの数が増えている。しかし、リンクが増えないことで、クラブに入りたくても入れないという競技にとって貴重な機会の損失が起きているのだ。

 東京も例外ではない。都内には通年リンクが明治神宮外苑アイススケート場、シチズンプラザ、東大和スケートセンター、ダイドードリンコアイスアリーナと4つあったが、今年1月、高田馬場にあるシチズンプラザが閉鎖された。3つの路線が利用できる高田馬場駅から徒歩7分という好立地で、存続を求めて活動していた「高田馬場スケートリンク存続を願う会」の資料によれば、クラブ員と近隣の大学スケート部員約350名など多くの人が利用していたことがうかがえる。

 また、東大和スケートセンターは施設の不具合により5月31日から休業し、再開のめどはたっていない。ここにもまた、拠点を置く指導者や選手たちがいた。

 さらにこの夏は、オリンピック・パラリンピック開催に伴い、明治神宮外苑アイススケート場も休業。再開は9月21日まで待たなければならなかった。

 スケートリンク自体が少ない上に、それぞれのリンクも利用者が多く、余裕がない。首都圏では昨年12月、千葉県に「三井不動産アイスパーク船橋」がオープンしたが、隣県とはいえ、都内からでは住んでいる場所によっては不便を伴う。

アイスリンクに競技が集中する現状

 そうした状況の中、開業までまだ時間がかかるとはいえ、新たに通年リンクができることは氷上スポーツにとってよいニュースだと言えるだろう。

 フィギュアスケートについて触れてきたが、例えばシチズンでは21のアイスホッケーチームやスピードスケートでも利用されていたように、アイスリンクは氷上スポーツ全体の練習場所ともなっている。

 例えばカーリングは現在、東京都の協会に1つのクラブが所属し活動している。都内では、明治神宮外苑、東大和で体験教室を開催したり、ゲームを行なったりしているが、フィギュアスケートと同様、この夏は大きな影響を受けた。辰巳アイスアリーナは選手の活躍により増えるであろうカーリングの利用も織り込んでいる。都内にもう1カ所増える意味は、カーリングの普及発展のために決して小さくない。

 2025年度開業が計画されている一方で、中間計画では課題も提示されている。最も大きいのは、年間運営費が約1億6500万円の赤字を見込んでいる点だ。

 東京都は10月20日まで運営計画への意見を募集するとしているが、運営費をどう改善、解決していくか、どう理解を得ていくのか、課題は山積みと言えるだろう。

問われるのは氷上スポーツのあり方

 それでも、アイスリンクが新たにできることの意味は十分ある。

 国内外の大会で活躍するスケーターであっても、キャリアを見ていくと、リンクの閉鎖などの影響で練習場所を求めて転々とした経験を持つことは少なくない。

 例えば樋口新葉は明治神宮外苑をホームリンクとしていたが、利用者数の多さから貸し切りは早朝や夜間になり、それだけでは足りずに複数のリンクを掛け持ちしていた時期があった。また、少し前の話になるが、濱田美栄コーチが指導する選手たちは、05年に京都のリンクが閉鎖となったあと、大阪、兵庫など方々へと足を運ばざるを得なかったことがある。

 リンクは不足し、氷上スポーツを楽しみたい人がプレーできる環境が限られる。そんな状況を改善する契機となるか。辰巳アイスアリーナの成否には、スポーツ施設がレガシーとして有効活用されるかという点だけでなく、東京五輪後の氷上スポーツのあり方も問われている。

文=松原孝臣

photograph by KYODO