10月3日、ミランのFWズラタン・イブラヒモビッチは、40歳の誕生日を迎えた。

 四十にして惑わず。『論語』にいう「不惑」を迎えたわけだが、そもそも自らを“神”と称するほど傲岸不遜の彼が、これまで不惑でなかったことがあるだろうか。

 先月、『フランス・フットボール』誌のインタビューで、イブラヒモビッチはこうのたまっている。

「天性の素質のみでいうなら、俺はメッシやC・ロナウドに決して劣っていない。俺のキャリアにバロンドール受賞歴がない? 受賞者リストの方が“イブラヒモビッチの名前がない”って嘆いているだろうよ」

 ライバルや監督、メディアに怪我……イブラヒモビッチは神様のはずなのに噛み付く相手を問わない。有形無形の森羅万象よ、俺様の前にひれ伏すがいい。

 波乱万丈のプロ生活は23年目を迎えた。イブラ神の誕生日を祝して、サッカー界を騒がせてきた数々の事件をふり返ってみたい。

1)ミハイロビッチ頭突き事件→マブダチに

 04年の夏、アヤックスから期待の大型FWとして22歳のズラタンが常勝軍団ユベントスへやってきた。剥き身のナイフみたいに全身から野心をギラギラ発散していた若き日のイブラヒモビッチは、名将カペッロの猛シゴキに耐え1年目から主力として台頭、2季連続スクデットに貢献した(※のちに剥奪)。

審判の判定に不満顔のイブラ様  ©Getty Images

 若さのエネルギーが暴発したのが、05年4月20日、インテルとのイタリア・ダービーだ。まず手始めに相手DFコルドバの首をぶん殴ってKOすると、次の標的は武闘派DFミハイロビッチだった。激しい競り合いの後、もつれ合って地面へ倒れ込んだイブラは、起き上がりざまミハイロビッチの顔面めがけて頭突きをくらわした。

 当然、悪童には3試合出場停止処分が下されたが、これをきっかけにイブラとミハイロビッチの間には男の友情が芽生えた。

2021年、ミハイロビッチとすごく楽しそう ©Getty Images

ともにバルカン半島を出自に持つ彼らは意気投合し、今では大の親友に。今年春にはイタリアの風物詩であるサンレモ音楽祭で共演し、タキシード姿で生放送デュエットまで披露したのだから、本当に人生というものはわからない。

2)俺様がどこでも勝たせてやる! スクデット請負人爆誕

 06年夏、ユーベが審判不正疑惑“カルチョーポリ”で解体されたとき、ズラタンには移籍先としてミランとインテル、2つの選択肢があった。

「インテルはもう17年もスクデットを勝ち取っていない。“怪物”ロナウドもバッジョもビエリもピルロもセードルフも誰一人成功できなかったことを俺様がやってやる」

 不倶戴天の敵への移籍はユベンティーノたちにとって許しがたい所業だったが、常人が及ばない境地のズラタンにはどこ吹く風。FWクレスポやFWアドリアーノらを押しのけて瞬く間にエース格にのし上がると、スクデット獲得の原動力に。次々にゴールネットを揺らすズラタンは、相手DFにとって悪魔に見えただろう。

インテル時代、CLでロベルト・カルロスと仲睦ましい様子 ©Takuya Sugiyama

 当時のインテル監督はマンチーニ(現イタリア代表)で、幸いなことに気心が通じ合った。

「マンチーニは“COOL”だった。選手の気持ちがわかる」

 最も苦しんだ07-08年シーズン、優勝争いは雨中の最終節パルマ戦へもつれこんだ。試合中、宿敵ローマ逆転の報に切羽詰まった指揮官マンチーニは、怪我を抱えたイブラ投入を決断。ズラタンは2ゴールを上げ、再逆転優勝の救世主となった。

 優勝決定後のロッカールームで感極まった指揮官が「ありがとう」と感謝すると、得意満面のズラタンは「プレーゴ(どういたしまして)」。言葉のニュアンスとしては、上から目線の“俺様が勝たせてやったんだぞ”が意訳として妥当だろう。

「俺様が行くところ、どこでも勝たせてやる。それが俺のメンタリティ」

 実際のところ、イブラヒモビッチはシーズン中からマンチーニにタメ口を叩いていた。両者の信頼関係あってのことだが、目上のはずの監督でも意に介さないのがイブラ流。並のプレーヤーにはまったくお勧めできない。

監督であるマンチーニにも「タメ口」だった ©Getty Images

3)得意のテコンドーで敵も味方もKO

 CLで勝てないインテルを飛び出たイブラは09年夏、当時世界最強を誇ったバルセロナへ。

バルサでは「ペップ戦術」とのソリが合わなかった ©Takuya Sugiyama

 しかし、まったくサッカー観の異なる戦術家グアルディオラ(現マンチェスター・C)と激しく対立。「次に会ったら絶対ぶっとばしてやる」と公言するほど憎悪を剥き出しにして、1年限りでミラノに舞い戻った。ただし、今度の入団先は赤黒ストライプのミランだ。

 29歳になっていたズラタンだが、新顔らしく大人しくしているはずがない。10年11月、秋深まるミラネッロ練習場にゴングが鳴った。

 練習中に激しいタックルを入れてきたDFオニエウに、テコンドーの達人イブラは黙っていられず、拳と膝蹴りで応戦。アッレグリ監督(現ユベントス)がすぐに制止しようとしたが熱くなった2人は聞く耳持たず。何しろ198cmの巨漢オニエウと195cmのイブラの喧嘩だから、チームメイト全員で飛びかかって、ようやく抑えることができた。

肋骨が折れた相手の“泣き”にムカついた

 大騒ぎの顛末は、イブラの自伝によると「最後は肋骨の折れたオニエウが泣いて許しを請うてきた。でもそれを見たら余計腹が立ってきた」。

 イブラは、ミラノ・ダービーでもヒートアップし、古巣インテルのDFマテラッツィ相手にどさくさ紛れで正面から右の前蹴りをお見舞いしようとしたことがある。VARのある今なら完全に一発退場ケースだ。

 それでも、当時の僚友だったガットゥーゾやインザーギは、イブラにビビるどころかむしろ面白がっていたというから、黄金時代のミランの選手たちもまた猛者揃いだったという他ない。

イブラ様にビビらず楽しめたというのだから、当時のミランのメンバーもすごい ©Takuya Sugiyama

4)怪獣映画なら大ヒット必至!「イブラ対ルカク」

 12年夏、イブラヒモビッチは資金難のミランからパリSGに放出された(そしてミランの低迷期は始まった)。花の都で4年過ごした後は、プレミアリーグに渡りマンチェスター・UでEL優勝。18年春には大西洋を越えて、MLSのLAギャラクシーに戦う場を求めた。

 その間、再建に失敗し続けたミランが、最後の頼みの綱として20年の年明けに呼んだのが、38歳になっていたズラタンだった。

 風貌こそすっかり仙人めいたが、その闘争心に衰えなし。今年1月26日、インテルとのコッパ・イタリア準々決勝で見せた、相手エースFWルカクとのド突き合いは大きな話題になった。

ルカクvsイブラ様。ただただ戦慄を感じる ©Getty Images あまりのド迫力ゆえか、「ルカクvsイブラ」はサンシーロ(ジュゼッペ・メアッツァ)近くの壁画となった ©Getty Images

 悪魔の形相のイブラが「小せえロバ野郎」と罵れば、悪鬼のようなルカクもイブラ夫婦を罵倒。睨み合う2人が互いに額をゴリ押しする一触即発の事態に陥り、周囲は試合どころではなくなった。ハリウッドのモンスター映画真っ青のド迫力だっただけに、コロナ禍による無観客試合だったのが本当に悔やまれる。

5)イブラ様、まさかの「おまえが謝れ」

 歳月と経験を重ね、酸いも甘いも噛み分けたイブラは、現在のミランの若手選手たちにとって身近な師であり、越えるべき壁であり、頼れる兄貴でもある。

 9月12日のラツィオ戦終了直後、ベンチで揉め事が起きた。ミランMFサーレマーケルスがラツィオ監督サッリを“老いぼれ”呼ばわりし、敵将は激昂したのだ。

 事態を察したイブラヒモビッチは、サーレマーケルスの首根っこをつかんで叱りつけ、サッリの下へ連れていき「年配者に敬意を払え」と謝らせた。大将たるイブラが規律と誠意を示したことで、礼を尽くしてくれたと意気に感じたサッリは快く矛を収めた。

サッリに詫びを入れるイブラ様 ©Getty Images

 ミランの選手たちは、イブラヒモビッチが決して“ウザい先輩”ではないことを知っている。

ズラタン様と日韓W杯の知られざる秘話

 ズラタンは小さい相手、弱き者を踏みつけない。

 彼が抗い、立ち向かってきたのは、つねに自分より大きな権威や強者だった。

 時代の要求に従って現代の選手たちは皆、お行儀良くなった。大言壮語でメディアもファンも楽しませてくれる、イブラヒモビッチのような選手は絶滅危惧種になった。SNSでバズるのとは、少しちがう。

「俺様は世界最高」「俺様は神」とうそぶく彼は、自分の根っこが故郷マルメの貧困街にあることをつねに忘れない。だから、シンパであろうがアンチだろうが、イブラの言動は一人ひとりの胸に響くのだろう。

 イブラヒモビッチは九州の宮崎に来たことがある、と言ったら、あなたは驚くだろうか。

日韓W杯でスウェーデンは優勝候補アルゼンチンに勝利するなど、躍進を見せた ©Sports Graphic Number/JMPA

 まだ荒削りだった20歳のズラタンは、02年日韓W杯を控えたスウェーデン代表の一員として、大会事前キャンプのため過ごした宮崎で汗を流した。キャンプ期間中に地元のアマ選抜チームと親善試合も行った。宮崎県総合運動公園には、FWラーション、MFリュングペリらとともにイブラヒモビッチのサインが刻まれた記念プレートがある。

ボロボロの体でも代表復帰した“サムライ”

 あれから20年弱が経ったが、老兵イブラヒモビッチはまだピッチを走っている。

 今年3月、EURO2016の後一度は引退したスウェーデン代表から、再びお呼びがかかった。代表監督アンデルソンは10月のカタールW杯欧州予選にイブラを招集した理由を「故障していることは承知しているが、いてくれるだけでチームのためになる」と強調した。

 満身創痍のイブラヒモビッチは、今年に入ってから5度目の大きな怪我にあたる左脚アキレス腱故障からの復帰を目指している。どう見ても弁髪なのに“サムライ”と呼ばれている長めの三つ編みをなびかせて、40歳のズラタンはボロボロの体に鞭を打つ。

2021年9月 ©Getty Images

 不惑になったズラタンは何を目指すのだろう。

 キャリアに欠けるCLのタイトルはもちろん欲しい。しかし、「CLがなくても俺は俺」と達観めいたことも言う。

 最近は「己こそ完璧だと虚勢を張る必要は俺にはない。ありのままであること。それが物事の真の有り様だ」とか宮本武蔵の『五輪書』みたいなことを言い始めた。

 我々は、イブラ神の啓示のままにサッカーを楽しむのみだ。

2001年 ©Getty Images

文=弓削高志

photograph by Getty Images/Takuya Sugiyama