涙と、そして笑顔が広がった。

 体操の村上茉愛は、北九州市で行なわれた世界選手権の最終日に平均台とゆかの2種目の決勝に出場。平均台で金メダルの芦川うららとともに銅メダルを獲得すると、代名詞とも言えるほど得意としてきたゆかでは金メダルを獲得した。

 18日のゆかの予選では、銅メダルを獲得した東京五輪決勝と同スコアの14.166点をマーク。

「オリンピックくらい、いい演技ができました」

 と満足気に振り返る好演技で、予選では首位に立つ。

 迎えた決勝。H難度の大技である「シリバス」を成功させたのをはじめ、まとまりのある演技を披露。最初に出た得点は13.966点だったが、「インクワイアリー」(問い合わせ=ジャッジに採点の確認を求めること)を行使。結果、14.066点となり、優勝を決めた。

 閉会式の後、会場でマイクを手にした。

「私は今日で引退します。最後の最後に金メダルで、感動を少しでも届けられたんじゃないかと思います」

 足を痛め、万全ではない状態での試合だった。その中での演技は金メダルという成績だけでなく、体操人生を締めくくるにふさわしい出来栄えだった。

五輪銅メダルの達成感

 もともとは東京五輪を集大成の場として見据えていた。

 オリンピックでのゆかでの銅メダルは、日本女子として57年ぶりの表彰台であった。自身が悲願としてきたオリンピックでのメダルを手にした瞬間でもあった。

「リオデジャネイロ(五輪)のゆかで7番になって悔しくて、『東京を目指そう』と決めて。あれから5年間やってきて、あきらめなくてよかったです。辛いこともある中で乗り切っての銅メダルは自分へのプレゼントかなと思います」

 のちにゆかの決勝の映像を見返して感じたのは、「これ、ほんとうに私?」だった。

「集中していてゾーンに入っている顔をしていて、『この人、かっこいいな』と思います(笑)」

 それほどの達成感があったため、自国開催ではあっても、世界選手権に出場すると簡単には言えなかった。

 オリンピックのメダルは確かに「自分へのプレゼント」にはなった。でも、まだ贈っていない相手がいるという思いが募っていた。

 1つは観客に対してだ。コロナのもとでのオリンピックは無観客での開催だった。

「無観客の試合が初めてで、空気感に戸惑いがあって……。お客さんがいて試合だ、という感覚があるので」

 もともと応援が励みになるアスリートでもある村上だから、違和感は少なからずあった。しかし新たに見据えた舞台に期す思いをこう語っていた。

「無観客が唯一の心残りだったので、有観客で試合がある以上、最後、皆さんに最高の演技を見てほしい思いがあります」

競技人生最後に観客に披露した会心の演技に、笑顔を見せる村上

応援し続けてくれた母の前で

 そしてその観客の中には母親も含まれていた。

 体操の道に導いてくれた母は、ずっと応援し続けてくれていた。2019年の世界選手権は怪我により出場できず、それからしばし経ち、コロナの感染拡大で練習の自粛をよぎなくされた。昨年春には母に思わず苦しい感情を吐露したこともあった。

「怪我のストレス、自粛のストレス、母に毒を吐くように、悪口を言うように、いっぱい言いました。『こんな状態で東京に間に合うわけないじゃん、東京があるかどうかも分からないし』って。

 でも母は受け止めてくれました。『うんうん』と受け入れてくれて、応援してくれて。支えてもらいました」

 五輪の選手村を出たとき、迎えに来てくれた母に「ありがとう」と伝え、首にメダルをかけてあげた。

 しかし、会場で直接その演技を見てもらうことはできなかった。今度こそ、見てもらえる。だから足を痛めていても懸命に調整し、出場種目も平均台とゆかに絞って臨んだ。それが今回の世界選手権だった。

 試合を終えて、村上は開幕前の抱負と同じ趣旨を交えつつ、こう振り返った。

「何のために世界選手権に出るか、体操を続けるのかを考えたとき、(オリンピックが)無観客であったことが唯一の心残りでした。たくさんの人に見せたいから頑張ろうと思えました。モチベーションをいただいたり、頑張ってねと言われることがすごく幸せな2カ月でした。声援がなければ続けられませんでした」

最後のゆかの演技を終え、万感の思いを胸に観客に応える村上

パリ、ロスでたくさんメダルを獲らせたい

 ピリオドを打った競技人生についての思いもひとしおだった。

「始めた頃は好きで楽しくて、ちょっとずつ成績を残して。高校生のときオリンピックに出たいな、メダルを獲りたいなと思ってから、すごく辛かったです。メダルを目標に掲げるのは簡単かもしれませんが、叶えるのは難しいことだと競技人生後半で実感しました。怪我もたくさんしましたし、成績が上に行ったり下に行ったり、気持ちが乗ってきたり、下がったり。でも、最終的にメダルを獲ることができて、最後のほうで成績を残すことができました。間違ってなかったな、ということを人の言葉で知ることができてよかったです」

 選手生活を終えても体操から離れるつもりはない。

「日本の女子も海外で戦えるようになってきて、今日の試合でも成績を残せました。全員が決勝に進めて、『(女子は)無理だろう』と思われたところを覆せたと思います。パリ、ロス(五輪)へ向けて、お手伝いができれば。たくさんメダルを獲らせたいし決勝に残るようにしたいです」

 日本女子の明るい未来を思い、広げたいと願う姿は、長年にわたり代表を牽引し、57年ぶりに日本女子体操界にメダルをもたらした第一人者の境地があらわれていた。

文=松原孝臣

photograph by Asami Enomoto