「原監督 私の用兵ミス」「原巨人V3消滅」「原政権ワーストタイ10連敗」

 9月から10月にかけて、スポーツ報知には連日そんな見出しが並んだ。8月29日、巨人が今季99試合目で4月1日以来の首位に立ち、チーム全員で神輿を担ぐ“わっしょいベースボール”でリーグV3へのラストスパートをかけるはずだった勝負の9月。4日の阪神戦(甲子園)にサヨナラ負けで首位陥落すると、5日の同カードでは6回の守備からキャプテン坂本勇人を下げて、6点リードを追いつかれ、まさかのドローに終わる。24日の阪神戦(東京ドーム)でも、最終回に同点に持ち込まれ痛恨の引き分け。さらに26日の敗戦で自力V消滅……。

 そして、10月5日からの1位ヤクルトとの三連戦にトドメの3タテを食らい、首位とのゲーム差は今季最大の8.5に広がった。事実上の終戦を迎えると、もはや神輿を担ぐ気力もなく、そこからチームは泥沼の10連敗と一時はBクラス転落も危ぶまれるほど急失速してしまう。

 8月終了時51勝37敗12分だったのが、9月を6勝14敗5分、10月は4勝11敗3分と正念場の2カ月を10勝25敗8分と大きく負け越し、最終成績は143試合61勝62敗20分の3位。通算15シーズン目の原政権において、勝率5割を下回ったのは4位に沈んだ06年以来2度目である。

 9度のリーグ優勝、3度の日本一と堂々たる実績を残してきた指揮官タツノリの憂鬱。確かに長い原体制(02〜03年、06年〜15年、19年〜)でも、ここまで想定外のアクシデントに見舞われたペナントレースはこれまでになかった。開幕直後の4月上旬には主力選手4人の新型コロナ感染が判明。15日には抑えのデラロサが米国の市民権手続きのためチームを離れた。24日にはローテ投手のサンチェスが右肩の違和感で抹消。補強の目玉、新助っ人スラッガーコンビがようやく一軍合流したと思った矢先、テームズはデビュー戦の神宮球場で外野守備中に右アキレス腱断裂の大ケガで即戦線離脱してしまう。5月に入っても負の連鎖は止まらず、8日にエース菅野智之が右肘の違和感で二軍へ。9日のヤクルト戦では坂本勇人が右手親指骨折、25日には梶谷隆幸が左太もも裏の違和感で抹消。それぞれ1カ月以上の長期離脱を強いられた。

令和の“消えた巨人軍現象”

 思い返せば、春の沖縄キャンプで原監督が獅子舞にかまれるマスコミ用撮影が毎年恒例となっていたが、21年は「今年からバトンタッチだ!」と岡本和真に大役を譲っていた(その岡本は「4番・三塁」でフル出場して本塁打と打点の二冠に輝いている)。

 当時、まさかのタツノリ獅子舞顔芸パフォーマンス引退かと一部で報じられたが、あのとき疫病退治で獅子舞に噛まれていたら……なんて後悔先に立たず。

 月が変わってもツキはなく、6月5日には打撃不振の丸佳浩の二軍再調整が決まり、10日オリックス戦で死球を受けた吉川尚輝も左手中指骨折でスタメンから名前が消えた。主力が立て続けにいなくなる異常事態に、こんな時こそ助っ人の力が必要だと思ったら、衝撃的な事件が起こる。交流戦終了後の17日、コロナ禍で家族が来日できないことを理由にスモークが電撃帰国してしまうのだ。煙のように消えてしまった左の大砲。ちなみに本件とは全然関係ないが、藤岡弘と水沢アキが遠征中の新幹線で消息を絶ったナインを追跡する78年放送の日テレドラマは、『消えた巨人軍』である。

 令和の消えた巨人軍現象はまだ止まらない。再調整を繰り返したエース菅野の状態は上がらず、助骨骨折が判明したセットアッパーの中川皓太とともに五輪代表を辞退する。8月には日本ハムから緊急トレードで、同僚への暴行問題により出場停止中の中田翔を獲得するも機能せず。後半戦に原監督が「最後のとりで」と救世主を期待した新外国人のハイネマンは、打率.160、本塁打なしという成績で体調不良のため9月末に帰国。日替わりスタメンの得点力不足に泣いた夏の終わり、ブルペンでは32試合連続無失点と覚醒した剛腕ビエイラの右肘違和感での離脱も響いた。

問題は原巨人の“負け方”

 結果的に主力陣が故障や不振に立て続けに襲われ、それをカバーすべく新外国人、FA、トレードとあらゆる補強策が空回りして、原巨人は力尽きた。原監督3度目のV3ならず。もちろん勝負事は永久に勝ち続ける事は不可能だ。いつかは負ける。ただ、問題はその負け方だ。第一次、第二次、第三次政権と原監督が率いるチームは、緊張の糸がぷつりと切れたような無惨な負け方をすることが多々ある。

 19、20年とリーグ連覇するも、ソフトバンクに対して2年連続での日本シリーズ4連敗は記憶に新しいし、第二次後期も14年のCSファイナルで阪神に4連敗を喫したり、15年も極度の貧打に喘ぎ終盤は力尽きるようにV4を逃した。基本的に原野球は補強を繰り返し、常に選手にハードな競争を促す。お前さんたち、立ち止まったら終わりだよ……的なカンフル剤を打ち続けて組織に刺激を与えながら突っ走る勝ち方なので、時間の経過とともに選手も(ファンも)疲弊してヘロヘロに息切れしてしまう印象だ。

 それに加えて、近年の原監督は球界への提言も積極的に行っていた。「セ・リーグにもDH制度の導入」「コロナ禍で来日が遅れる外国人選手の12球団合同トレーニング案」など数々の改革案や、今季は「誰かがそれを成功させると、次にはスタンダードになっていく」と中5日先発ローテに挑戦。さらに昨季から引き続き、「プロ野球選手はみんな限られた年数の中での個人事業主」と飼い殺しはせずに主力選手も果敢にトレードで放出。開幕前にはサウスポー田口麗斗が若手大型野手の廣岡大志との交換トレードでヤクルトへ。7月には炭谷銀仁朗を金銭トレードで楽天へ放出して驚かせた(皮肉にも、どこでも投げられる田口と百戦錬磨の捕手・炭谷の不在が勝負どころで響くわけだが……)。

 よく、これらのタツノリ改革案を「結局、巨人有利に戦うためじゃないか」と揶揄する声もある。だが、個人的には真逆だと思う。今季のときに不可解とも思える采配の数々も、こう仮定すると辻褄が合うからだ。数々の改革案に対して、周囲が思う以上に「原辰徳は本気だった」と。なぜなら、改革がガチだったからこそ、引くに引けなかった。だから、例えば自ら「まだ32歳、道を閉ざすことはしてはいけない」という大義名分のもとに獲得した中田翔を打率1割台でも使い続けたのではないだろうか。

すでに“球団史上最も勝った監督”だが…

 プロ野球に限らず、プロスポーツにおいては「勝利と育成」の両立が理想とされる。若手を使え、とよく言うが若手を使い続けて断トツの最下位に沈んだらファンは怒るだろう。あくまで勝ちながら育てることが求められる。だから、「勝利と育成」は難しい。にもかかわらず、原監督はさらに難易度の高い「勝利と改革」を自らに課したわけだ。重い、重すぎる十字架だ。やがて、その重みに耐えかねてチーム全体が軋み出した。「勝利と改革」は、さすがの原監督をもってしても無謀だったように思う。

 現在63歳の原辰徳は、通算1152勝。すでに巨人監督として偉大なONやV9指揮官の川上哲治を上回り、球団史上最も勝った監督になった。あらゆることを成し遂げ、もはやGM的な全権監督としてチームや野球界の「その次」を見る気持ちも分かる。ただ、多くの選手やほとんどのファンは「今」を見ている。ここに、決定的なズレがある気がする。観客は球場で実験ではなく、勝利が見たいのだ。いつの時代も改革の前提には、勝利がなければ大衆は納得しない。2021年の原野球にカタルシスが少なかったのも、その根本的な野球観の断層が原因ではないだろうか。

エクスキューズなしの原野球を見てみたい

 すでに来季の契約延長も報道されているが、前回勝率5割を切った06年オフ、雪辱に燃えた原監督は、もう一度根本的にチームのベースを作り直した。07年は高橋由伸を1番打者で再生し、故障がちになっていたエース上原浩治の抑え転向を決断して巨人再構築に乗り出す。投打の大黒柱のふたりは当時32歳。現代の坂本・菅野とほぼ同世代だ。なお、06年に内海哲也は24歳で初の二ケタ勝利をあげたが、今季同じくキャリアで初めて11勝を記録した高橋優貴も24歳である。もちろん既存の戦力の底上げだけではなく、FAで小笠原道大、トレードで谷佳知の獲得と補強の手も緩めなかった。

 今こそ、原辰徳はあの頃の初心に帰るときではないだろうか。そう、再び沖縄キャンプで獅子舞に噛まれることから始めるべきじゃ……というのは置いといて、その前に2021年のポストシーズンが待ち受けている。CSファーストステージは敵地甲子園での阪神戦だ。後継者育成も球界革命も、「勝利と育成」も「勝利と改革」もひとまず置いておこう。久々にシンプルに「勝利」のみを追い求める、エクスキューズなしの原野球を見てみたい。

『ジャイアンツ、やるじゃないか』

 昭和の選手時代は偉大なONと比較され「チャンスに打てないひ弱な四番」と大物OBや週刊誌から叩かれ続けながらも、80年代の通算本塁打数と総打点でセ・リーグのトップは若大将・原だった。つまり、背番号8は誰よりも批判されながら、誰よりも結果を残したわけだ。平成から令和にかけては、監督として圧倒的な結果を積み上げながら、相変わらずネットユーザーや広岡達朗からディスられるのもまた原辰徳だ。同時にいつの時代も「なぜタツノリの凄さを分からないのか」と擁護する熱狂的ファンが一定数存在する。その価値観の衝突にある種の“熱”が生まれるのだ。エンターテインメントとして、最も重要な見る者の心を震わせる狂熱である。賛否両論の中で突き進む嵐を呼ぶ男。今の球界でそういう強烈なキャラクターは原辰徳以外にいないだろう。

 だが、今季終盤の原采配に対しては、さすがのファンもアンチもどことなく冷めたような雰囲気が漂っていた。愛と幻想の左右病。自らを撃ち抜くマシンガン継投。もはや腹立たしいというより、抜け殻のように虚ろでどこか寂しかった。そりゃあないぜタツノリ……と。賛否以前に、恐ろしく空虚だったのだ。その終着地が10月の屈辱の10連敗である。だから、願う。こんな泥にまみれた時だからこそ、原監督にはポストシーズンの戦いでもう一度、原点を見つめなおしてほしい。

 遠く20年前の2001年秋、まだ権力も実績も何もなかった当時43歳の原辰徳は、悲願の監督就任会見でこんな印象的な言葉を残している。

「ジャイアンツファンだけではなく、アンチジャイアンツの人にも『ジャイアンツ、やるじゃないか』とアピールする野球をしていきたいです」

 See you baseball freak……

文=中溝康隆

photograph by Nanae Suzuki