2000年代の「PRIDE」全盛期、猛者揃いのヘビー級で無敵を誇ったエメリヤーエンコ・ヒョードルは、誰もが認める「人類最強の男」だった。その姿を追い続けてきたカメラマンの長尾迪氏が、自身の写真とともにヒョードルの圧倒的な強さを振り返る。

「人類最強の男」「60億分の1」「氷の皇帝」……。

 これらはすべて、エメリヤーエンコ・ヒョードルの通称である。日本最大の総合格闘技団体「PRIDE」。彼は常にその中心にいて、強さの象徴とされた。それまでのPRIDEヘビー級戦線は群雄割拠の様相を呈していたが、2002年にヒョードルが登場したことにより、一気に様変わり。彼は他者を寄せ付けないほど圧倒的で、絶対的な強さをもつ、完成された選手だった。それは2007年にPRIDEが終焉を迎えても変わらなかった。ヒョードルは2000年から約10年間無敗(高阪剛戦のアクシデントによるTKO負けを除く)を続け、まさに世界最強の男の称号を手にしたのだ。

アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとは3度対戦し、2勝

リングに垂直落下してもノーダメージ

 ヒョードルの身長は183センチ、体重は105キロ前後。ずんぐりむっくりの体型で、私が彼を初めて見たときは、くまのプーさんみたいな印象を受け、さほど強さを感じなかった。筋骨隆々の強者が集うヘビー級の中では、明らかに体格は劣っていた。だが、ひとたび試合が始まると、その印象は一転する。

 ヒョードルは柔道ロシア選手権、サンボヨーロッパ選手権などを制した実力者である。投げ技・寝技ともに力強く、加えて打撃のパワーとスピードは、MMAファイターとは思えないほどのセンスがあった。その中でも、相手を殴るパウンドの破壊力は凄まじかった。上から振り下ろすパンチはズシリと重く、相手選手の呻き声や嗚咽と共に、汗と血が入り混じった体液がレンズに付着したことは、一度だけではなかった。

ミルコ・クロコップにパウンドを叩き込むヒョードル

 ヒョードルの強さは攻撃力だけではない。2004年6月のケビン・ランデルマン戦で、私は彼のディフェンス力と体幹の強さをまさしく目の当たりにした。撮影する私との距離は1メートルあまり、ヒョードルはバックドロップ(投げ技)で頭から垂直に落とされたのだ。「ドスン!」と、その衝撃でリングが波打つほど。しかし、彼は何事もなかったかのように試合を続け、アームロックで勝利した。後に判明したことだが、ヒョードルは落下寸前に身体を反転させ、頭からではなく肩から落ちるように「受け身」を取っていたのだ。わずか1分33秒の出来事だった。

ああああ

 ヒョードルは試合中も、その前後も、感情を表に出すことはない。試合直前、彼は自分の手で下半身、上半身、顔の順番でポンポンと軽く叩き、リングへと上がる。その後は微動だにせず、じっとコーナーで試合の開始を待つ。選手紹介のコールを受けたときは、右手を小さくあげて、場内の観客へ軽く挨拶。テレビカメラを意識することもなければ、対戦相手を威嚇することもしない。淡々と落ち着き払っているのだ。勝ち名乗りを受けるときも、満面の笑みを見せることはない。常に冷静で、ぶれないのである。

ヒョードルの「渾身の一枚」を求めて

 ヒョードルは、撮影する側としては、絵になりにくい選手である。喜怒哀楽がはっきりして、その感情をむき出しにする選手の方が撮影しやすいのだ。当時はPRIDEの人気がピークで、一般誌でも格闘技特集を組むことが多かった。私も本誌『Number』で仕事をしていたのだが、「他誌では見たことのない表情を撮影してほしい」という依頼があった……。

ああああ

 私は無表情のヒョードルから、情感溢れる写真を撮影したいと考えた。私の狙いは「勝利に微笑むヒョードル」を撮影すること。リング上では他のカメラマンも同じような写真を撮るだろうから、チャンスは花道を引き揚げるときだろう。通常、スチールカメラが花道を追いかけて撮影することは禁止されている。生中継しているテレビカメラの邪魔になるからだ。私は事前に団体の許可を得て、花道での追っかけ撮影ができることになった。

 しかし、問題はどのようにしてヒョードルの表情を引き出すかだ。彼は英語を話さないし、私はロシア語を話すことができない。知っているロシア語は「ハラショー(素晴らしい)」「スパシーバ(ありがとう)」「ダー(はい)」だけ。この3つの言葉だけで、大歓声の中、はたして私は控室へ戻る笑顔のヒョードルの写真を撮れるのだろうか。

 試合当日、ヒョードルが勝ち、花道を引き揚げてゆく。私も彼を追いかけて先回りするが、テレビカメラが真正面に張り付いており、撮影できない。ヒョードルは花道右手の観客の声援に応えて、左手の観客にも挨拶しようとしたその瞬間、テレビカメラが追い切れずに正面のスペースが空いた。私はすぐさまヒョードルの真正面に入り、大声で「エメリヤーエンコ、ハラショウ!」と連呼した。彼がカメラを見て微笑む、渾身の一枚が撮れた。

ああああ

「氷の拳」が風を切って目の前に……

 私がリング外のヒョードルを撮影したのは数回だけだが、いつも物静かで穏やかな印象しかない。趣味は絵画と読書。取材の受け答えも丁寧で、言葉を選んで話をする。試合中に彼が発する、冷酷で青白い炎のようなオーラは感じず、選手というよりは、まるで哲学者のような、人間としての奥深さをもつ人だった。

 そんなヒョードルとの間に、忘れられない思い出がある。あるとき、パウンドの写真を撮影しようということになった。私が床に寝転がり、ヒョードルが上から私のカメラを殴るという、いわゆる選手目線での写真を撮ることに。彼も最初は笑いながら応じてくれたが、私は緊張感のある写真が撮りたかったので「もっと真剣にやってくれ」と通訳に伝えた。こちらの趣旨を理解したヒョードルは、すぐに試合モードになった。無表情で右の拳を振りかぶると、空気を切り裂く音とともに、パンチが目の前に……。彼が私にパンチを当てないことは分かっていたが、恐ろしかった。「氷の拳」で私の背筋が凍りましたよ。

ああああ

「60億分の1」の男がついに迎えた落日

 2007年、PRIDEはUFCに売却された。その際、トップファイター達はPRIDEとの契約が残っていたこともあり、UFCへと移籍。しかし、ヒョードルはUFCで試合をすることを選ばなかった。彼は新興団体を中心に試合を行い、その後も無敗を続けた。

ああああ

 2009年、ヒョードルはストライクフォースと契約を結ぶ。この団体は当時UFCに次ぐ世界2番目の規模を誇っていた(後にUFCが同団体を買収)。同年11月に試合を行い、2ラウンドTKO勝ち。このままヒョードルの連勝街道は続いていくかと思われた。しかし、翌年の2010年6月、PRIDEに参戦したこともあるファブリシオ・ヴェウドゥムの関節技(腕ひしぎ三角固め)に、まさかの一本負け。試合を見る限り、実力で負けたというよりも、ファブリシオの策にハマった試合だった。

 ヒョードルの次戦は2011年2月、このとき私は哀しい現実を目にすることになった。会場はマンハッタンに近い、イーストラザフォードにあるアイゾッド・センター。その日の夜は氷点下で、道路が凍結していたことを覚えている。ヒョードルの試合はメインイベント。この試合はアメリカのメジャーテレビで生放送もされた。対戦相手は198センチ、130キロのアントニオ・シウバ。シウバは足のサイズが33センチと巨大であることから「ビッグフット」とも呼ばれている。体格差はあるものの、関係者の間ではヒョードルが圧倒的に有利と思われていた。

 1ラウンドからヒョードルは前に出て攻めていくが、動きに往年の切れがない。パンチを被弾する場面も多く、体格差によるスタミナ切れも感じる。2ラウンドにはマウントを取られて、顔面にパンチの連打を受ける。出血と腫れによるダメージが痛々しいが、ヒョードルは何とかゴングに救われた。私はこんな彼を見るのはもちろん初めてで、3ラウンドはかなり厳しい状況になると思った。ヒョードルが勝つパターンをシミュレーションし、その瞬間を逃さないように準備していた。その矢先、ラウンド開始前にドクターが試合を止めた。ヒョードルの右眼が完全に塞がっており、これ以上の試合続行は不可能だった。

ああああ

最強の座を手放し、皇帝は引退への道を歩む

 試合後に両者のインタビューが行われ、ヒョードルがロシア語で言った言葉を、通訳が英語で伝えた。

「Time to leave(去る時がきた)」

 あの強いヒョードルが、ついにその時を迎えたのか……。

 試合に敗れた選手のコメントは、何度も聞いてきたが、このときほどショックだったことはない。その言葉の響き、もの哀しいヒョードルの顔は、いまでも私の脳裏に焼き付いている。

「世界最強の位置に自分はもう戻ることができない」

 ヒョードルはそう自覚したのだ。彼の表情が、その思いと決意の重さを物語っていた。この場に立ち会えたのも、格闘技を撮り続けてきた、ひとりのカメラマンとしての運命なのかもしれない。

ああああ

 2012年6月、ヒョードルはサンクトペテルブルクで、プーチン大統領らに見守られながら引退。最後の試合も彼らしいパウンドでKO勝ちだった。その後はロシアのスポーツ省の要職に就き、ソチオリンピックの聖火ランナーなども務めた。2015年大晦日、RIZINの旗揚げ戦で現役復帰するが、「人類最強の男」と呼ばれた最盛期の動きには程遠かった。

 2019年にヒョードルは再び引退を表明。ベラトール(UFCに次ぐメジャー団体)と3試合の引退ツアーを契約し、その年末には日本での引退試合を行った。しかし、コロナ禍の影響で引退ツアーは一時的に延期。今年の10月、モスクワでの引退試合があり、見事なKO勝ちを見せた。最後の引退試合に関する正式な発表は、まだない。

「スパシーバ、エメリヤーエンコ」

 私はヒョードルの最後の試合には、是非とも撮影に行きたいと思っている。撮りたい写真は一つだけ。

 引退の花道を笑顔で引き揚げてゆく姿。

 もちろん私は「スパシーバ(ありがとう)、エメリヤーエンコ」と連呼しながら、ヒョードルの最高の笑顔の写真を撮るつもりだ。

ああああ

文=長尾迪

photograph by Susumu Nagao