惜敗じゃなく、惨敗だ。

 クライマックスシリーズ最終ステージ。原巨人はヤクルト相手に連敗を喫し、崖っぷちの第3戦も2対2で引き分けて、あっけなく終戦した。しかも、第4戦の予告先発は一軍通算229登板すべて救援登板の高木京介と発表されていた。奇襲というか、京介。幻のプロ初先発。決して余力を残して負けたわけじゃない。要は投手運用が完全に破綻し、4番・岡本和真を故障で欠いた打線も最終ステージ3試合でわずか2得点と貧打に喘いでの完敗である。

 そして、同時に今季限りの現役引退を表明していた亀井善行の17年間の選手生活も終わりを告げた。さらば青春、こんにちは僕らの未来。これで巨人の生え抜き最年長は12月で33歳になる坂本勇人となった。時の流れは早い。“ジャイアンツの末っ子”のような立ち位置で十代で颯爽とデビューした若者が、すっかり主将の顔である。

2006年高校生ドラフト会議、繰り上げ1位で巨人から指名された坂本勇人。写真は青森・光星学院高の教室で ©Sankei Shimbun

 だが、このポストシーズンの背番号6は精彩を欠くプレーが続いた。阪神を破った甲子園から打撃の状態は最後まで上がらず、17打数2安打の打率.118、1打点、本塁打なし。守っては神宮第2戦の6回裏にイージーな悪送球でピンチを招き、結果的に4失点のきっかけを作ってしまった。その状態がチーム状況に直結する。ペナントでは負担や重圧をワリカンできていた岡本がいないと、すべては坂本次第。やはり、今の原巨人は“坂本のチーム”なのである。

「巨人はいつまでショート坂本勇人で戦えるだろうか?」

 同時にふと思った。「巨人はいつまでショート坂本勇人で戦えるだろうか?」と――。

 プロ15年目の今季は序盤に右手親指骨折で約1カ月の離脱があったが、117試合で打率.271、19本塁打、46打点、OPS.826。守備率.991はリーグ遊撃手1位で、守備指標も安定して高く、失策数もわずか4つだ。東京五輪では日本代表の正遊撃手として金メダル獲得に貢献、大会ベストナインにも選出された。昨季は右打者としては最年少で通算2000安打を達成。今季も過去に13人しかいない通算400二塁打を32歳9カ月の史上最年少で記録した。

 もはや築くキャリアが、令和のプロ野球史そのものだ。そんな“スペシャル・ワン”も2022年は、33歳から34歳になるシーズンを迎える。過去の名ショートストップたちは30代中盤を迎えたあたりから、体の負担を考え、または脚や肩の微妙な衰えから他ポジションで起用されるケースも多い。どんなスーパースターやアイドルも永遠ではない。人間、誰しも年を取る。坂本も十代から試合に出続けた勤続疲労に持病の腰痛とはもう長い付き合いだ。とは言っても、40発を放ちMVPに輝いた19年頃と比較するとややピークアウトした感はあるものの、それでもいまだに背番号6は球界屈指の遊撃手である。

宮本慎也は「プライドを傷つけられた…」

 そう、だからこそ、この男のコンバートのタイミングは難しい。なぜなら、監督はチームのストロングポイントであり続けた「巨人史上最高の遊撃手を動かす」決断を迫られるからだ。もちろん技術面だけでなく、守備時のリーダーシップなど精神面の影響力も含め、控えの若手選手とは大きな差がある。しかも、長年にわたりショートを守ってきたような選手は、たいてい自分の仕事場に強いプライドを持っている。例えば、坂本に請われ自主トレをともにしたこともある元ヤクルトの宮本慎也は、08年途中から三塁へ本格的にコンバートされた心境を、自著『意識力』(PHP新書)の中でこう書いた。

「開幕前、当時の高田繁監督に『サードの準備をしてくれ』と言われた時には、正直プライドを傷つけられた思いだった。(中略)だが、ベテランとなっていた自分が不満を表に出してしまっては、チームとしてまとまるものもまとまらない。チーム方針に従って三塁用グラブを用意し、春季キャンプでは三塁の守備位置でノックを受けた。開幕前にはバットのグリップや帽子のひさしの裏に『我慢』の二文字を小さく書き込んで、苛立つことがあってもその文字を見て表情に出さないように努めていた」

1994年のドラフトでスワローズ入りした宮本慎也。11年間ショートを守り、三塁転向。2013年に現役引退 ©BUNGEISHUNJU

 すでに37歳から38歳になるシーズンだったが、ショートは一番うまい選手が守るポジションという自負があった宮本は、三塁転向を簡単に納得することはできなかった。前年は131試合に出場して打率.300を記録している。まだ若いヤツには負けない。球団として次の世代への継承が必要なのは分かるし、一人前になるまで時間がかかるポジジョンなのも理解している。それでも、心底悔しかったのだ。そこから、宮本は三塁手として4年連続のゴールデン・グラブ賞を受賞して意地を見せる。

鳥谷敬は「ショートは想像以上に大変だ」

 ショートのまま死ぬか? 選手寿命を優先させて現実を受け入れるのか? 名遊撃手を悩ませる2つの選択肢。阪神時代に坂本と同ポジジョンでしのぎを削った鳥谷敬は、プロの世界でショートを守り続ける大変さについて、自著『キャプテンシー』(角川新書)の中で、こう語る。

2003年のドラフトで阪神入りした鳥谷敬。04〜19年まで阪神でプレー。16年半ばから三塁を守る機会が増えた。20年からマリーンズに、今年現役引退 ©BUNGEISHUNJU

「年間百四十数試合、ショートでフル出場するのは想像以上に大変だ。守備範囲は広いし、なにより気を抜く時間がない。ボールが飛んできてもこなくてもつねに動いていなければならないし、外野に飛んだ打球でも追わなければならないケースがある。ランナーがいれば連繫に走らなければならない。トータルで運動量がすごく多いのだ。体力も相当いるし、たとえ身体は使わないときでも、頭を働かせていなければならない。精神的にもタフでなければ務まらない。一年フル出場するだけでも相当きついと思う」

 そして、鳥谷は言うのだ。「そういうポジションを10年以上守り続けていることに、自分のなかでは誇りがある。ずっとやり続けたいと思っている」と。一方でプロは試合に出ることが最優先であり、たとえサードでもかまわないというクレバーな考えも併せ持っていた。鳥谷は35歳の16年シーズン終盤にやはり世代交代を進めたいチーム事情もあり、三塁でスタメン起用されている。この年、虎の名手は自己ワーストの打率.236と前年から5分近く落し限界説も囁かれたが、サードに完全コンバートされた17年は打率.293と復活。こちらも宮本と同じく、三塁手としてゴールデン・グラブ賞に輝いた。

坂本は「井端さんに聞きに行った」

 なお、2000年以降のセ・リーグのゴールデン・グラブ賞遊撃手部門は宮本4度(00〜03年)、鳥谷4度(11年、13〜15年)、坂本4度(16、17年、19、20年)、そして落合中日を支えた井端弘和が7度(04〜09年、12年)とほぼ4人で名ショートの系譜をつないできた(10年は広島の梵英心が、18年は広島の田中広輔が受賞)。井端の最後のゴールデン・グラブ賞は12年の37歳シーズンだが、この年は遊撃手で140試合に出場している。だが、39歳の14年に巨人へ移籍してくると、二塁手42試合、三塁手16試合、一塁手14試合、遊撃手14試合とすでに内野のユーティリティープレーヤー兼バックアッパーのような立ち位置だった。

 それでも、球界を代表する守備職人の加入は背番号6にとって大きな意味を持つ。当時、坂本本人にインタビューをする機会があったが、井端の存在をこう語ってくれた。

「ショートでボールを取る位置、スローイングに対するステップについては、井端さんに言ってもらうというより僕から聞きに行って、(自分が)アドバイスを取り入れられるか、考えていました」

 一見やんちゃな風貌だが、坂本は誰よりも野球に貪欲だった。ショートとして長く活躍するために、ヤクルトの選手が集まった自主トレに単身飛び込み宮本に教えを請うたように、井端からも必死に上達するヒントを吸収しようとしていたのだ。

「プロに入ってすぐ、周りにいる先輩がスーパースターばかりだったので、これはどうにかしてうまくならないとダメだと、プロじゃやっていけないと思いました。今でもずっと思っています。1球1球考えて、試して、また考えて……ずっとその繰り返しです」

松井稼頭央は「勇人の向上心に感心した」

 よく学び、よく遊べ。そのギラついたハングリーな野球小僧が、少年時代に憧れたショートストップが西武時代の松井稼頭央だ。メジャーリーグを経て、楽天では39歳の14年から三塁を守り、翌15年には40歳にして外野挑戦をしている。松井の自著『3000安打の向こう側』(ベースボール・マガジン社)によると、2013年春に開催された第3回WBCにおいて、ともに選出された井端や鳥谷、そして坂本らと“ショートの守備談議”を交わしたという。名手と呼ばれる彼らも、捕球するタイミングやスローイングの感覚など、それぞれが微妙に違う。世代を超えた交流で、松井もまた坂本の貪欲な姿勢に驚く。

「中でも感心したのが、勇人の守備に対する向上心です。生存競争が激しい巨人というチームで5年以上もレギュラーを張っているにもかかわらず『もっとうまくなりたい、上を目指したい』という向上心は、彼より10歳以上年上の僕も大いに学ばなければならない、と思わせるものでした」

©BUNGEISHUNJU

 昭和の時代はチームの垣根を超えて先輩に教わるハードルも高かったが、国際大会にプロが参加するようになり、球界の常識も変わった。第1回のWBCが開催されたのが2006年。高校3年生の坂本が巨人からドラフト1位指名された年にWBCは始まっている。つまり、88年生まれの坂本勇人は、若手時代から日本代表チームで偉大な選手たちから直接話を聞く機会に恵まれた走りの世代というわけだ。“スペシャル・ワン”は、才能と環境と時代が絶妙なタイミングで合致して世に出たのである。

監督・原辰徳「最後の大仕事」

 なお、坂本の先輩であり、前巨人主将の阿部慎之助は15年に36歳で捕手から一塁転向。その後も現場は毎年のように阿部の捕手復帰を目論んだが、背番号10の満身創痍の身体が悲鳴を上げ断念している。功労者である大黒柱のポジションがはっきりしない。その間、補強を含むチーム編成も後手に回ってしまった感は否めない。愛と幻想のシンちゃん問題。捕手に遊撃とポジションは違えど、いつの時代も偉大な前任者からの継承のタイミングは難しい。巨人はこの時の反省を生かすことができるだろうか。

 原監督は来季から新たに3年契約を結んだが、第2次政権時は「阿部の次のチーム」を作る前に電撃辞任してしまった。いきなり丸投げされ、苦しみあがきながら岡本和真という新たな主砲を育てあげたのは、高橋由伸監督である。

 2024年、タツノリの3年契約が終わるとき、坂本は36歳になっている(偶然にも、阿部が一塁転向した年齢だ)。その時、背番号6はまだ最前線で“生涯一遊撃手”としてショートを守り続けているのか、それとも別の守備位置で通算3000安打に向けてリスタートを切っているのか――。

 どちらにせよ、今度こそ未来に向けて「坂本のチームの次」を逃げずに作らなければならない。それが、坂本勇人を抜擢し育て、ともに歩んできた監督・原辰徳に求められる最後の大仕事になるだろう。

 See you baseball freak……

文=中溝康隆

photograph by Sankei Shimbun