日本が1−0で勝利した、11月16日のカタールW杯最終予選オマーン戦。その現地取材に赴いたスポーツライター飯尾篤史氏に、オミクロン株の発見前から非常に難しい状況の海外渡航についてレポートしてもらった(全2回/前編も)

 9年ぶりに訪れたスルタン・カブース・スポーツコンプレックスもまた、記憶の中の光景とは異なっていた。

 テニスコートが並び、サッカーコートが4面、ちょっとしたスタンド付きのものから、陸上トラック付きのものまである。さらにその奥に「モール・オブ・オマーン」という名の大型ショッピング施設が建っている。

©Atsushi Iio

権田も驚いていた練習場周辺の変貌ぶり

 日本代表の中にも僕と同様の感想を抱く選手がいた。

「前に来たとき、こんなのなかったですよ。バーって山があって、スタジアムだけポンってあった記憶が……」

 2012年11月にザックジャパンの一員としてこのスタジアムを経験している権田修一が、YouTubeで公開された「Team Cam」の中で驚きの表情を見せていた。

 オマーン入国2日目となる11月14日の夕方、日本代表のトレーニングに足を運んだ。

 日差しが強い日中は30度を超え、歩いていると汗が吹き出すが、夕刻になるとかなり涼しい。僕とMさんは30分かけて、徒歩でスタジアムに向かった。

街中ではストリートサッカーに励む若者が ©Atsushi Iio

 タクシーを使えば、所要5分くらいだろう。だが、地図を頼りに街を歩き、景色を眺めながら雰囲気を味わうことも、海外取材の醍醐味なのだ。

 これが南米ならば迷わずタクシーに乗るところだが、オマーンはUAEやカタールと並び中東ではかなり治安の良い国で、夜に出歩いてもトラブルに巻き込まれる心配はない。

マスカット市内の様子 ©Atsushi Iio

反町技術委員長に約2年ぶりの“リアル囲み取材”

 トレーニング前に、反町康治技術委員長の囲み取材が行われた。コロナ禍になって以来、Jリーグでも日本代表でも対面取材は行われなくなり、オンラインでの取材に切り替わった。だから、反町技術委員長をリアルで囲むのも2年ぶりくらいかもしれない。

“囲み取材”に対応した反町技術委員長 ©Atsushi Iio

 まずはオマーン戦に出場停止となった守田英正の所属クラブへの帰還について質問が飛び、28人という大人数を招集した狙い、前田大然の今シーズンの活躍ぶり、そして22年1月末に予定されているW杯アジア最終予選と話題が移っていった。

「具体的にはまだ決まっていないけど、その前に合宿をしたいと思っている」

 技術委員長によれば、国内組中心の合宿だが、ロシアリーグやスイスリーグはウインターブレイク中だから、橋本拳人や川辺駿も招集する可能性があるようだ。

 とはいえ、この時期は通常であれば国内組にとってオフ明けで、所属クラブの始動の時期と重なる。

「だから、調整が必要だよ。また俺が行脚して頭下げに行かないといけない。本当に大変な仕事だよ」

 ソリさんお得意の嘆き節で、囲み取材はお開きとなった。

 トレーニングが公開されるのは冒頭の15分だけだから、取材陣が見られるのは、ウォーミングアップや「鳥かご」と呼ばれるボール回し、パス&コントロールぐらいのもの。

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 練習場の外で待っていると、約1時間半後、トレーニングを終えた選手たちが続々と引き上げてきて、バスに乗り込んでいく。

地元の警備員が柴崎や南野、吉田を呼び止めた理由とは

 すると、地元の警備員が柴崎岳を呼び止め、スマホを取り出した。警備担当者が職務中に2ショット撮影をお願いするなんて、日本ではちょっとあり得ない。柴崎はその要望に笑顔で応じた。

 南野拓実と吉田麻也にも同様のおねだりをした彼は、撮影に応じてくれそうな選手に声をかけたというわけではない。

地元の警備員の写真撮影に快く応じる吉田麻也 ©Atsushi Iio

「柴崎、南野、吉田のファンなんだ。特に柴崎はファンタスティックで大好きだよ」

 リバプールに所属する南野や日本代表歴の長い吉田はまだしも、スペイン2部でプレーする柴崎のファンということは、18年のロシアW杯での活躍を見ていたということだろう。筋金入りのサッカーファンなのかもしれない。

オマーンの守護神がホテルで普通に取材を受けている!

 入国3日目、11月15日の昼間は、両チームの監督の前日会見に出かけた。

 会場として指定されたのは、我がホテルからタクシーで15分ほどの距離にある「ホルムズ・グランド・マスカット・アラディソン・コレクションホテル」という名の瀟洒な5つ星ホテルだった。どうやらオマーン代表はここに宿泊しているようだ。

 試合前日にスタメンを明かすのはブラジル代表くらいのものだし、健闘を誓わない監督もいない。だから、森保一監督も、ブランコ・イバンコビッチ監督も、会見の内容に特筆すべき点はなかった。

 会見後にロビーに出ると、オマーン代表の選手がインタビューを受けていた。

 ジャージーには18と書かれている。18番と言えば……大阪で行われた初戦で日本代表の前に立ちはだかったGKのファイズ・イッサ・アル・ルシェイディではないか。

©Atsushi Iio

 日本代表の場合、メディア関係者がチームホテルに立ち寄ることは禁止されているから、なかなか見られない光景だ。

 その様子をしばらく眺めていると、オマーンの守護神はピッチ上での険しい表情からは想像もできない照れ笑いを向けてきた。

 だから、こちらも満面の笑みを返しておいた。明日はお手柔らかに、と心の中でつぶやきながら。

日本では珍しいドライブスルーPCR検査へ

 16日に行われるオマーン戦のキックオフ時間は、20時だった。

 その日の昼間、僕とMさんには遂行しなければならない重要なミッションがあった。

 無事にオマーンから出国し、無事に日本に帰国するために必要なもの――。

 PCR検査である。

 病院のメドはすでに立っていた。もともとは、在オマーン日本国大使館が紹介している大型病院を訪ねるつもりだったが、ラッキーなことにホテルの並びに病院があったのだ。

PCR検査を実施した現地の病院 ©Atsushi Iio

 さらにありがたいことに、僕とMさんの共通の知人で、偶然にも同じホテルに泊まっているUAE在住のコーディネーターの女性が「その病院でPCR検査の陰性証明を出してくれますよ」と教えてくれたので、入国翌日に一度訪れ、日本の書類にサインしてくれることも確認していたのである。

 その「アル・ラファ・ホスピタル」の検査場は、日本ではなかなかお目にかかれないものだった。

 なんと、ドライブスルー検査だったのだ。

 病院の裏手の駐車場が検査場として使用されていた。

©Atsushi Iio

 3台ほど並んでいた車の後ろに並ぶと、僕たちの後ろにも車が付いた。つまり、車に挟まれた状態でしばらく待機していると、係の人が「こっちに来い」と手招きをする。

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 案内されたのは車とは別の窓口だった。そこで受付を済ませると、検査キットを渡された。反対側の小屋に入ると、医師が待っていた。そこから時間にして1分かかったかどうか、鼻の穴と喉に綿棒を突っ込まれ、あっと言う間に検査が終了した。

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「着席禁止」の貼り紙、でもサポーターは野太いコーラス

 キックオフの1時間半前、スタジアムへと続く道はすでに渋滞していた。その隙間を縫うように道路を横断するオマーンサポーターの背中を追って、スタジアムを目指す。

©Atsushi Iio

 この日のチケットは完売しており、3万4000人収容の半分にあたる1万7000人の観客が入る見通しだという。

 実際、座席にはひとつおきに「着席禁止」の貼り紙が貼られていた。

こんな感じで「着席禁止」マークがあったが…… ©Atsushi Iio

 オマーンのサポーターはそんなことはお構いなしに、バックスタンドに集結し、大きな塊となって野太いコーラスを奏で始めたではないか。

 ところどころ芝が剥げた、つまり、決して良コンディションとは言えないピッチに日本代表の選手たちが登場すると、バックスタンドを中心にブーイングが湧き上がった。

 とはいえ、そのブーイングは、例えばイランやサウジアラビアのサポーターが日本代表に浴びせるような強烈なものではない。ピッチコンディションには苦戦するかもしれないが、アウェイのサウジアラビア戦のように雰囲気に飲まれることはなさそうだった。

 20時、キックオフを告げる笛が鳴った。

 前半も半ばを過ぎたころ、なかなかパッとしない日本の攻撃を横目に、僕の意識は日本のゴール裏に傾き出した。早くも4人の選手がウォーミングアップを開始したからである。浅野拓磨、古橋亨梧、三笘薫のアタッカー陣と、左サイドバックの中山雄太だった。

 守備の選手がこの時間からアップをするのは珍しい。それに、三笘のアップのペースが明らかに早い。ベトナム戦に続いて左サイドの総入れ替えがありそうだ。

ハーフタイム中、三笘のダッシュを見てSNSを

 ハーフタイムに入ると、彼ら4人と、ベンチに控えていた選手たちがピッチでボールを蹴り始めたが、三笘はダッシュを繰り返したあと、ひとりロッカールームに戻っていった。

 これは間違いない――。

 そう確信した僕は、試合中はめったにSNSを使用しないのだが、前半の内容にヤキモキしているであろうDAZN視聴者に少しでも希望を届けようと、ツイッターでつぶやいた。

《ハーフタイムの練習を見ている限り、三苫薫に出番がありそうです(期待させて出なかったら、すいません)》

 慣れないことをするものではない。焦っていたのか、三笘の「笘」の字を打ち間違えてしまった……。

 後半のピッチに現れた選手たちの中に、やはり三笘の姿があった。

オマーン戦で左サイドを切り裂いた三笘薫 ©Getty Images

 ひと月前に所属クラブでハットトリックを達成したウインガーは、自身に期待されているタスクを理解していた。ファーストプレーで相手の右サイドを切り裂くと、その後も力強くドリブルを仕掛けていく。

 オマーンの守備が乱れ始めた。日本の攻撃ががぜん勢いづく。

日本に2連勝できるわけないよな、という空気

 ついにスコアが動くのは、81分のことだった。中山が相手からボールを奪い取って三笘に預けると、一気にスピードアップしてボールを中央に送り込む。

 飛び込んできたのは、伊東純也だった。伊東の左足がボールを捕らえると、ゴール裏からゲームを眺めていた板倉滉、鎌田大地、酒井宏樹が両手を挙げて喜びを表した。

 追加タイムを含めて残り10分。落ち込むには早い時間だったが、オマーン代表とスタンドのサポーターに広がったのは、諦めの色だった。

先制点に喜び合う伊東純也と板倉滉。スタジアムにはすでに諦めムードが漂っていた ©JFA

 ピンチらしいピンチを迎えることなく追加タイムの5分が過ぎたころ、日本の勝利を告げるホイッスルが鳴った。

 ピッチ中央で歓喜する日本代表チームを尻目に、バックスタンドに挨拶に向かったオマーン代表チームは、ブーイングを浴びせられた。

 しかし、スタジアムの雰囲気はどこかサバサバしていて、日本に2連勝できるわけないよな、といった納得の空気が漂っていた。

森保監督が一人ひとりとグータッチして

 そんな様子をひとしきり眺めたあと、急いでスタンドから1階の記者控室兼会見場に移動した。指揮官とマン・オブ・ザ・マッチの記者会見が始まるからだ。

 会見場に姿を現したのは、森保監督と殊勲の伊東だった。

 伊東は自身がMOMに選ばれたことに恐縮している様子だった。

「今日、個人的にはあまり良くなかったんですけど、チーム一丸となって走って、戦えた。勝てたことがすべてだと思います」

 会見が終了し、壇上から降りた森保監督は、日本のメディア7人(記者6人とDAZNの中継スタッフ)のもとに来て、一人ひとりとグータッチをして回った。そこでMさんが「本当に良かったですね」と声をかけると、「人生はすべて、生きるか死ぬかですから」という言葉を残して去っていった。

©Atsushi Iio

 森保監督が三笘投入を決断した頃、オマーンの隣国であるUAEのシャルジャで日本にとって喜ばしい状況が生まれていた。1時間早く始まったゲームで、オーストラリアが中国と1-1で引き分けたのである。

 これで日本はW杯出場ストレートインとなるグループ2位に浮上したのだった。

羽田の水際対策は、オマーンとは比べものにならない

 試合翌日の朝、原稿の執筆を中断して外に出た。前日に受けたPCR検査の結果を「アル・ラファ・ホスピタル」に受け取りに行くためだ。

 無事に陰性証明書をもらい、日本の書類にもサインしてもらった。

 これで帰国できる!

 1年半ぶりの海外渡航が、日本代表のアウェイ取材が、間もなく終わろうとしていた。

©Atsushi Iio

 深夜2時45分にマスカット国際空港を発った飛行機は6時間後、フランクフルトに到着。ソーセージやオムレツとともに1週間ぶりのビールを胃袋に流し込み、羽田への便に乗り込んだ。

 約24時間かけて戻ってきた羽田空港では、水際対策の関門が次々と待ち受けていた。

 PCR検査の陰性証明書の提示に始まり、ワクチン接種証明書の提示、PCR検査用キットの受け取り、唾液の採取、隔離中に使用するアプリのインストールと説明、誓約書の提出へと進み、検査結果を待った。

 オマーンに入国した際とは比べものにならないくらいの工程数がある。

 3時間かかると聞いて覚悟していたが、朝に到着した便だったため、入国者の数がまだ少なかったのだろう。思いのほかスムーズに進み、羽田到着から1時間半くらいですべてを終えた。

公共交通機関は使用できないので

 空港からの移動に公共交通機関は使用できない。一般的には高額なハイヤーを予約するところだが、ここでも僕には心強い味方がいた。

 もちろん、Mさんである。

 羽田空港まで自家用車で来て、駐車場に停めていたMさんに拙宅まで送ってもらおう、というわけだ。

 言い訳しておくと、インタビューでヨーロッパに行くときはもちろんひとりだし、19年10月にはひとりでU-22日本代表のブラジル遠征を取材している。

 ただ、今回はコロナ禍という特殊な状況で、しかもMさんの情報収集力があまりに高いので、これはもう頼ってしまおうと思っただけなのだ。

 もちろん、恩恵に与かっているだけではない。飲み物をご馳走したり、羽田空港の駐車場代を支払ったりして、感謝の気持ちは伝えている、さりげなく。

来年3月のオーストラリア戦は、果たして?

 数々の困難が想定されたコロナ禍の海外渡航だったが、振り返ってみると、幸運なことに、「羽田空港夕食事件」が最も想定外のアクシデントだった。

いくつかの驚きはあったとはいえ、オマーン現地取材は想像以上にスムーズだった ©Atsushi Iio

 さて、次の海外遠征は来年3月のオーストラリア戦になるはずだ。その前の1月、2月のホーム連戦は必ず勝利しなければ、今回のアウェイ連勝の価値がなくなってしまう。

 3月のアウェイゲームを迎えるとき、日本代表はどんな立ち位置にいるだろう。

 今回のアウェイ2連戦でベンチ外となった東京五輪戦士たち――前田、上田綺世、旗手怜央らはそのとき、ピッチに立っているだろうか。

 車の助手席に身を委ねながら、そんなことを考えていた。

文=飯尾篤史

photograph by Atsushi Iio