正月になると「初詣」「初売り」「仕事始め」「書き初め」「初釜」「出初め式」など、新年を祝う行事がそれぞれの世界にある。将棋界では「指し初め式」という行事が、毎年1月5日に行われるのが恒例である。例年の指し初め式の模様を紹介する。なお、2022年はコロナ禍のために簡素化されるので、次に記した本文の内容とは異なる。【棋士の肩書は当時】

 1月5日の午前11時30分。東京・千駄ヶ谷と大阪・福島の東西将棋会館に、棋士、女流棋士、プロ公式戦の担当者、観戦記者、将棋ファンなどが参集して「指し初め式」が始まる。

 東京ではそれに先立って11時から、将棋会館の向かいにある鳩森八幡神社の境内で、「将棋堂」の祈願祭が執り行われる。

 鳩森神社は平安時代の860年に創建され、千駄ヶ谷一帯の総鎮守として由緒がある。境内の小高い「富士塚」は、都内に現存するもので最古だという。

 1996年3月に羽生善治七冠が女優の畠田理恵さんと挙式した神社としても知られている。また、人気ドラマ『ロングバケーション』で主演した山口智子がキムタク(木村拓哉)に贈ったお守り札を発行していた。

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 写真は、1986年に建造された将棋堂の正面。奉納されている「王将」と彫られた大きな置き駒は、大山康晴十五世名人の書による。外側には駒形の絵馬が掛けられ、将棋の上達、家内安全、志望校への合格などを願う文言が書かれている。

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 写真は、将棋堂での祈願祭の光景。鳩森神社の宮司が祝詞を読んだ後、居並んだ主だった棋士たちが榊を奉じて、将棋界の隆盛を祈願する習わしである。

 11時30分からは、将棋会館4階の特別対局室で「指し初め式」が始まる。日本将棋連盟の会長が年賀の挨拶を述べた後、中央に置かれた1面の将棋盤で、出席者たちが1手ずつ指し継いでいく。いわば「リレー将棋」である。

 盤の前に最初に座るのは、時の竜王、名人の棋士、連盟会長という例が多い。その後は、特に順番はない。盤の近くに座っている人から、順繰りにペアで交代していく。棋士以外の出席者もいるので、通常は絶対にありえない対局光景が見られる。

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 写真は、2016年の指し初め式の光景。連盟会長の谷川浩司九段の前に座っている女の子は、連盟の子ども将棋教室に通っている児童。その可愛い対局姿を棋士たちが微笑ましい表情で見ている。右から、渡辺明竜王、郷田真隆九段、森内俊之九段、青野照市九段、島朗九段、佐藤康光九段など。

 タイトル保持者とその棋戦の担当者、若手棋士とベテラン観戦記者、式服をまとった鳩森神社の宮司と美しい装いの女流棋士など、いろいろな組み合わせが生じる。床の間側の上座に多く座る大棋士が、将棋ファンに上座を譲ることもある。

 アマチュアの中には、責任感から1分以上の長考(?)をしたり、緊張のあまり大ポカの手を指す人もいる。そんなときはベテラン棋士が「気楽に指しましょう」「その手は待ったですな」とにこやかに声をかけ、座を取り持ったりする。

 棋士は自分の一手に、年頭の思いを込めて指すが、技術的なことは別問題。数秒ほど考えて着手する。

肩書や棋力に関係なく、和やかな雰囲気で指し進められる

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 写真は、私こと田丸昇九段が現役最後として臨んだ2016年の指し初め式の光景。記念に盤側の人に写真を撮ってもらった。
 
 指し初め式では、プロとアマ、肩書や棋力などに関係なく、和やかな雰囲気で指し進められる。出席者は多くて40人ぐらい。全員が1手ずつ指しても、局面は中盤までしか進まない。30分ほどたった切りのいいところで「指し掛け」として、勝負をつけない決まりになっている。その後は、別室に設けられた新年会の宴席に移り、みんなで祝杯をあげる。

 大阪では関西将棋会館5階の対局室で指し初め式が行われる。将棋盤が何面も置かれるところが東京と違う。棋士たちはほかの盤に移って何手でも指せる。

 関西所属の藤井聡太四冠(竜王・王位・叡王・棋聖)は、これまで10代の学生だったので、指し初め式に欠席していた。2022年は最高タイトルの竜王の保持者として、出席が期待された。しかし、渡辺王将に挑戦する王将戦第1局を数日後に控えていたことから、やはり欠席したようだ。

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 将棋界の指し初め式は、年頭の厳かな儀式という雰囲気はない。棋士仲間や関係者の新年会といえる。別の見方をすれば、厳しい勝負に明け暮れる世界なので、正月ぐらいは勝負を忘れてくつろぎたい、という長年の慣習による。

 1980年代の指し初め式では、千駄ヶ谷駅前の広場に大盤を平らに設置して誰でも自由に指したり、将棋会館の玄関前で搗きたての餅や升酒を来場者にふるまった趣向もあった。

 なお、冒頭で記したように、2022年はコロナ禍の状況によって、祈願祭と指し初め式への出席は棋士と女流棋士に限定されて新年会もない。

2022年の指し初め式の様子 ©日本将棋連盟※代表撮影

 囲碁界でも1月5日に「打ち初め式」が行われる。棋士や関係者のほかに、囲碁ファンも会費制で参加するイベント形式が通例だった。

 将棋界の指し初め式は、1月5日が日曜日だと6日に変更される。囲碁の打ち初め式は、曜日に関係なく1月5日に行われる。「囲碁(いご=15)の日」という記念日だからだ。

年男になる主な棋士たち

 今年の干支は「寅(トラ)」。盤上では「虎視眈々」と好機を狙い、「騎虎の勢い」で勝利を目指してほしいものだ。寅年生まれの主な棋士たちを紹介する。

 今年の誕生日で72歳は、私こと田丸九段、淡路仁茂九段、同じく60歳は谷川九段、中村修九段、同じく48歳は三浦弘行九段、鈴木大介九段、同じく36歳は金井恒太六段など。

 田丸以外は、タイトル戦で獲得・挑戦の実績がある棋士ばかりだ。

 私は30代・40代で年男を迎えたときは、それを機に公式戦の対局で頑張ろうと期したものだ。70代の年男の今年は、健康に暮らしたいと思うばかりである。

文=田丸昇

photograph by Kyodo News