#2に引き続き、エディー・ジョーンズ×トム・ホーバスのスペシャル対談《加筆増補版》をお楽しみください(#1へ戻る)

 現代のスポーツ界には、情報があふれている。

 ラグビーでいえば、選手のジャージにはGPSが装着され、練習、試合中にどれだけ活動していたのかが数字で示される。1990年代に活躍していたFWの選手が苦笑いしていたことを思い出す。

「もう、サボれないですね」

 バスケットボールでも、どの地点からのシュートが決まったか、チャート上で〇と×が示され、選手たちの情報は瞬時に世界で共有されてしまう。

 エディーさんとトムさんのふたりは、データを駆使したうえで戦術を立案し、世界で成功を収めた指導者だ。

エディー 対戦相手が決まり、戦略を立てるためには裏付けが必要です。つまりは、データを重視することになります。2015年のW杯で戦うために、選手たちにはフィットネスとストレングスの数値を示し、到達することを求めました。朝5時からの「ヘッドスタート」によるトレーニングはこのエリアの補強を目指したものです。また、チーム全体においては、試合を重ねていくことでアタックの方向性を最適化する。たとえば、キックとパスの比率を意識することでゲームをデザインしていきました。W杯の前、日本の最適化されたアタックはパス9に対してキック1の割合でした。

 あの時のW杯で南アフリカは、日本がどんどんアタックしてくると予想したはずです。南アフリカという国は、国そのものの歴史、そしてラグビーの歴史を振り返ると、「守ること」を好む国民です。ただし、単に守っているだけではない。守りつつ、ハードヒットによって相手にダメージを与えることを好むのです。ハードタックル、ターンオーバー、そこからカウンターアタックを仕掛ける。これが彼らのイメージだったはずで、だからこそ、あの試合ではパスでのアタックの割合を減らし、キックを蹴って、相手に攻めさせることを選んだのです。彼らは、戸惑っていましたね。

15年ラグビーW杯・南アフリカ戦の終盤に逆転トライを決めた日本代表。南アCTBジェシー・クリエルの呆然とした表情が、その衝撃を物語っている ©Getty Images

 つまり、自分たちのスタイルをデータによって導き出す一方で、相手によって戦い方を変えたわけだ。エディージャパンではそれが奏功したわけだが、東京オリンピックのバスケットボールの女子日本代表は、3ポイントシュートに特化したチームを作った。

ホーバスが目指したバスケットボール

 オリンピックでの3ポイントシュートの試投数、成功数、成功率はいずれもナンバーワン。アメリカのESPNのコメンテーターであるザック・ロウは、日本代表を「NBAのウォリアーズとロケッツから生まれた子どものようだ」と表現した。いずれもデータを重視しているチームで、特にウォリアーズは大きなセンターに頼らず、外から3ポイントシュートを雨霰と降らせて、頂点を極めたチームだ(今季も好調)。トムさんはウォリアーズのスタイルを代表に持ち込もうとした。

トム 私が女子代表のヘッドコーチになったころ、ウォリアーズがNBAを制し、王者にふさわしいスタイルのバスケットボールを披露していました。2017年当時、世界の女子バスケは3ポイントシュートとスペーシングについて、男子と比べるとずいぶん後れを取っていました。

3P多投の近代NBAを象徴するステフィン・カリー(ゴールデンステート・ウォリアーズ) ©Getty Images

 21世紀になってずいぶん時間が経っているのに、女子は男子の1980年代や1990年代に流行したパワーバスケがまだ幅を利かせていたんです。センターがインサイドでゴリゴリとスペースを獲得して、ゴール下で点を重ねていく。背の低い日本は、それをやられたらおしまいです。

 だったら、戦い方を変えようと考えました。分析を進めていくと、日本の女子はウォリアーズが展開したようなスタイルが合っているし、実際に転換可能でした。彼女たちのシュート成功率はもともと高かったからです。つまり、日本はいち早くパワーバスケから脱却し、女子のスタンダードを世界に示せると信じたし、だからこそ金メダルを獲れると思ったのです。

エディー トムの言うように、現代のコーチは数値に基づいたゲームモデルを提示する必要があります。そのプランを実現するために、フィットネス、ストレングスを強化し、工夫した練習メニューに落とし込む。ラグビーとバスケットの共通点は、20cmほどの身長差があるならば、それは試合においては決定的な差になりかねず、そこを克服するには、ディテールにこだわって準備を重ねていくしかないということです。

トム エディーさんの言う通りですよ。ディテールこそがすべて。1990年代、私はトヨタ自動車で国際マーケティンググループの仕事に就いていました。とても印象的だったのは、トヨタの車作りというものが、徹底的にディテールにこだわっていたことです。ドアを閉めた時の音を最小限にする技術や、ハンドルを握った時の感触など、細部にとことんこだわる。これは素晴らしいと思いました。

エディー それこそ日本の産業の特色でしょう。

トム ところが、先ほども言った通り、バスケットボールとなるとディテールが消え去っていたのです。コーチングが未発達だったんですよ。適切なコーチングさえあれば、日本は世界と戦えることが証明できたことも、私としてはうれしかった。

エディー 日本人をコーチングする喜びは、まさにそこにあります。隠された能力を引き出し、勝負できるディテールにこだわったツールを与えれば、日本人は世界の舞台で十分に戦えるのです。

主力2人の負傷「たしかに、ピンチでした」

 東京オリンピックに向けて、女子日本代表への期待はそれほど高まらなかった。なぜなら、2019年のアジアカップのMVPである司令塔の本橋菜子、長らく日本代表の顔としてチームをけん引してきた渡嘉敷来夢のふたりが2020年の暮れに大怪我を負い、出場が危ぶまれたからだ。

 しかし、主力2人の故障はヘッドコーチに新たな発見をもたらした。

銀メダルを喜ぶバスケ女子日本代表 ©Asami Enomoto/JMPA

トム たしかに、ピンチでした。2020年の11月に本橋が膝の靱帯を損傷し、今度は12月に日本代表で唯一の190cm以上のプレーヤーだった渡嘉敷が靱帯を断裂してしまいました。これは本当に痛手でした。本橋はオリンピックまでには戦列に復帰できる見込みでしたが、それでも本来の75%ほどの力だろうと。そして渡嘉敷の負傷によって、ディフェンス・システムの変更を余儀なくされました。渡嘉敷がいなくなれば、ゴールに近いペイントエリア(注:3秒ルールが適応されるエリア)を守る選手がいなくなってしまったからです。

エディー そうなると、ディフェンス面でも積極策を採らざるを得なくなったのではないですか?

トム その通りです。仕掛けが必要になりました。相手が日本の弱点であるペイントエリアにボールを運ぶ前に、トラップを仕掛けるなどして、相手オフェンスのリズムを狂わせることにしたのです。これが功を奏しました。チームが渡嘉敷の穴をスピード、そして1対1の局面でも相手に負けないようにしつこいディフェンスを徹底しました。渡嘉敷の不在をチームワークで埋めることが可能になったのは、私にとって驚きであり、選手たちの新しい能力を発見し、目を見開かされる思いでした。おそらく、彼女が戦列に復帰したとしても、新しいシステムに適応しなければならなかったと思います。

 ふたりはいま、新しいことにチャレンジしている。

 トムさんは男子日本代表のヘッドコーチへと転身し、11月にはW杯2023のアジア地区予選ウィンドウ1で初めての指揮を執った。日本は中国と対戦し、63−79、73−106と連敗スタートとなった。

トム 日本の女子は世界ランキングのトップ10の常連でしたが、男子は30位台。女子と同じように金メダルを目標に掲げることには無理があります。私の仕事は、選手たちとの関係性を築くことから始めています。11月の中国戦の前には、合宿でいい練習ができていました。ところが、試合ではその力を発揮できなかった。なぜか? メンタルかもしれないし、他の原因かもしれない。次の合宿ではもっといい内容の練習をして、選手たちに自信を持たせたい。

 私のことを「女子の指導しかしてこなかったじゃないか?」という人もいますが、私にとってバスケットボールのチームのコーチングは、選手とコミュニケーションを図り、最適な戦術を練習によって落とし込む。男女の差はないんです。私はこのチャレンジを楽しんでいますし、自信をもって仕事に臨んでいます。

今度は男子日本代表を率いることになったトム・ホーバス ©AP/AFLO 積極的な若手起用など、23年W杯に向けてイングランド代表の強化を進めるエディー・ジョーンズ ©Getty Images

 エディーさんは2年後にW杯フランス大会が控えているが、イングランドは11月には、トンガ、オーストラリア、そして南アフリカにも際どく1点差で勝ち、秋のテストマッチを全勝で終えた。

エディー W杯の頂点に立つために、アタックではより積極的な姿勢、マインドセットを植えつけていきます。そして組織の活性化のためにも、リーダーシップグループの再編は必要でしょうね。頂点を目指すからには、組織のダイナミズムが欠かせませんから。それにしても、トムが男子の代表を率いるのが本当に楽しみになりました。

トム それはうれしいな。今後もいろいろとコーチングについて語り合いましょう。

エディー 日本の選手は打てば響く。それが日本でコーチングすることの喜びです。 《#1、#2から読む》

文=生島淳

photograph by Naoya Sanuki/JMPA