昨年末の全日本選手権で圧巻の優勝を遂げた羽生結弦選手。発売中のNumber1043号フィギュアスケート特集では、羽生選手をはじめ北京五輪に臨む日本代表のスケーターたちの、今季の戦いを振り返っています。
 同号に収録した「アーティストが語る羽生結弦歴代プログラムの美」では、同じ1994年生まれの世界的ピアニスト・反田恭平さん(27歳)にインタビュー。羽生選手の代表的なプログラムの一つである『バラード第1番』を見ての感想を語ってもらいました。誌面に掲載できなかった内容を本記事では紹介します。

 昨年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで反田恭平がこれまでの日本人最高位タイとなる2位の快挙を達成した。何よりも「“ショパンが好きなんだよ”ということを伝えたかった」と臨んだコンクールでは大きなプレッシャーを感じながらも、全身全霊を傾けた演奏で魅了した。

「15年前から憧れていたステージでしたから、最高ですよね。パリコレにでたいと思っていた人が、パリコレのランウェイを歩いているようなもので」

 ファイナルではオーケストラとぴったりと息のあった演奏を披露し、最後は観客のスタンディングオベーションを受け、喝采を浴びた。

 そんなクラシック界の若き天才が、今回、発売中のNumberフィギュアスケート特集で羽生結弦の代名詞と言われるプログラムの一つ、ショパンの『バラード第1番』について語っている。

「同じ年なのでちょっと悔しいな〜」

 その取材の数日前、反田は第9回ショパンコンクールで史上最年少優勝を果たしたクリスチャン・ツィメルマンに会ったという。その彼こそ、羽生の『バラード第1番』を演奏した人物である。偶然とはいえ、何か不思議な縁を感じた。

「すごく柔らかい印象があるなかでも核となるシーンがしっかりとありますよね」

 8年前、当時留学していたロシアで見た同学年・羽生結弦のソチ五輪の演技を今回映像であらためて確認して、反田はそう懐かしそうに振り返った。

『バラード第1番』を演じる羽生。過去4シーズン、同プログラムで数々の名勝負・名演技を見せてきた ©Asami Enomoto

「ロシア人にとっては国技のようなもの」というフィギュアスケートの話題は、当時在籍していたチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院の授業でも度々上がっていた。なかでも羽生はロシアでも知られた存在だった。

「誇らしい反面、やっぱり同じ年なのでちょっと悔しいな〜という気持ちもありましたね。それに、ジャンプの度に観客に拍手をいただけるのもちょっとずるいなって(笑)。でも、世界で戦うその姿はやっぱり見ていてカッコいいなと思います、本当に尊敬でしかないです」

 過去複数シーズン演じているこの『バラード第1番』は、元々有名な曲だ。しかし、羽生が演じたことでより多くの人に知られるようになったことを反田はしみじみ実感している。

「それまでまったくクラシックに興味のない方にも届けてくれたのが羽生選手のあのプログラムでした。よく『羽生くんの曲ですよね』と言われるんですよ」

「(羽生選手は)ショパンをしっかりと理解している」

 叙情性に満ちた美しい旋律が印象的な『バラード第1番』は、ショパンのバラードで初期の代表作。テンポや調性の変化によって、人の心に訴えかける傑作は、ピアニストでも完璧に消化するのは難しいと言われている。

「僕も作品の背景を調べた上で演奏していますが、『バラード第1番』は、ドラマティックで、激動のドラマが繰り返される作品。途中、短調から長調に変わるところでは、祖国ポーランドを大切にしていたショパンの自分の生い立ちや未来を描いている。さらに中間部分の美しいメロディでは、長調のところでポーランドに抱いている幻想やファンタジーを表現し、それが現実だったという気づきもある。最後の熱烈的なコーダでは、あれはもはや夢だったのかもしれない、幻想だったのかもしれないというところで曲が終わるんです。そういったストーリーはピアニスト視点としては壊されたくない世界観なんですが、羽生選手の演技を見ていると、そういったものをしっかりと理解していることが伝わってくる。編集も相当考えられているなと感じますね」

 また、羽生は作曲家のみならず、演奏者の“音”にも寄り添い、表現を追求してきた。

 最高得点(当時)をたたき出した2015年GPファイナルでは、様々なピアニストの『バラード第1番』の演奏を聴いたなかで、一番しっくりきたというクリスチャン・ツィメルマンの演奏を選び、細部まで研究したと語っている。

 フィギュアスケートのプログラムでは時間の制約で流しきれない原曲の部分も消化し、完成度の高いプログラムに作り上げた『バラード第1番』を、反田もNumber本誌のインタビューで認めている。

“サムライヘア”は緻密な戦略

 羽生結弦と反田恭平は同じ1994年生まれの27歳。2人はともに各々の世界を牽引する存在だ。共通点は同じ年、世界で活躍する存在というだけではない。

 そこに辿り着くための努力はもちろん、緻密な計算や戦略を立てて実行に移し、自身の目標を達成して成功を掴んでいる。

 反田も5年に1度の開催(今回はコロナ禍のため1年延期した)のショパンコンクールに挑むにあたって、緻密な戦略を練り上げた。

「とりあえず、まずは人に覚えられること。海外の人にとっては“恭平”という名前も発音が難しいようで、コンクールでも最後に2位と発表されるときまで“コウヘイ”と言われたんですよ(笑)。とりあえず、名前や顔よりも、国籍と出てきたときに印象に残るものを植え付けほうがいいと考えました」

 髪は後ろで一つにまとめ“サムライ”と覚えてもらえるようヘアスタイルにもこだわった。

 ホールで響く音が出せるような体作りも行った。

 留学中に体格の良いロシア人学生とのピアノの響きの違いに驚き、ジムに通った。筋トレで体幹を鍛え始めてからは、音量が大きくなったと言われることも。さらに理想の音を求めて体を追い込んだこともあった。昔から「疑問が多い子どもだった」というが、マッチョになったらどんな音になるのか、自分で体感しないと気がすまなかったという。

「ピアニストがあまりやらないようなバーベルを上げるトレーニングを行ったり、スクワットも鬼のように繰り返しました。でも、上腕二頭筋、三頭筋と背筋、胸筋を鍛えすぎて、音が硬い感じになってしまって、これはちょっとまずいなと。おじいちゃんやおばあちゃんの手はふくよかで柔らかいですが、彼らのような脂肪分や筋肉が落ちかけたところの方が、音楽がダイレクトに伝わるんです。要は、深くて温かい音がするんですね。それがショパンコンクールで僕に必要で、腕の筋肉も備わっていたのでトレーニングはそこまでにして」

羽生結弦で「見たい」と思う楽曲は?

 また、コンクールに挑むにあたり、何日間もかけて前回、前々回の800名分のリストアップをし、誰が何を弾いたのか、1位の人は何を弾いたのか、4000曲分程度の正の字を書いて分析した。

「もしショパンが生きていたら、なかなか友達になりにくいタイプの人間だったでしょうね。ただ、ショパンは仲良くなれたら本当に家族や恋人のように扱ってくれる。でも、僕はそこまでいく自信がなかったので、歩み寄るしかなかった。人生において1度は1人の作曲家と真摯に向き合って、共に過ごすというわけじゃないですけど、ずっと演奏する生活を送ることで1つの境地、世界が見えるんじゃないかなと思ったんです。それが音楽家としてもすごく勉強になるなと考えました」

 ピアノとフィギュアスケート、活躍する舞台は異なるが、羽生と反田、2人が各々の世界で追求し続ける姿が重なる。

 今季、羽生はSPで『序奏とロンド・カプリチオーソ』を演じている。

「かなり悩んで、羽生結弦っぽい表現、羽生結弦にしかできない表現ができるショートプログラムがどんなものがあるかなと思って、ずっと探していました」(羽生)と、この曲を選んだ。2019−2020シーズン以来となるピアノ演奏による曲に周囲も大きな期待を寄せる。

 ちなみにピアニストの反田ならどんな曲を見たいと思うのだろうか?

「エドヴァルド・グリーグとか……、あとはフランスの音楽、モーリス・ラヴェルなど印象派の音楽も似合うんじゃないかな。ただ、“ここ”という盛り上がりに少し欠けるのでフィギュアスケートのプログラムで使用するには少し難しいのかもしれません。個人的にはモデスト・ムソルグスキーの『展覧会の絵』とかも見てみたいですね」

文=石井宏美

photograph by Asami Enomoto