発売中のNumber最新号は、1年ぶりの将棋特集となる「藤井聡太と最強の一手」。棋士やその姿を間近で見た関係者へのインタビューで、藤井聡太竜王の異次元の強さと素顔に多角的に迫っている。

 編集作業の真っ只中に行われたのが、藤井竜王が五つ目のタイトルを懸けて渡辺明王将に挑む王将戦第1局だった。この対局を描いたのが北野新太さんの巻頭記事「激しく美しい1年の始まり」である。藤井竜王が「以前より食べられるようになってきたかもしれないです」と苦手なキノコを克服しつつある、という話題の中で彼のこんなコメントが紹介されている。

「少しずつでも前進している感覚があると楽しいんです」

 キノコだけでなく、彼の将棋に対する考え方にも通じている言葉だ。それを象徴していると感じたのが王将戦第1局の1日目に差された▲8六歩である。居合わせた棋士たちが驚愕したという一手だ。立会人の森内俊之九段は現地の解説で「もしこれがいい手なら、藤井竜王は未来の感覚を持っていますね」と話したという。対局後、「相掛かりでは部分的に出る手。やってみようと思いました」と藤井竜王が話したとおり、以前から温めていたであろう研究手を大舞台で披露したのだった。

 対する渡辺王将は長考に沈み、応手にかけた時間は91分。のちにブログで「新時代の手という感じで1日目の昼から大長考を余儀なくされました」と振り返っている。この手の善悪は素人目にはわからない。だが現代将棋の常識に立ち向かっていくような▲8六歩には明らかに藤井竜王の「自分の将棋を前進させよう」という意志が込められていたように感じた。

「金は守りの駒」が常識なのに…

 三枚堂達也七段、高見泰地七段、八代弥七段が藤井竜王の絶妙手を語り合った座談会「藤井聡太の“最強の一手”とは?」でも、彼が他の棋士が持つ常識を越えていることを示す言葉が並んだ。「思いつかない指し回し」(高見)、「藤井さんの感覚はいまもわかっていません」(八代)などなど。中でも昨年11月に行われた王将戦挑決リーグの羽生―藤井戦を例に挙げた三枚堂七段の言葉には唸らされた。

「普通は玉の守りに使う金を四段目に出るのはよくないんですが、藤井さんはこうやって押さえ込む、これが藤井将棋なんです」

 金は守りの駒であることが常識だ。彼はそれに囚われることなく、玉から金を離したうえ、じき優勢を築きあげ、勝利を収めた。勝負の世界に身を置きながら、自らの手で常識の範囲を広げていくことを楽しんでいるようにさえ映る。AIの評価値を跳ね上げる「わかりやすい」一手ではないかもしれないが、彼が将棋界において最高位に立っている理由を示す「最強の一手」だろう。

 将棋の歴史とは、勝負師たちが一手一手を指し継ぎ、時代の常識を塗り替えてきた歴史だ。現代の棋界の先頭を走る藤井竜王が大舞台で突き出した歩も、常識から一歩でも前進しようという一手だった。藤井将棋にファンが魅了される理由は、絶妙手を出現させる驚異の終盤力だけでなく、定跡や習慣に囚われることなく将棋をアップデートしていこうとする姿勢にもあるはずだ。

 そして将棋は対戦相手の存在なしでは語り得ない。最強の19歳を凌駕しようと立ち向かっていく数多の棋士の姿にもまた、心打たれる。その繰り返しで将棋は今日も更新されていく。将棋界全体を前進させていく存在、それが藤井聡太という棋士なのだと思う。

 最終盤まで先の読めなかった王将戦第1局は、最後の最後に挑戦者である藤井竜王が、渡辺玉を詰まし、熱戦を制した。投了図の8六の位置にはあの歩が燦然と輝いていた。

文=寺島史彦(Number編集部)

photograph by Takuya Sugiyama