2021年から2022年(対象:12月〜4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。スポーツ総合部門の第3位は、こちら!(初公開日 2022年1月29日/肩書などはすべて当時)。

 テニス界でもっともリッチな選手は誰だろうか。

 全豪オープン前には、大坂なおみの昨年の年収が5730万ドル(約65億円)で女子アスリートのトップの座を守ったとアメリカの経済誌『フォーブス』電子版が報じた。2位はセリーナ・ウィリアムズ、3位がビーナス・ウィリアムズ、5位にガルビネ・ムグルッサ、8位にアシュリー・バーティと、世界の女子アスリートのトップ10の中に4人のテニス選手が入っている。

 しかし、そのリストに名前が上がってこないにもかかわらず、その名前の前に「テニス界一の金持ち」という枕詞がしょっちゅうつく選手がいる。世界ランキング21位の27歳、アメリカのジェシカ・ペグラだ。

©Getty Images

 その理由は、彼女が著名な大富豪の娘だからだ。父テリー・ペグラと母キム・ペグラはNFLのバッファロー・ビルズとNHLのバッファロー・セイバーズという2つのプロスポーツチームの共同オーナーで、その総資産は『フォーブス』誌によれば国内188位の57億ドル(約6500億円)だそう。

 そんな両親のもとで生まれ育ったジェシカ本人も、テニス以外のビジネスとして、父の会社である『ペグラ・スポーツ・アンド・エンターテインメント』が開発した多目的施設『LECOMハーバーセンター』の中で妹とともにオーガニック・レストランを経営し、『Ready 24』というスキンケア・ブランドも所有する。

なぜ“テニス界一のお嬢様”はテニスを選んだのか?

 第21シードとして出場した今回の全豪オープンでは第5シードのマリア・サカーリを破り、昨年の全豪オープンと並んでグランドスラム自己最高のベスト8入りを果たした。準々決勝では第1シードのアシュリー・バーティに2-6、0-6とあっさり敗れたが、1大会の賞金としては自身最高の53万8500豪ドル(約4400万円)を獲得した。

 ちなみに、全豪オープンの賞金はコロナ前の2020年と比べて1回戦から準々決勝敗退まではそれぞれ増えている。ベスト4以上の賞金を減らし、より多くの選手に分配するという傾向はコロナ禍で進んでいるが、いずれにしても将来莫大な遺産を手にすると言われるペグラにとっては小遣い程度といったところか。

 しかしテニスというスポーツはペグラの自立心を満たすにふさわしいようだ。1年前のメルボルンではこう語っている。

「昔の私は、自分自身の名前で生きたいと思っていたけれど、結局家族の名前から逃れられないとわかっていたから苦痛だった。年をとるにつれて、家族も含めての私なんだと考えられるようになって、その中の一人であることを受け入れながら、私は何か違うものになりたいと思うようになった。そういう考え方ができるようになったら、環境を楽しめるようにもなったわ。テニスは私のもので、私の仕事で、私の人生。家族とは完全に切り離されたもので、両親はテニスに関して今は何も言わないわ」

ジェシカよりも凄かった“母の激動すぎる人生”

 そんなジェシカの風貌にどこかアジアの雰囲気があると思えば、やはり母が韓国出身だった。出身といっても、その人生を知って驚いた。5歳のときにソウルの路上に捨てられていたところを保護され、海を渡ってアメリカ人夫妻の養子になったというのだ。そして大学時代にウエイトレスのアルバイトの面接を受けていたレストランで、食事中だったテリー・ペグラに声をかけられ、彼が経営する会社で働くようになった。その2年後にテリー氏の再婚相手となる。

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 激動の人生は、ジェシカが2015年の全米オープンで予選から勝ち上がって本戦の1回戦も勝利したときに、韓国の中央日報でも報じられた。しかしキムに韓国での記憶は何ひとつなく、血のつながりのある両親の手がかりも一切ないとされている。ただ、DNA鑑定の結果、両親の一人は日本人の可能性が高いという記述がいくつかの海外メディアによる報道にあった。確定された事実ではないとはいえ、まさかテニス界一のご令嬢と日本とに、そんな繋がりがあるとは思いがけないことだった。

 キムは単なる社長夫人やオーナー夫人の椅子におさまるだけではなく、夫とともにあらゆるビジネスに深く関与し、発言力を持つ立場だというが、そんな母親は7年前に長女のジェシカについてこう語っている。

「どうしてこんなことを続けているのかしらと不思議だった。家族の生活を賞金で支えているというテニス選手は多いけれど、あの子は違うわ。お金の心配なんかないんだし、テニスをしなければもっと楽に人生を送れるはずよ。でも彼女はテニスが大好きで、まったく自分の力でテニスをやり通してきたわ」

ペグラ ©Getty Images

「専属のシェフもいる。こんなの不公平だわって思った」

 自力といっても、初期投資の段階でいいコーチをつけられるとか多くの大会で経験を積めるとか、裕福すぎる家庭の子供としてアドバンテージはもちろんある。だからといって世界21位までになるのは特別な才能の証だし、韓流ドラマにもまさる劇的な母親の生い立ちは、娘の強烈な自立心にも影響を与えたのかもしれない。

 今回、準々決勝進出を決めた試合のあとの記者会見でこんな話をした。

「うちがビルズを買ったときに、スタジアムのあちこちを見てまわったの。そこにはトレーニング施設があって練習用のグラウンドがあって、ジムのほかに個別のトレーニングルームなんかもあって、専属のシェフもいる。こんなの不公平だわって思った。私たちテニスプレーヤーは常に旅をしながら、毎週毎週違う環境で戦わなきゃいけない。自分の力でこなさないといけないことが山のようにあるわ。それがスポーツの中でもテニスが際立つところだと思う」

 両親の成功とは違う成功への欲望、さまざまなマネージメント力が求められるツアーでの生活そのものが、ペグラの原動力のようだ。

富豪の令嬢からスラム街出身のウィリアム姉妹まで

 ペグラほどではないにしても昔から富豪の子息や令嬢の活躍が珍しくないテニス界。2014年の全仏オープン・ベスト4のエルネスツ・グルビスの父親は投資家で母親は映画女優だそうで、一家はラトビアで3番目の金持ちと言われている。古くは80年代に活躍したカナダのカーリン・バセットの父が、かつてあったアメフトリーグ『USFL』のタンパベイ・バンディッツの筆頭オーナーだったほか、いくつものスポーツチームのオーナー権を所有していたという。

ウィリアムズ姉妹©Getty Images

 親が企業の社長や政治家といったレベルならおそらく枚挙にいとまがない。そしてその対極のグループには、コンプトンのスラム街出身のウィリアムズ姉妹や、わずか700ドルの現金のみで子供のときに父とロシアからアメリカへ渡ってきたマリア・シャラポワなどがいる。激しい紛争地域から這い上がってきたノバク・ジョコビッチもそうだろう。そう、この偉大なチャンピオンたちのハングリー精神と凄みはこんなテニスの世界だからこそ生まれたものに違いなかった。

文=山口奈緒美

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