ASICS Meta:Time:Trialsのレース会場に川内優輝の姿はなかった。

 ボストンマラソンを終えた後、スペイン・マラガに入り、10kmのレースに参加予定だったがコロナ陽性の結果が出て、欠場が決まった。川内は、昨年2月のびわ湖毎日マラソンで念願の7分台を出し、復活を印象付けた。一時期、川内は終わったように言われたが今は、むしろ成長している。その理由を聞きたかった。

 35歳の今、なぜ若い時よりも速くなっているのですか――。

「このままだと第一線で走り続けるのは厳しくなるなと…」

 川内がサブテンを初めて記録したのは、2011年東京マラソン(2時間8分37秒)だった。13年ソウル国際マラソンでは2時間8分14秒で自己ベストを更新し、「7分台を狙う」と宣言した。だが、川内の意欲とは裏腹にタイムは上がらなかった。工夫をすればまだいけると思ったが、その考えに亀裂が生じたのが2018年4月、ボストンマラソン優勝後だった。

©Naoya Sanuki

「ボストンに優勝した後からマラソンが大きく変わっていきました。ペーサーの設定がそれまではキロ3分ペースだったのが、ボストン以降は2分55秒から58秒ぐらいにスピードが上がった。レース展開も前は序盤から突っ込んで残るのは1、2人ぐらいだったんですけど、それからはみんな落ちなくなったんです。

 19年、びわ湖でサブテン(2時間9分21秒)してからのレースは、先頭に早々に置いていかれて苦しくなる展開で終わっていました。スピードもタイムも出ない。正直、このままだと第一線で走り続けるのは厳しくなるなと思っていました」

 公務員ランナーとして走り始め、プロになってからも川内のモチベーションは、自己ベスト更新だった。それが川内というランナーの生きがいでもあったが、それが出来ない時間がつづいた。「モヤモヤしていた」と川内はいうが、内心はもっと深刻だったはずだ。

 その時計の針を動かすために、川内は動いた。練習環境を見直し、結婚後、住まいも越した。そこで思いがけない出会いがあった。よく行く練習場で実業団のコモディイイダが練習していたのだ。ある日、思い切って会沢陽之介総監督に練習参加をお願いすると、快諾してくれたという。

「ニューイヤー駅伝に出場している優秀なチームだけあって、練習の質がすごく高い。一緒に走っていると必然的にスピードが上がっていくのを感じました。プロの選手は、ひとりで練習することが多いんですが、神野(大地・セルソース)選手がスズキで練習しているように、自分の走力を高めるのには誰かと競り合う練習がすごく大事なんです」

弟が“厚底の良さ”を1時間説得「薄底では無理がある」

 2020年はコロナ禍の影響でレースが中止になるなど思うような練習ができなかったが、それでもスピードを磨き、距離を踏んだ。自己ベストを更新すべく、12月、福岡国際マラソンに臨んだ。だが、2時間13分59秒で19位、出場11回でワースト順位に終わった。

「その時、世間は厚底一色。自分はまだ薄底でなんとかやれるんじゃないかと思ったんですが、まったくダメでした……」

 レース後、のちに大阪国際女子マラソンで一緒にペーサーを務める寺田夏生(JR東日本)が2時間8分03秒で3位になり、川内のPBを抜いたので「おめでとう」と声をかけた。すると寺田は、「僕の記録は厚底なので、薄底の川内さんの記録は抜けていないんです」と言った。

福岡国際©AFLO

「なんか気を遣われてるなって、すごくモヤモヤした感がありました。しかも夜、銭湯で弟に『厚底だとキロ数秒は変わるし、周囲はそれを履いて戦っている。いつまでも薄底でやっていても無理がある。厚底でやらないとダメだよ』と言われまして(苦笑)。妻も厚底を履いていましたし、弟からも厚底の良さを1時間かけて力説されたので、自分もそろそろかなと考えましたね」

 川内が厚底を履かなかったのは、ポリシーとかではなく、前作の「アシックス メタレーサー」が感覚的に合わなかったからだ。自分には厚底は合わないと思い、「アシックス ソーティーマジック」を履き続けた。だが、ロンドンマラソンでサラ・ホール(米国)が履いたシューズを見た時、ピンときた。

「サラ選手が見たことがないシューズを履いて、自己ベストを更新するのを見たんです。それはメタスピードのプロトタイプだったんですけど、これしかスピードをつけられるものはないと思って、自分も履きたいとお願いしました。履いた瞬間、これだと思いましたね。それで練習をしたらスピードが出るわ、出るわ(笑)。練習環境の変化とともに厚底のメタスピードのプロトが自分のスピードを変えてくれたキッカケになりました」

 福岡国際マラソン後、防府読売マラソンは厚底に対応できなかったが、全日本実業団ハーフで初めて厚底を履くと1時間2分13秒とほぼマラソンペースで走ることができた。

「これはびわ湖で使えるなと思い、厚底にゴーサインを出しました」

 そのびわ湖で川内は日本人9位、初の7分台、14度目のサブテンを達成した。

「正直、これがドーハの世陸の時にあれば、あんな結果(2時間17分59秒の29位)にはならなかったかなと思いました。でも、他社を履かず、アシックスを信じてやってきて、メタスピードができた。そこからマラソンやハーフなど20代の記録を更新できた。この楽しさっていうのは、我慢して苦しんできたからだなって思います」

©JIJI PRESS

 スペインのマラガでは、新しいマラソンシューズ「アシックス メタスピードプラス」の全容がリリースされたが、川内は履いた感触、そしてプロダクト自体の品質もかなり向上していると笑顔を見せた。

「ほどけにくい紐になりましたし、アッパーの通気性が良く、軽いです。私のように記録が伸び悩んでいるランナー、過去の自分を越えたいと思っているランナーに履いてもらいたいですね」

厚底シューズが支える“ベテラン勢の復活劇”

 厚底が川内を救ったともいえるが、その恩恵を受けたのは彼だけではない。川内は8分台から7分台を出すのに10年かかったが、今の若い世代は経験がなくともいきなり7分、8分台を出すようになった。とりわけ目を引いたのがベテラン勢の復活だ。大阪マラソンでは、37歳の岡本直己(中国電力)が5位、同じく今井正人(トヨタ自動車九州)が6位に入り、MGCを獲得した。ぎふ清流マラソンでは最強の市民ランナーの38歳の中村高洋が日本人1位となり、35歳の佐藤悠基(SGH)が同2位に入った。

「私の同期や上の年代は、数年間、燻っていた人が多いと思うんです。私自身も記録が出ない、スピードが戻らないのを年齢のせいにして弱気になっていました。でも、それって気持ちの問題なんですよ。ベテランは単純に厚底を履いて速くなった人と違い、厚底がない中でいろんなトレーニングをして試行錯誤してきました。そこで厚底が出て来てピタリとハマって、記録を出しています。自分だけじゃなく、ベテランの選手寿命を伸ばしてくれたのが厚底なんです」

 いいシューズを履いて練習すれば疲労が少なくなり、翌日もまた質の高い練習を積める。その繰り返しで走力は上がっていく。とはいえ、30歳を越えると肉体的な衰えを感じる時もあるだろうが、「いやいや」と川内はいう。

「ベテランは疲労の取り方を熟知していて、若くて経験の浅い選手よりもどうすれば体力が回復するのか、どうすればダメージが残らないのかを知っているんですよ。ベテランの方がフレッシュな状態でレースを走れていますし、だからタイムも出るんだと思います」

ちらついた“引退”「あと、半年遅かったら危なかったですね」

 ちなみにタイムが上がらなかった時、競技引退を考えたのだろうか。

「引退というか、第一線で頑張るという気持ちがなくなってきて……ダメになったら講演したり、マラソンを盛り上げる活動をして、楽しく走って行こうかなと思っていました。そういう意味ではギリギリの段階でメタスピードが出てきてくれたのかなと(笑)。あと、半年遅かったら危なかったですね。今は、現役選手として世界に挑戦できるぞと、再び心に火が付いています」

 35歳の今も世界を飛び回り、走力を磨くだけではなく、世界中にラン友を作り、自らの見識を深め、人間力を高めている。川内のファン対応は神対応と言われるほど丁寧だが、その姿勢もアスリートとしての輝きを増している一因だ。しかも、競技者として今なお成長し続けている。

 果たして、川内はいつまで走り続けるのだろうか。

「40歳まで第一線で行けると思います。その後の私の目標は……実はボストンマラソンの優勝者は50年後にレースに招待されるんですよ。君原(健二)さんが50年後に75歳で走りましたし、次は瀬古(利彦)さんですが、『僕は走ることが嫌いだから』と言っていたので、どうですかね(苦笑)。私はマラソンの最後は、81歳でのボストンマラソンと決めているんです」

ボストンマラソンを走る川内 ©Getty Images

 その時、川内なら80歳のマラソン記録(現在、日本記録は3時間30分18秒)を抜く走りを見せてくれるだろう。ただ、今は自己ベストの更新を求めて、「現状打破」を進行中である。

文=佐藤俊

photograph by Kiichi Matsumoto