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口癖は「箱根だけで終わってはいけない」
箱根駅伝の優勝回数7回、全日本大学駅伝での勝利は14回を数える駒澤大学。その監督、大八木弘明は闘将と呼ぶにふさわしい熱血漢だ。中村匠吾(富士通)は卒業後も指導を続けて東京五輪男子マラソン代表へと導き、現在駒澤大4年の田澤廉は昨年12月に、今夏アメリカ・オレゴンで行われる世界選手権の参加標準記録を突破し、世界挑戦の真っ最中。駅伝だけに留まらず、マラソン、トラックでも多くの教え子が活躍している。
「駒澤大で指導を始めた早い段階から卒業後に活躍できる選手、それも世界で戦える選手を育てたいと考えていました。もちろん箱根駅伝は大きな目標ですし、選手に勝たせてあげたいと思って一生懸命やっています。しかしそこは同時に通過点でもあるので、“箱根だけで終わってはいけないよ”という話は常に選手にはしているんです」

考える危険性「生涯ベストが大学時代というのは…」
2021年に新設されたジャパンマラソンチャンピオンシップシリーズでは2月の別府大分毎日マラソンを制した西山雄介(トヨタ自動車)を筆頭に、他のグレード1の3レースでもOBの大塚翔平(九電工)、山下一貴(三菱重工)、其田健也(JR東日本)がそれぞれ日本人2位に入った。確かに卒業生の活躍が目につく。
大学の指導者である以上、大学での戦いで結果が求められるのは当然のこと。加えて箱根駅伝が陸上界の枠を超えたビッグイベントとなった今、その結果で手腕が評価されることがほとんどだ。しかし「実業団に進むのであれば、本当の勝負は卒業後」と大八木は考えている。
「大学で練習を詰め込めば記録は伸びるかもしれませんし、結果も残すでしょう。しかし大学で目いっぱいの練習をしてしまうと、そこで焼ききれてしまう危険性もあります。多くの選手が実業団に進むわけですから、生涯のベストタイムが大学時代の記録というのは避けなければならないんです。そのため腹八分目ではないですが、うちの練習は余裕度を重視し、卒業後の伸びしろを残すように意識しています」
「箱根だけを目指していると、卒業後に目標を見失う」
田澤もすでに国内トップを争う力を持っているが、スピード練習のメニューは入学以来、設定タイムも走る本数も抑え目にしており、まだやらせていない練習が多くあるという。それは先の言葉が理由であり、かつ体の成長に合わせて段階的に強化をしてこそ、高いレベルまでいけるとの信念があるからに他ならない。本領を発揮するのは卒業後でいい。4年間ではたどり着けない頂に向け、今やるべきことをやるという考えを持つ。

この伸びしろを残すという考えにも関係するが、目標設定も大学4年間だけに留めないように指導していると力を込める。冒頭の言葉にあった「箱根駅伝だけで終わってはいけない」という言葉も口癖のようなものだ。
「皆が箱根を走りたくて大学に来ますし、チームでも最大の目標です。勝てる勝負であればぜひ勝ちたいと思っています。ただ同時に箱根の先にはもっと高い山があるし、世界にはさらに高い山があるということも言い続ける必要があります。そもそも実業団に進んで結果を残せないと、競技が続けられないですし、そこで結果を残してこそ評価もされる。箱根だけを目標にしていると、その反動で卒業後に目標を見失ってしまうケースもあるようなので」
“卒業後を見据えた指導”とは?
目標を立てることはすなわち計画を立てることでもある。別大マラソンを制した西山は大学時代、箱根でも活躍していたものの、その舞台では決してスペシャルな存在ではなく、どちらかというとトラックタイプのスピードランナーだった。しかし計画的に距離を伸ばし、実業団5年目で初マラソンを踏み、世界選手権マラソン代表の座を手にしている。

そうした計画力を育成するため、大学でも3年、4年になると卒業後を見据え、選手の意見をより重視する練習スタイルへと変えていく。
「練習メニューは基本、こちらが提示しますが、それに対し、“プラスαでこんなことをやりたい”とか、“疲労を考えれば、今日はもう少し抑えたい”など、選手が自分の意見を言ってくるのが理想です。自分の体のことは自分しかわからないですからね。目標から逆算し、何をしていくべきかを自分で考える力をつけないと、卒業後は誰も教えてくれませんから」
事実、練習では選手自身の言葉を促し、それに耳を傾けながらその日のメニューを決めている姿をよく見かける。最終的には自分で自分の強化プランを考えられる選手になるために。選手たちは大学での競技生活に打ち込みながら、すでに巣立ちへの準備を始めているのだ。
大物ルーキーにも「箱根は4年目に走れればいいかな」
指導の大前提として大八木自身が努めていることがある。それは選手の適性を正確に見抜くことだ。入学する選手について高校の指導者から情報を得るだけでなく、実際に選手に接し、走りのタイプや性格や体質まで見て、指導の方針をたてる。さらに入学後も成長の度合いや、試合の結果などから修正を重ねていく。この春入学した、1500m、5000mの高校記録保持者、佐藤圭汰はその実績が示す通りスケールの大きい選手だが、まだその適性を見定めている最中だ。
「まずは1500mが中心になるでしょうね。でも彼のハイペースで押していける能力を考えたら、軸足を5000mに移す可能性もありますし、どうなるかは試合や練習を重ねてみないと分かりません。在学中にトラックで日本のトップまでいきたいですが、どの種目で一番戦えるのかを考えながら、やっていくつもりです」

1年目の駅伝は全日本まででいいと今は考えており、箱根には「もし長い距離に対応できるようならば、4年目に走れればいいかな」という意識だそうだ。無理に駅伝にアジャストさせることはなく、成長を見ながら判断するつもりだ。
「卒業後に伸びるために最終的には応援される選手になることも大切です。駒澤大学のルーツでもある曹洞宗の教えに“我逢人”という言葉がありますが、人との出逢いによって人間性と競技力を高めていく選手にならないといけません。そのためにうちでは寮の近隣の人への挨拶も徹底していますし、周辺のゴミ拾いもやります。最初はやらされているという意識でも、やっているうちに何かを感じ、自ら自然に周りに感謝し、行動できるようになってこそ、選手としても一流になれると私は思いますね」
最後にものを言うのは人間力ですよ。大八木はそう言ってまとめた。

「駅伝を考え始めるのは夏合宿くらいからですよ」
中村匠吾と二人三脚で挑んだ東京五輪のマラソンは大会前の故障の影響もあり、62位。大舞台に挑むにあたり、細心の注意を払ってきたものの、試合もトレーニングももっと綿密な計画で臨むべきだったと振り返る。もう一度、オリンピックの舞台に教え子を送り出したい。
「中村も、卒業してからの長期的な強化計画は成功しました。そして次は田澤で目指したいですし、他にも驚くような成長を見せる選手が出てきてくれるでしょう。そうした選手を育てていくためには1年中、駅伝だけを考えるのではなく、まずは選手個人と向き合っていきたい。今年度の新チーム発足にあたり、出雲、全日本、箱根の3冠を目標にすると決めましたが、駅伝を考え始めるのは夏合宿くらいからですよ。個人で自己ベストを出してから、駅伝に向かう方が選手の気持ちも盛り上がりますし、チームとしても団結すると思っています」
駅伝とは個人の力を結集して戦うもの。そのためにもまずは選手個々の長所を伸ばすことを第一に目指す。その先に駅伝があり、そして卒業後の活躍があると大八木は考えている。
《後編に続く》
文=加藤康博
photograph by Shigeki Yamamoto