F1初開催となったマイアミGPに、日本人の元F1ドライバーの姿があった。野田英樹だ。53歳の野田は、すでに現役を引退。マイアミを訪れていたのは、レーシングドライバーとしてではなく、F1と併催されていたWシリーズに今年から参戦している娘のJujuこと、野田樹潤(16)のサポートを行うためだった。

 Wシリーズは、いずれ女性のF1ドライバーが生まれることを願って、才能ある女性ドライバーを育成することを目的として発足。19年にスタートし、20年は新型コロナの影響で1年間休止していたため、今年で3年目のシーズンを迎える。過去2シーズンでチャンピオンになっているジェイミー・チャドウィックは、F1チームのウイリアムズで開発ドライバーになるチャンスも得た。

 そのWシリーズに、今年日本人としてただひとり参戦しているJujuが初めてカートに乗ったのは、3歳のときだった。ただしそれは、父親が娘に自分と同じ道を歩ませようとしてレールを敷いた訳ではなく、単に子供の遊び道具として誕生日に与えたカートに乗っただけのことだった。

父・野田秀樹(中央)はレースの現場でjujuをサポートしている

 野田はJujuの姉にも、そして弟にも同じように誕生日にカートをプレゼントしていた。さらに子供たちには夢中になれるものならなんでも良いと、体操、水泳、空手、ダンスなどもやらせていた。その中で、Jujuだけがモータースポーツの世界を目指した。その日のことを、野田はいまでも覚えていると言う。

父の引退レースでの娘の決意

「2010年のル・マン24時間レースに連れて行ったんです。そのレースで自分は現役を引退すると決めていたので、家族を連れて行きました」

 24時間レースは3人のドライバーが交代で運転を担当する。レース終盤、野田が自分が担当する最後のスティントへ行くとき、カートのレースを始めたばかりのJujuにこう言った。

「パパはこれでレースをやめる。これが最後のレースだ」

 すると、Jujuはこう言って野田を送り出したという。

「これからはJujuがレースを一所懸命やるから」

 その後、カートのレースで多くの勝利を挙げたJujuは、当時としては世界最年少の9歳でFIA-F4仕様のフォーミュラマシンを運転し、現役レーサーと遜色ない好タイムで走らせるなど、早くから非凡な才能を発揮。11歳でフォーミュラU17チャレンジカップに参戦し、12歳から参戦したフォーミュラU17のF3マシンクラスの18年、19年シーズンでは、出場したレースで全勝したほどだった。

 そのJujuが今年から活躍の場として選択したのが、Wシリーズ。その開幕戦がF1のマイアミGPのサポートレースとして行われた。

 だが、開幕戦はJujuにとって、プロの洗礼を受ける結果となった。フリー走行でクラッシュしたJujuは、マシンを修理してもらって予選に参加するも、「元の状態には戻っていなくて、ストレートで真っ直ぐに走るのも苦労していて、まともにアタックできませんでした」(Juju)という状態で18人中、予選最下位に沈んだ。レース1は12位に終わり、なんとかレース2で挽回したいところだったが、スタート直後にオーバーテイクした相手に追突され、本来の走りができないまま15位でフィニッシュした。

 それでも野田がJujuを見つめる眼差しは、穏やかなままだ。

「本人が頂点のカテゴリーで活躍したいというのなら、やる以上は夢は叶えてほしいし、そのためにこちらも全力でサポートします。でも、父親として、娘にF1ドライバーになってほしいという思いはまったくなくて、仮に明日レースをやめたいと言っても、Jujuの人生は彼女自身のものだから、私が止めることはない」

過去にはラジオのパーソナリティを務めるなど、レースファン以外からの注目度も高まりつつある

不完全燃焼に終わった父のF1

 ただし、90年代に自分が味わった苦労だけはしてほしくないとも言う。

「私が80年代後半から90年代前半にかけて、単身渡欧して海外でレース活動したときにはいろんな苦労がありましたから」

 野田は89年に渡英。フォーミュラ・ボクゾール・ロータスに参戦し、いきなり優勝を経験。90年にはイギリスF3にステップアップした。91年に初優勝を飾り、92年には国際F3000(現在のF2)に進み、94年には日本人初となる表彰台をゲットし、同年シーズン終盤にラルースからF1デビューした。

 95年はシムテックと契約を結んでいったんはフル参戦する予定だったが、自身のスポンサーが阪神淡路大震災の被害を受けてF1のサポート活動が休止に追い込まれ、ようやく参戦するための資金を調達したと思ったら、今度はチームが資金難のためにF1を撤退するという不運が重なり、結局この年限りで野田はF1への挑戦に終止符を打つこととなった。

「自分がイギリスの国籍だったらなあとか、F1をよく知っているマネージャーがついていてくれたら、チームとの交渉ももっとうまくいっていたんじゃないかなあとかいう思いはありました」

 野田はそう語り、続けた。

「自分が経験した中で、レーシングドライバーとは関係ないところでの余計な苦労はさせたくない。そして、自分が経験できなかった世界へ行ってもらいたい」

 父と娘の12年前のル・マンの約束は、いまもまだ続いている。

文=尾張正博

photograph by Masahiro Owari