1986年にジャパン女子プロレスでデビューし、アイドルプロレスラーとして一世を風靡したキューティー鈴木。現在52歳になった彼女の特別インタビューをお届けする《全3回の3回目/#1、#2から続く》

 ジャパン女子プロレスでデビューしたのは16歳。同団体解散後の92年、同期の尾崎魔弓(OZアカデミー)、ダイナマイト関西、プラム麻里子(29歳没)らと新団体・JWPの旗揚げに参画。記録より記憶に残るファイターとして、人気・知名度・実力のすべてをランクアップさせた。通算12年におよんだ選手生活では、戦友との絆を育んだ一方で、永遠の別れも経験した。

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互いの胸にふれ、キスも…尾崎魔弓との“衝撃写真集”の思い出

――JWPが旗揚げされた92年に出版された尾崎選手との写真集『赤い糸』は、衝撃的でした。“レズ写真集”と公に謳われて、互いの胸にふれたり、キスしたり……。

キューティー鈴木(以下、キューティー) 本人たち的には、「そんなにびっくりするような内容?」って感じでしたよ。キスをするのも、「それはできないよー」とか「とにかく目を合わせるのはやめよう」とか言いながら、楽しんでました。完成したのを見ると、すごくいやらしいんだけど、撮ってる本人たちはぜんぜんそんな感覚がなくて。

――出版後の反響はどうでしたか。

キューティー ふだん、プロレス雑誌の人たちはああいう写真集を嫌がるんですけど、あの写真集はそんなに嫌がってなかったって聞いて、どこがどう違うんだろうと。反響があったのは知ってるけど、私と尾崎は「そうなんだ」ぐらい。

「私はお客さんを呼ぶ選手」から意識が変わった理由

――この年から、“プロレスラー・キューティー鈴木”がノリに乗っていきます。

キューティー ジャパン女子からJWPになる合宿のとき、選手やスタッフと話をしたけど、尾崎と2人きりでプロレス以外の私生活のことまで深く話したのは、あの写真集の撮影のときが初めて。負けてられないなぁって、プロレスでなめられちゃいけないなって思ったし、JWPを成功させてやろうっていう感覚が強くなったのを覚えてます。

――今振り返って、JWPはどういう団体でしたか。

キューティー あのときはもう一度団体を続けていいのかわからないまま、JWPの旗揚げを迎えるような感じだったので、不安のほうが大きかった。すごく人数が少なかったんですけど、旗揚げを終えて、やっぱりプロレスを続けてよかったって思えたし、もっとやらなくちゃいけないっていう責任感も出てきた。ジャパンのときは、私はお客さんを呼ぶ選手であって、プロレスで魅せるのは上の人たちだろうっていう頭でやってたけど、JWPになってからは、人を呼ぶのはもちろん、試合でも魅せなきゃいけないなっていうふうに、人数が少ないぶん思えるようになってた。

現役時代のキューティー鈴木と尾崎魔弓(1994年撮影) ©AFLO

初の死亡事故から25年…故・プラム麻里子さんへの思い

―JWPを振り返るうえで欠かせないのはプラムさん。97年8月に起こったプロレス業界初の事故死から、今年はちょうど四半世紀(25年)です。

キューティー なんで亡くなっちゃったのか、よくわかんなかったですね、当時は。麻里ちゃんがリングのなかで倒れて、起き上がってこなくて、そのままみんなで病院に行くと、手術がはじまった。手術が終わって病室に戻ってきたときも、起きるんじゃないかと思っていたので、みんなでこちょこちょしたりして。ICU(集中治療室)じゃなくて、一般病棟だったから、起きてくるんじゃないかと思ったんですね。ICUだったら、「もしかして麻里ちゃん……」って思ったけど、普通の病室だったので、時間が経ったら目が覚めるもんだろうと思ってた。次の日に試合が入ってたので、新幹線で移動しなきゃいけない。移動中に連絡が入ったんです、「亡くなった」と。

――理解できましたか?

キューティー 誰かがすすり泣く声が聞こえたんです。で、「亡くなっちゃった、麻里ちゃん」って聞かされた。倒れる日の広島の試合会場まで、新幹線で麻里ちゃんと移動してたんですね。いつもと変わらず普通にしゃべって、お弁当を食べて。すべてが普通だったので、死んじゃったという実感が湧かない。

――それでも大会スケジュールが埋まっている。

キューティー 最後の試合で闘った尾崎は元気がないし、もちろんプロだから試合はしっかりやるんだけど、話すことは麻里ちゃんのことだし、気持ちの整理がついてないから、涙が出てくる。私のなかではね、いまだに若くてかわいいころの麻里ちゃん、29歳のまんまで止まってる。手相が好きだったんですよ。よく見てもらってて、「長生きするよ」なんて言われていたのに。

「絶対にリングの上で死んではいけないと思いました」

――親友の死は、その後の選手生活にどんな影響を与えましたか。

キューティー プロレスラーになれたばかりのころはよく、「リングの上なら死んでもいい」なんて言ってたけど、絶対にリングの上で死んではいけないと思いました。もちろん、亡くなった本人がいちばんつらいんだけど、仲間や麻里ちゃんの親を見たとき、「死」を軽々しく言葉に出してはいけないなと思いました。

――このリング禍で、引退の時期が少し延びたのかなぁと思いましたが。

キューティー たしかに、もう少し残って下の子たちを育てて、選手層を厚くしないといけないと思ったけど、キューティー鈴木は20代で終わらせたかったので、29歳で引退しました。そこは揺るぎなく。

©OZアカデミー

――引退、結婚後は芸能界にこだわりなく、専業主婦になったのが“らしい美学”だなぁと。

キューティー 16歳から普通の世界を知らないまま来てしまったので、味わってみたいというのがあって、結婚したときには専業主婦になりたいと。子どもが産まれたらそばにいたかったから、働くというのは頭になかったです。同じママたちと同じような生活、スーパーの安売りも楽しいですし、普通の生活が自分には合ってたのかなぁと。

「尾崎なら今の女子プロレスを変えられる」

――尾崎選手はまだ現役で、団体の代表でもあります。

キューティー 同期でいちばん最後まで残るなんて思ってなかった。私なんてちょこっと運動しただけで全身筋肉痛になるのに、まだやってるし、動けてるし、走ってる。

――ちなみにですけど、深夜番組は観ます?

キューティー あーっ、何回か観た! 中居(正広)くんのでしょ(※尾崎は今年3月までTBS系「中居大輔と本田翼と夜な夜なラブ子さん」に準レギュラー出演していた)。何も知らなくて観てたら出てきたんで、笑いました。下の子も、「まーみーだぁ」なんて言って。

――親友が元SMAPの共演者になったなんて、すごいことだと思いませんか?

キューティー ぜんぜん緊張しないで、普通のままでいられて、それでもちゃんと「尾崎魔弓」というものを残して番組が成り立っていたので、それがすごいなぁと思いましたね。私なら、言いたいことの半分も言えないまま番組が終わってしまうだろうな。プロレスラーとしての尾崎は、人を育てるのが上手だし、人を引きつける魅力がある。彼女なら、今の女子プロレスを変えられるんじゃないかなと思いますよ。

©OZアカデミー

文=伊藤雅奈子

photograph by Takuya Sugiyama