誰しもが“特別”“夢”と表現するダービー。だからこそ、2着に敗れた馬たちの姿もファンの記憶に刻まれているだろう。ならば考えてみよう。“最強の敗者”は誰だ! 取材歴30年超のベテランライターが難題に出した答えとは。《全2回/後編に続く》【初出『Number』978号(2019年5月16日発売)/肩書などはすべて当時】

 平成に誕生した30頭のダービー馬の陰には、同じ数の2着馬が存在する。一世一代の栄冠を惜しくも掴み損ねた馬たちのなかで、「最強」の称号が相応しいのはどの馬か。それを考えるのが本稿の趣旨である。しかしそもそもこの場合、「最強」が指し示す意味って何ですか?

「いや、それは自分で考えてください」

 謎めいた微笑みを浮かべ、ライターをあしらう編集者。よろしい。ならばいくつかのアプローチをもとに、“最強の2着馬”を自力であぶり出してみよう。

三冠を逃したエアシャカールの「7cm差」

 さすがに「世代で2番目に強かった」だけあって、ダービーの2着馬にはその後に大成した馬が多い。ダービーの後、未勝利に終わってひっそりとターフを去った馬は五指にも満たない反面、ダービーの2着を飛躍への足掛かりとした馬、その後にGIを勝った馬を数えると十指でも足りない。とはいえ“その後の活躍”は先送りにして、まずはレースに焦点を絞る。ダービーで「最も惜しい負け方をした2着馬が最強馬」というアプローチである。

 平成のダービーでハナ差の決着は3回、記録された。'00年2着のエアシャカール(着差は約7cm)、'12年2着のフェノーメノ(約23cm)、そして'16年2着のサトノダイヤモンド(約8cm)が、何とも悔しい「ハナ負け」を喫した馬たちだ。大差にちぎられても、髪の毛1本の差で敗れても2着は2着。陣営の無念は察するに余りあるが、このうち、皐月賞との2冠制覇に挑んだダービーで、アグネスフライトに競り負けたエアシャカールは秋に菊花賞を勝った。結果的にはダービーのみならず、三冠の栄誉まで獲り逃がしたのだから、実に大きな“7cm差”だった。

年の日本ダービーは1着アグネスフライト、2着にエアシャカール ©KYODO

「生まれた年が違っていれば…」

 そんな3頭の他に'11年2着のウインバリアシオンも印象深い。道中は末脚勝負に構えて後方4番手を進み、大外へ持ち出されてスパートにかかった直線半ば、勝利の趨勢は確かに傾きかけていた。手綱を取った安藤勝己騎手が「勝ったと思ったけどねえ」と悔しそうに振り返ったほど、繰り出した末脚は迫力に満ちていた。

 しかし相手が悪かった。何しろあのオルフェーヴルだ。外から迫られた途端、驚異的な闘争心とパワーを発揮。そこからガンガン加速した強敵に突き放され、ウインバリアシオンの野望は潰えた。

 ダービーの明暗はこのように、巡り合わせの運不運にも左右される。「生まれた年が違っていれば、お前がダービー馬だったのに」と思わせる2着馬は枚挙に暇がない。

ライスシャワーの単勝オッズは114.1倍だった

 一方、馬の評価は競走成績のトータルで下されるもの。ダービーを含め、4回のGI2着を記録したウインバリアシオンは頂点のタイトルに手が届かなかったこと、平成最小の着差で敗れたエアシャカールは4歳時以降、未勝利に終わったことからも、「最強の2着馬」を探すにはやはり、ダービー後の成績も加味する必要があるだろう。30頭の2着馬のうち、「ダービーの後に複数のGIを勝った馬」は8頭。4、5歳時に春の天皇賞を連覇したフェノーメノ、また、3歳時の有馬記念で古馬最強のキタサンブラックをねじ伏せたサトノダイヤモンドもここに含まれる。

 もう少しハードルを上げて「GIを3勝以上」とすると、該当馬は4頭だけ。ライスシャワー、ビワハヤヒデ、シンボリクリスエス、ゼンノロブロイと錚々たる名前が並ぶが、なかでもユニークな存在といえるのが'92年2着のライスシャワーだ。

「有力候補の1頭」として大一番に臨んだ他の面々に対し、ダービーの時点でライスシャワーは18頭中の16番人気、単勝オッズは114.1倍と、まったく無名の存在に過ぎなかった。皐月賞8着、続くNHK杯も8着と見せ場のない敗戦を繰り返していたのだから無理もなかったが、レースでは無傷の2冠制覇を達成したミホノブルボンに完敗の後塵を拝しながらも、2番手追走から2着に粘り込み、大穴をあけた。非凡なステイヤーの資質はこの一戦を境に大きく開花。菊花賞では無傷の三冠制覇に挑んだミホノブルボンを差し切って春の雪辱を果たし、翌春の天皇賞ではメジロマックイーンの3連覇を阻止、6歳時にも春の天皇賞を制し、ダービーの2着激走がフロックではなかったことを証明した。

メジロマックイーンの天皇賞・春3連覇を阻止した際のライスシャワー ©KYODO

藤沢和雄に聞いてみた「最強の2着馬は?」

 ただ、続く宝塚記念のレース中に骨折し、儚い命を散らしたライスシャワーはその血を後世に残せなかった。「3強」と並び称されたライバル(ウイニングチケット、ナリタタイシン)の中から、最終的には頭一つ抜け出した'93年の2着馬ビワハヤヒデも種牡馬入り後は不振に終わった。

 しかしダービーは「種牡馬の選定競走」とも位置付けられてきたレースである。ならば種牡馬としての実績も考慮すべきではないか? このアプローチから浮かび上がるトレーナーがいる。

 最強のダービー2着馬を探しているんです。調教師の藤沢和雄に本稿の趣旨を説明すると、彼はニヤリと笑ってこう言った。

「ウチの厩舎には何頭もいましたよ、最強の2着馬が」

シンボリクリスエス(02年)もゼンノロブロイ(03年)も…

 先に挙げた「ダービーの後にGIを3勝以上した馬」のうち、'02年2着のシンボリクリスエス、'03年2着のゼンノロブロイはともに藤沢が管理した馬。4歳時の秋、天皇賞、ジャパンC、有馬記念の“パンチアウト”を決めたゼンノロブロイもかなり強かったが、インパクトの大きさではやはりシンボリクリスエスに軍配があがる。2歳秋のデビュー以降はしばらく、大きな馬体を持て余す面が目立ち、「皐月賞には間に合わなかった」というシンボリクリスエスだが、3歳4月の条件特別で2勝目をマークしたころからグングン良化。主戦騎手の岡部幸雄にかわり、武豊が代打の手綱を取った青葉賞を楽勝し、ダービーに名乗りをあげた。

「ところがレースの後、豊君は『先生、この馬は秋になったらよくなりますよ』というんだ。“ええっ、この馬でもダービーは勝てないの?”と思ったね(笑)」

 それでも小さくない手応えを胸にダービーへ臨んだものの、結果は武豊騎乗のタニノギムレットに差し切られて1馬身差の2着。「木っ端微塵の負け方だった」という回想には、打ち砕かれた自信と落胆の大きさが見え隠れする。

シンボリクリスエスが「最強の2着馬」か?

 名手の予言は的中した。菊花賞ではなく古馬相手の中距離路線に進んだ秋、シンボリクリスエスは天皇賞を快勝。ジャパンCの3着を挟んで臨んだ有馬記念でも、古馬の一線級を再び蹴散らして勝利を飾り、同年の年度代表馬に選出された。

 真の充実期を迎えたのは翌秋のこと。天皇賞1着、ジャパンC3着と着順は1年前と同じでも中身は別物だった。

「(4歳の)秋になってからは調教もどんどんできて、『何だ、こいつ?』と思うぐらい馬がよくなっていった」

 引退レースの有馬記念は9馬身差の圧勝(3着がゼンノロブロイ)。怪獣みたいな強さを見せつけて有終の美を飾り、2年連続で年度代表馬に選出された。通算成績は15戦8勝、GI4勝は平成ダービー2着馬の最多勝記録で、年度代表馬の連覇を達成したのもこの馬だけ。種牡馬としてもエピファネイア('13年のダービー2着馬。その後、菊花賞、ジャパンCに優勝)をはじめ、数々の活躍馬を送り出しているシンボリクリスエスはまさに「最強の2着馬」と呼ぶに相応しい存在と映る。

《後編に続く》

文=石田敏徳

photograph by JIJI PRESS