5月21日、マツダスタジアムでの広島-中日戦で中日の根尾昂が登板した。1-10と大きくリードされた8回にマウンドに上がった根尾は坂倉将吾に右前打を打たれたものの小園海斗を右飛、磯村嘉孝を中飛、中村健人を二ゴロに仕留めた。1回15球自責点0。球速は150キロを記録した。

ピッチャーとしてプロ初登板を飾った根尾 ©Kyodo News

ひときわ光っていた大阪桐蔭時代を思い出す

 根尾は8日のウエスタンリーグ阪神戦でも9回からマウンドに上がり、1死から3連打で失点したものの0.2回を投げた。

 中日の立浪和義監督は根尾をすぐに投手に転向させるとか、二刀流で起用する気はないようだ。ただ「根尾に関してはこれからいろんなことを考えないといけない」と語っている。21日の試合後に根尾は登録を抹消され「遊撃手として再スタートさせる」とのことだ。

 今季は延長12回制であり、救援投手の負担が増している。立浪監督は、大差がついた試合などでは「野手の登板」もありうると言及していた。

 筆者は2018年夏の甲子園を思い出す。

大阪桐蔭時代は投手としても活躍 ©Hideki Sugiyama

 当時の根尾は大阪桐蔭の遊撃手兼投手だった。チームには柿木蓮(現日本ハム)、左腕の横川凱(現巨人)というエース級の投手がいたが、柔らかなフォームで回転のある速球を投げる根尾は、ひときわ光っていた。プロ入り後は伸び悩んでいるが、あの頃の根尾は特別な存在だった。

<根尾の甲子園での投手成績>
17春 2試3回1安3四死2三振 防0.00
18春 3試26回14安13四死26三振 防1.04
18夏 2試13回12安3四死13三振 防4.15
計 7試42回27安19四死41三振 防1.93

MLBでの大打者で投手を経験した野手は?

 MLBでは野手の登板は珍しくない。引き分けのないMLBでは投手を節約するために野手がマウンドに上がることは普通にあるからだ。

 最近では、現役最多安打のカージナルス、アルバート・プホルスが5月15日のジャイアンツ戦の9回にマウンドに上がり4失点したものの1回22球を投げた。

投手として初登板したプホルス ©Getty Images

 5月10日にはレイズの外野手ブレット・フィリップスがエンゼルス戦の8回にマウンドに上がりマイク・トラウト、アンソニー・レンドーンに本塁打、大谷翔平には二塁打を打たれた。レンドーンは右打者だが左打席で本塁打を打った。フィリップスは4月11日のアスレチックス戦でも投げている。また2021年も1試合マウンドに上がっている。

 野手がマウンドに上がるのは前述したとおり「投手の節約」のためではあるが、同時にファンサービスでもある。少し照れ臭そうにしながら野手がマウンドに上がると、球場から拍手が沸き起こるのだ。

 MLBでは3000本以上安打を打った大打者33人のうち、以下の8人が投手としての記録を残している。

タイ・カッブ(4189安打 2位)
1918年2試合、1925年1試合に登板、3試合0勝0敗5回 防御率3.60
スタン・ミュージアル(3630安打 4位)
1952年1試合 0勝0敗0回 失策の打者を1人出したのみ
トリス・スピーカー(3514安打 5位)
1914年1試合 0勝0敗1回 防御率9.00
キャップ・アンソン(3435安打 7位)
1883年2試合、1884年1試合に登板、3試合0勝1敗4回 防御率4.50
ホーナス・ワグナー(3420安打 8位)
1900年1試合、1902年1試合に登板、2試合8.1回0勝0敗自責点0 防御率0.00
アルバート・プホルス(3314安打 12位)
2022年1試合 1回0勝0敗自責点4 防御率36.00
イチロー(3089安打 24位)
2015年1試合 0勝0敗1回自責点1 防御率9.00
ウェード・ボッグス(3010安打 31位)
1997年1試合、1999年1試合に登板、2試合0勝0敗2.1回 防御率3.86

ベーブ・ルース以外の大打者も意外と乗り気?

イチローも2015年のマーリンズ時代に登板 ©Getty Images

 二刀流のベーブ・ルース(2873安打 46位)は1922年以降は外野手に専念したが、1930年と33年に1試合登板し、ともに完投し防御率4.00ながら2勝を挙げている。

 日本人野手ではイチローの他に、アストロズ時代の青木宣親が2017年6月30日のヤンキース戦で9回1イニングを投げて自責点3を記録している。

 プホルズがマウンドに上がったのは、メジャーデビュー同期のイチローがマウンドに上がったことが記憶にあったからかもしれない。

 MLBでは「投げる気満々」の野手が常に一定数いて、大差がついた試合などでは嬉々としてマウンドに上がる。ファンもそれをアトラクションとして喜ぶ。しかし日本の野球界では、これを良しとしない声もある。

巨人の増田大輝、オリックス時代のイチローは……

 2020年8月6日の甲子園での阪神-巨人戦、大差で負けていた巨人は8回裏、5番手堀岡隼人が1死から満塁本塁打を打たれ0-11になると、外野手の増田大輝をマウンドに上げた。増田は3人に投げて1四球を与えたもののイニングを締めくくった。

 これに対して「相手チームに失礼」「投手にも失礼」「強いチームがそんなことやっちゃダメ」のような批判の声が上がった。

 また1996年のオールスター戦で、パ・リーグの仰木彬監督は9回2死、松井秀喜の打席でイチローをマウンドに上げた。しかしセ・リーグの野村克也監督は松井に話しかけたのちに投手の高津臣吾を代打に送った。高津は2-2から遊ゴロに倒れた。

 試合後、野村監督は

「仰木さんほどの名監督が人の痛みがわからないようでは困る。お祭りだと考えたんでしょうが、打ちとられたら松井のプライドが大きく傷つくことになる。オールスターは格式ある真剣勝負の場ですから」

 と同い年の仰木彬監督をやんわりとたしなめる発言をした。このあたりが「野手をマウンドに上げる」ことへの日本球界の見解ということになろうか。

 日本野球界では「投手」と「打者」は、別の専門分野であり、軽々しくまねごとをしてはいけない、という認識の人が多いのだろう。

 筆者は思う。そうであるならばDH制がないセ・リーグで、投手が打席に立って気のないスイングで凡退するのは、打者に対して失礼だという理屈になるのではないか。「打者がマウンドへ上がる」機会は、「投手が打席に立つ」機会よりもはるかに少ないから、そういう議論は起こらないが、釈然としないところではある。

“2000安打を打った選手で投手成績がある4人”とは

 NPBではマウンドに上がった経験のある打者は少ない。2000本安打を打った54選手のうち、投手成績があるのは以下の4人。

石井琢朗(2432安打 11位)
1989〜91年まで28試合に登板、1勝4敗49回、防御率5.69
川上哲治(2351安打 13位)
1938〜41年まで39試合に登板、11勝9敗200回、防御率2.61
広瀬叔功(2157安打 24位)
1970年1試合 0勝0敗2回 防御率0.00
柴田勲(2018安打 50位)
1962年6試合 0勝2敗11回 防御率9.82

 石井、川上、柴田の3人はもともと投手として入団し、一軍で一定期間投げたのちに打者に転向したもので「打者の登板」とはニュアンスが違う。

ベイスターズ時代の石井。もともとは投手入団だった ©Sports Graphic Number

 2000本安打者で、純然たる打者としてマウンドに上がったのは広瀬叔功だけだ。広瀬も投手として南海に入団したが、肘を痛めてすぐに野手に転向している。

広瀬をマウンドに上げたのは、野村監督だった

 1970年10月14日、大阪球場での阪急戦、5回まで1-7と大差で負けていた南海は6回から1番中堅手の広瀬をマウンドに上げた。広瀬は2回10人の打者に対し2安打3四球を与えたものの、0点に抑えた。

 驚くべきことに、広瀬をマウンドに上げる采配をしたのは、この年から南海のプレイングマネージャーになった野村克也だった。オールスターでのイチローのマウンドに異議を唱えたのは26年後のことだが、考え方が変わったのか? それともオールスターと公式戦では違うということか。

 日本人の意識として「投手」と「打者」の間には深くて暗い川があるのかもしれないが、近年、ほかならぬ日本人の大谷翔平が、大股でその川を渡って大活躍しているのだ。

大谷の存在が、野球への価値観を変えているのは確かだ ©Nanae Suzuki

 様々な目的、意図で、野手がマウンドに上がることに、日本野球は寛容になるべきではないか。

 根尾昂が「野球センスの塊」であることは誰しもが認めるところだ。入団以来4年、その逸材が停滞している。チームに多少なりとも貢献できたうえに、彼にとって転機になる可能性があるのなら、マウンドに上がっても構わないはずだ。

 投げてでも、打ってでも、走ってでもいいから、根尾昂の輝かしい活躍を見たい、筆者はそう思う。

文=広尾晃

photograph by Kyodo News