大迫傑をはじめ多くの有力選手を輩出してきた佐久長聖高校。監督を務める高見澤勝氏に、 “厚底シューズ”の登場が高校部活動に与えた影響、メリットやリスクについて聞いた。(全2回の特別インタビュー/後編へ続く)。

「私が初めてカーボンプレートの入ったシューズを手に取ったのは2019年の秋のことです。試しに履いて軽く走ってみたところ、かつてない前に進む感触がありました。それこそカーボンの力なのでしょうが、“これはものすごいシューズだな”と思ったのを覚えています」

 大迫傑(ナイキ)をはじめ、多くのOBを日本のトップへと送り出してきた高校陸上長距離界の強豪、佐久長聖高校。その監督、高見澤勝は初めて「厚底シューズ」を体感した時のことをこう振り返る。「とにかく驚きましたよ」と。

ナイキ「ヴェイパーフライ」の登場で高校陸上界も高速化

 ナイキが「ズーム ヴェイパーフライ4%」を発売したのが2017年7月。それが画期的なシューズだったことは今となってはもう語るまでもないだろう。男子ではエリウド・キプチョゲが、女子ではブリジット・コスゲイが世界記録を塗り替え、日本でも設楽悠太(Honda)、大迫傑が日本記録を更新した。彼らは全員、ヴェイパーフライを履いて記録を作った点で共通する。キプチョゲは発売前の2017年にこのヴェイパーフライのエリートモデルで非公認レースながらマラソンでの2時間切りに挑戦し、世界記録を上回る2時間00分25秒を出すなど早くから話題が沸騰し、入手困難な状況だった。その後、ヴェイパーフライはシリーズを重ねて改良されていき、高校生の手に渡り始めたのが、高見澤の話す2019年頃だった。

 この年の全国高校駅伝。エースの集う1区10kmでこの大会まで28分台で走った日本人選手は過去ただひとりだったが、この年は7人が28分台で走った。その多くの選手たちの足元にヴェイパーフライがあった。世界のマラソン、長距離シーンで進む高速化の波は高校にも及んだのである。

「リスクを負ってまで履く必要があるのか」

 しかしその大会前から、高見澤は厚底シューズの使用について慎重だった。

「シューズ自体は画期的で素晴らしいものであり、陸上界全体のレベルアップにつながりました。ただすでに使っていた選手や指導者からケガをしやすいという話も聞いていました。成長期にある高校生が履けば、そのリスクも当然、高くなるでしょう。果たしてそのリスクを負ってまで履く必要があるのかなというのが、正直なところでした」

選手に伝えた「履きたい者だけ、履けばいい」

 厚底シューズは接地時の負担が少なく、かつカーボンプレートの反発力で推進力が生まれるため、レース後半になってもペースの維持がしやすい。よくランナーが「脚が残る」という表現をするのはこのカーボンの力によるところが大きい。一方でシューズの力で脚が動かされてしまうために、普段使わない筋肉が動き、骨にも負担がかかると高見澤は見ており、他にも多くの指導者が同様なことを口にする。リスクがあるというのはこの点が理由だ。

「履きたい者だけ、履けばいい」

 高見澤はそう選手に伝えたという。2019年の全国高校駅伝1区で28分台を出したひとりである鈴木芽吹(現・駒澤大)はこのタイミングでは履かなかったが、ほとんどの選手たちはそのシューズの威力を見聞きしており、飛びついたという。当然だろう。速く走りたいと願う高校生にとってそれはまさに魔法のシューズといっても過言ではないほどの影響力があった。

2019年全国高校駅伝のスタート。多くの選手の足元に、厚底シューズが見える ©KYODO

禁止しても、こっそり自腹で購入してしまう選手も

 佐久長聖高校はナイキと契約を結んでいることもあり、望めばシューズはメーカーから提供されるが、高見澤はリスクの観点から入学したばかりの1年生など、まだ早いと判断した選手には履かせない方針を取っていた。しかしその中でもこっそりと自費で購入する選手はいたという。

「厚底シューズはそれまでのシューズに比べ高額ですし、部活動で使うものとして買うには負担もあるかと思います。しかし喉から手が出るほど欲しいとはまさにこのことなんでしょうね。値段のことや、私から怒られること以上に、選手たちの速く走りたい思いが勝ったのだと思います」

 厚底シューズのもたらすメリットは明らかであり、選手もそれを欲している。ならばと、高見澤はいかにうまく使い、故障のリスクを避けるかに目を向け始めた。

「なるべく使用頻度を減らそうと考え、基本、厚底シューズは駅伝とその前のロード練習など限られた時しか履かせません。そしてケアを徹底しました。大腿部、股関節周辺の故障が多いと聞いていましたので、トレーナーにもその部分を重点的にケアしてもらうようにしています。本校では日常的に選手が2人一組でペアマッサージをしていますが、この厚底シューズを使うようになってからは、ひざから上の部分を中心に行うようにしています。ひざ下部分は自分でもケアできますからね」

 ロード用の厚底シューズのコンセプトが受け継がれた「ナイキ ズームX ドラゴンフライ」、「ナイキ エア ズーム ビクトリー」など、高性能の中長距離用のスパイクも生まれ、トラック種目の好記録の要因となっている。佐久長聖高でも試合でこれらを使用する選手は多いが、やはり練習で履く場面は多くないそうだ。

「使用頻度が増せば、負担があると思う」

「ロードの厚底シューズと同じです。トラック練習をする際も毎回使うのではなく、練習メニューや目的に応じて、選手にはそのスパイクを使っていいかどうかを伝えています。やはり頻度が増せば、負担があると思うからです」

 こうした取組みの成果もあり、今のところ、佐久長聖高校で故障自体の数は増えていない。ただ割合として見たときに、これまではひざ下部分のケガが多かったが、股関節や大腿部を痛める選手が出てきたことは事実だと語る。

「こうした故障を回避するために走動作の動き作りや股関節周辺の筋力トレーニングは積極的に行っています。走る以外の練習や、走る前後の取り組みの重要性が増していることは間違いありません」

「大学生や実業団選手であればリスクは少ないでしょう。日頃から履き慣らし、質の高い練習をすることもできます。それによりさらに記録を伸ばせるはずです」と高見澤は言う。「ただ高校生は成長期の選手なんです」と付け加えた。まだ体ができていない選手を預かる以上、故障対策へ気を配らなければならないのだと。

「指導者も“故障対策”への意識を持つようになった」

 だが同時に高速化が進む現在の潮流は歓迎している。

「結果的にロード、トラックとレベルアップが進んでいます。それが選手たちの目標や意識の向上につながっていますので、シューズの進化が高校陸上界に好影響を与えていることに疑いはありません。全国高校駅伝のエース区間である1区で言えば、28分台の区間タイムはこれまでとんでもなく高い目標でしたが、本校の選手にとっても今は現実的な目標となりました。高い目標は練習へのモチベーションになりますし、それをクリアすれば、新たな世界が見えてきますので、選手の夢も広がっていきます。

 ただ忘れてはいけないのが成長期の高校生にはリスクもあるということ。かつてシューズでこのような悩みを抱えることはありませんでしたので、選手、指導者ともに今まで以上に“故障対策”への意識を持つようになりました。そうした面でも厚底シューズは高校陸上界を変えたと思います」

 好結果が出る一方で指導者が日々、選手をコーチングするうえで配慮すべきことが増えた。それも厚底シューズがもたらした変化だった。

<後編へ続く>

文=加藤康博

photograph by Yuki Suenaga