1952年に日本プロ野球で外国人選手枠が制定されてから今年で70年。球史を彩ってきた外国人選手たちのなかで「最強助っ人は誰?」と聞かれたら、あなたは誰を挙げますか?

 Number Webでは、90年代以前と00年代以降の2つの年代にわけて、「あなたが選ぶプロ野球・最強助っ人外国人選手は誰ですか?」というテーマでアンケートを実施。5月18〜25日にかけて、計540票が集まりました。

 まずは「〜90年代」のランキング10位から6位の結果を発表します。<#2では、5〜1位の結果を公開中です>

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9位タイ)レロン・リー 8票

 9位タイにランクインしたのはロッテで活躍したレロン・リーでした。

 70年代後半から80年代前半にかけて、弟のレオン・リーや、3度の三冠王に輝いた落合博満らとともに、リーグ屈指の打線を形成。ロッテの中軸を担い、本塁打王や打点王を獲得しました。毎年安定した成績を残した点もレロンの特徴で、日本プロ野球史上、歴代1位となる生涯打率.320を記録しています(4000打数以上記録した選手が対象 ※2021年シーズン終了時点)。

左が兄・レロン・リー、右が弟・レオン ©Sankei Shimbun

「あの打撃センスは絶品です」(55歳・男性)

「登場時は衝撃だった。来日初年の1977年に本塁打、打点の二冠を獲得した活躍は、優勝チーム・阪急でMVPとなった山田久志をも上回ると感じた。さらに遅れて来日した弟のレオンも安定した成績を挙げた。ブーマー、バースの活躍の下地をつくったと感じる」(56歳・男性)

「印象という点から見るとトップではないと思いますが、これまでもこれからも決して彼の名前が記録から消えることはないでしょう。僕の中で首位打者は打者最高のタイトル。それも通算(1位)ですから」(48歳・男性)

「リーさんが引退後に知り合いのツテで草野球のチームメイトとして参加してくださいました。皆の期待を背負っての打席、1打席だけだったのですが結果はピッチャーフライでした(なぜ1打席だけだったかは覚えていません)。しかし、後にも先にもあんなに高く上がったピッチャーフライは見たことありませんでした」(55歳・男性)

9位タイ)オマリー 8票

 阪神、ヤクルトで活躍したオマリーが8票で9位タイに。

 91年、阪神に加入以降、抜群のミート力を武器にヒットを量産。6年連続で打率3割(93年は首位打者)を記録した“安打製造機”として活躍しました。

 94年オフに移籍したヤクルトでは、野村克也監督のもとでプレー。95年シーズンは打率.302、打点87、本塁打31をマークし、リーグ優勝&日本一に大きく貢献しました。

9位タイのオマリー(右)。左はミューレン ©Koji Asakura

「ヤクルトで優勝に貢献する活躍でした」(54歳・男性)

「阪神ファンなので甲子園によく応援に行きました。オマリーの応援歌は今でも歌えます。ヤクルトに移籍した95年に、ヤクルトは日本一に。オマリーの活躍と言っても過言ではない」(48歳・女性)

「一発打ってくれる期待感が凄かったので」(38歳・男性)

「小林・オマリーの14球(95年日本シリーズ第4戦・11回裏の名勝負)、何よりあれだけのヒットメーカーで打率も高いのに通算内野安打0が凄すぎて!」(41歳・男性)

1995年日本シリーズ第2戦で決勝ホームランを放ったオマリー © Kazuaki Nishiyama

8位)郭泰源 10票

 8位にランクインしたのは、80年代後半から90年代前半の西武を支えた郭泰源(かく・たいげん/台湾)。

 台湾出身の右腕は、入団1年目でノーヒットノーランを達成し、西武一筋13年間で6度の2桁勝利、117の勝ち星を積み上げました。その快速球から「オリエンタル・エクスプレス」の異名を持ち、切れ味鋭いスライダー、シュートも駆使して打者を翻弄。かの落合博満をして「手も足も出なかった」と言わしめた名右腕として語り継がれています。

「オリエンタル・エクスプレス」こと郭泰源 ©Makoto Kenmizaki

「黄金時代の西武の中でも絶望感のあった投手! 見ていてカッコ良過ぎたのを覚えている!」(45歳・男性)

「あの落合(博満)さんが絶賛していたから」(14歳・男性)

「当時ヤクルトファンだったが日本シリーズで初めて見て、1回の投球を見て点を取れるイメージが全くわかなかった。落合氏も本気の郭泰源はすごいと言っていた」(47歳・男性)

「常勝ライオンズの黄金時代を支えたことが印象深い。長い手足と細身を生かした、しなるような投球フォームと、『オリエンタル・エクスプレス』の異名を取った快速球のいずれも、強く記憶に残る。当時、地方の高校球児(控え投手)だった私は見よう見まねで放ってみたが、体格が違いすぎ、球速も制球力も全くサマにならなかった」(53歳・男性)

 

87〜97年は「背番号18」でプレー ©Koji Asakura

7位)郭源治 18票

 同じ台湾出身の郭泰源より4年早く来日し(81年)、中日一筋16年にわたって活躍した郭源治が7位に。

 86年までは主に先発として活躍しましたが、星野仙一が監督に就任した87年、クローザーに転向。いきなり26セーブをマークし、翌88年(37セーブ)と続けて最優秀救援投手賞を受賞しました。同年はリーグ優勝にも大きく貢献し、MVPを獲得。躍動感あふれる投球フォーム、マウンドで見せた派手なガッツポーズは“郭ダンス”と称され、ファンに親しまれました。

郭源治 ©Makoto Kenmizaki

「中日ドラゴンズ最強の抑え投手で優勝に導いたので」(63歳・男性)

「成績、人気度、ガッツで1番印象に残っています」(51歳・男性)

「郭源治の投げっぷりの良さを見て、本当にカッコいいと思ったものです。強気に押していく投球、それを自分のことのように喜ぶ星野監督。郭が最後投げて、ナゴヤ球場で優勝したシーンは、中日ファンにとって、永遠です」(45歳・女性)

「(ゲームソフトの)『ファミスタ』でも最強だったから! 使ったら反則のルールが私達のなかではありました」(40歳・男性)

星野仙一監督に叱咤されるシーン ©Naoya Sanuki

6位)ブーマー 25票

 6位は、身長2メートル、体重100キロの巨体から安打と本塁打を量産したブーマー。

 1980年代の阪急、オリックス・ブレーブスの主砲として活躍しました。なかでも84年は、福本豊や水谷実雄、松永浩美らとともに強力打線を形成。ブーマー自身、外国人選手初の三冠王(打率.355、ホームラン37本、130打点)に輝き、阪急“最後の優勝”を支えました。

 日本在籍10年間で通算打率は3割超え。規格外のパワーはもちろん、巧みなバットコントロールも光りました。

当時、身長200cm&体重100キロのブーマー ©Naoya Sanuki

「外国人最初の三冠王! 阪急だったので阪神のバースに人気は負けるが(悲)、実力は最強! 阪急のパ・リーグ優勝にも貢献した!」(57歳・男性)

「首位打者・本塁打王・打点王の三冠王を獲得し、ゴールデン・グラブ賞を2回獲るなど攻守にわたって活躍した伝説の助っ人だったから」(17歳・男性)

「とにかく、穴がない印象。投げる所がない!」(48歳・男性)

「圧倒的な巨体、強い阪急=ブーマー。ライオンズファンだった私には畏怖。晩年になっても活躍してた」(47歳・男性)

「大きな身体に似合わず、俊敏な動きもでき、三振が少ない。バースに先んじて三冠王を獲得。日本で10年プレーして通算打率.317は素晴らしい成績」(53歳・男性)

「これまでも評価されているが、それ以上に評価されていいと思う。単年の成績、長期間の安定した成績、これらを合わせれば最強外国人といっていいだけのものはある。当時のパ・リーグであったことから、メディアでの取り上げ方もセ・リーグとは大きな差があり、まして(主に)阪急であったことで損をしていると思う」(49歳・男性)

©Makoto Kenmizaki

文=NumberWeb編集部

photograph by Koji Asarakura/Makoto Kenmizaki