森保一監督率いる日本代表がブラジルと対戦する。これまで最強のフットボール王国とどんな戦いを繰り広げてきたか、現地在住の日本人ライターに現地観戦した試合を含めて記してもらった(全2回/#2も)

 東京の国立競技場で、日本代表が世界ランキング1位(3月末現在)のブラジル代表と対戦する。

 ブラジルは、1930年の第1回大会から現在まで21回のワールドカップ(W杯)すべてに出場している世界唯一の国であり、2022年W杯南米予選も首位で突破した。「フットボール・カントリー」を自認しており、W杯における戦績は眩いばかりだ。

 優勝が世界最多の5回で、準優勝、3位、4位が各2回。つまり、過半数の11大会(52%)でベスト4以上の成績を収めている。ベスト8が7回あるから、ベスト8以上が18大会(86%)。ベスト8に届かなかったことが3回(14%)あるが、ベスト16を外れたことは一度もない。

 今年の大会で、2002年日韓大会以来20年ぶり6度目の戴冠を目指す(ちなみに、ブラジルに次ぐ成績を残しているのがドイツで、19回出場して優勝4回、ベスト4以上が13回、ベスト8以上が17回、ベスト16以上が18回)。

優勝した日韓W杯で大活躍したロナウド ©JMPA

 一方、日本は1998年以来、7大会連続出場。過去最高の成績が2002年、2010年、2018年のベスト16で、今度の大会では史上初のベスト8以上を目指す(悲願は、2050年までに優勝すること!)。

 ブラジルにとっても、6月のアジア遠征(2日に韓国代表と、6日に日本代表と対戦)は5カ月後に開幕するW杯の準備の一環として極めて重要だ。現時点のベストメンバーで臨み、全力でプレーするはずだ。

日本から見て2分10敗。平均スコアは「0.4−2.8」

 この試合を前に、日本代表とブラジル代表の対戦の歴史を振り返ってみよう。

 予めことわっておくが、日本人にとっては身の毛がよだつようなデータを目にすることになる。

 12戦して、2分10敗。総得点5、総失点34で、平均スコアは0.4対2.8。8試合で3失点以上を喫している。

 試合地は日本4試合、ブラジル2試合、欧州5試合、東南アジア(シンガポール)1試合で、日本がかなり有利であったにもかかわらず、である。

 最初の対戦は、1989年。リオで行なわれ、日本が0−1で敗れた。この試合を含めて5連敗した後、2001年にコンフェデレーションズ杯でカシマスタジアムで対戦してスコアレスドロー。さらに2005年、やはりコンフェデレーションズ杯でケルンで対戦して2−2の引き分け。

 2試合連続の引き分けで、実力差が多少縮まったかと思いきや、以後、現在に至るまで5連敗中。この中には、2006年W杯ドイツ大会のグループステージ(GS)で日本が玉田圭司のゴールで先制しながら、4ゴールを奪われて逆転負けを喫した試合が含まれる(W杯で対戦したのはこの試合だけ)。

初対決とドイツW杯観戦で感じた日本とブラジルの差

 1989年と2006年の対戦を、僕はいずれも現地で観戦している。この2試合を振り返りながら、「日本とブラジルの差」について考えてみたい。

 1989年の試合は、7月23日、リオの名門バスコダガマの本拠地サンジャヌアリオ・スタジアムで行なわれた。

 この年の7月1日から16日まで、ブラジルはコパ・アメリカ(南米選手権)を開催。天才ディエゴ・アルマンド・マラドーナ率いるアルゼンチン、名手エンゾ・フランチェスコリが攻撃を牽引したウルグアイを倒して優勝していた。

 コパ・アメリカで優勝してからわずか1週間後で、7月30日に始まる1990年W杯南米予選の準備のための強化試合という位置付けだった。

90年W杯ではマラドーナ擁するアルゼンチンに敗れたものの、4年後のアメリカW杯で優勝を果たす ©Getty Images

ドゥンガ、ロマーリオらが居並ぶ豪華な面々

 監督は、セバスティアン・ラザローニ(2001年から2002年まで横浜F・マリノス)。当時、欧州で流行していた3−5−2のフォーメーションを採用していた。

 先発メンバーは、コパ・アメリカ決勝から2人変更しただけ。GKタファレル、CBアウダイール、MFドゥンガ、FWロマーリオ、カレッカ、ベベットら錚々たるスターが顔を並べた。

 一方、日本は1986年W杯、1988年ソウル五輪のアジア予選でいずれも敗退。Jリーグはまだ創設されておらず、暗黒時代の真っ只中にあった。

 それでも、1986年以降、個々の選手が所属クラブとプロ契約を結ぶことは認められており、アマチュアからプロへの過渡期にあった。

 折りしも、日本代表は再出発するため若手を加えて南米遠征中で、それゆえブラジル代表という“超格上”と試合を組んでもらえたようだ。この試合までにアルゼンチンとブラジルのクラブチームと対戦し、1分4敗だった(ブラジル戦の後にもクラブチームに敗れ、1分6敗、得点3、失点10で遠征を終えた)。

 横山謙三監督がやはり3−5−2のフォーメーションを採用し、最終ラインに井原正巳(当時筑波大学、現柏レイソルヘッドコーチ)、中盤に望月聡(当時NKK、現びわこ成蹊スポーツ大学教授)、攻撃陣に長谷川健太(当時日産自動車、現名古屋グランパス監督)、水沼貴史(当時日産自動車、現解説者)らがいた。

ブラジルの面々は緊張感がなかった

 当時、僕はサンパウロで日本語新聞の記者をしていた。コパ・アメリカの主な試合を観戦した後、この試合を見るためにまたリオへやってきた。

 サンジャヌアリオ・スタジアムの収容人数は約4万人だったが、この試合は3分の1程度の入りだった。

 ブラジルは、シャツがカナリアイエロー、パンツが青、ストッキングが白といういつものユニフォーム。日本は、上から下まで全部赤だった。

 試合が始まってすぐに気付いたのは、ブラジル選手の緊張感のなさ。コパ・アメリカで、聖地マラカナン・スタジアムで10万人を超える観衆から凄まじい声援を受けながら南米の強豪と激闘を繰り広げていたときとは全く違っていた。

 それでも、テクニック、フィジカル、状況判断といった基本的な能力が日本選手とはまるで違う。一方的に試合を支配し、シュートを打ち続けた。

 ところが、集中力に欠けるためか、シュートがことごとく外れる。

 一方、日本は相手のミスでボールを手にしても3本とパスがつながらず、すぐまたボールを奪われる。得点どころか、シュートを放つことすらできない。

 それでも、ブラジルは再三のチャンスを名手ロマーリオ、カレッカ、ベベットらが外し続ける。GK森下申一(当時ヤマハ)の好守もあって、前半は0−0で終了。大量得点を期待していた観衆が一斉に立ち上がり、鬼の形相でブラジル選手に罵声を浴びせた。

当時の試合を伝える紙面。見出しは「ラザローニ監督、低調な攻撃陣に不満」 ©Hiroaki Sawada

試合を決めたのは、あのビスマルクだった

 後半、ブラジルは最終ラインの3人を除く8人を替えた。「勝つため」というよりは、多くの選手をピッチに立たせるための交代らしかった。

 前半同様、ブラジルが一方的に攻めながら得点できない時間帯が続いたが、ようやく20分、右からのクロスをMFビスマルク(後にヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ)が頭で決めて先制する。

 その後も、ブラジルが再三の決定機を外し、日本はチャンスを作ることすらできない、という展開が続く。結局、そのまま試合が終わり、またしてもスタンドから凄まじいブーイングが起きた。

当時の結果とスタメンを伝える紙面 ©Hiroaki Sawada

 スコアだけ見れば日本の善戦のようだが、内容は完敗。試合が終わった瞬間、「よくこれだけ一方的な内容で、0−1で済んだ」、「大敗しなくてよかった」と思う反面、両国の実力差がとてつもなく大きいことに愕然とした。

 翌日のリオのスポーツ紙の見出しは、「ブラジル、練習モードで日本を下す」。「やっぱり、誰が見てもそうだよな」と思ったものだ。

「ブラジル、練習モードで日本を下す」との見出しで報じられた当時の紙面 ©Hiroaki Sawada

17年後にジーコジャパンがW杯でブラジルと対戦

 それから17年後の2006年6月22日、W杯ドイツ大会のグループステージ(GS)最終戦で、日本代表はドルトムントでブラジル代表と対戦した。スタンドは6万5000人の観衆で埋まった。

 ジーコ監督率いる日本は、国内では「史上最強」と言われて非常に期待されていた。しかし、GS最初のオーストラリア戦で中村俊輔の得点で先制しながら、終盤、3点を奪われて痛恨の逆転負け。2戦目はクロアチアとスコアレスドローで、GSを突破するにはブラジルに2点差以上で勝つ必要があった。

 一方、ブラジルは攻撃陣にロナウド、ロナウジーニョ、カカ、アドリアーノの“黄金のカルテット”を擁する優勝候補。クロアチアを1−0、オーストラリアを2−0で下しており、引き分け以上ならGS首位が確定する状況だった。

 序盤からブラジルが優勢だったが、日本もGK川口能活、CB中澤佑二を中心によく守り、不可能とも思えた2点差以上の勝利を目指してMF中田英寿らが果敢に攻めた。

 そして前半34分、日本は左SB三都主アレサンドロからの縦パスを受けたFW玉田が左足を振り抜くと、ニアサイドの上隅を破った。ブラジルのマークが甘かったとはいえ、見事なゴールだった。

 これで「ひょっとしたら」という淡い期待を抱いたのだが、ブラジル選手は先制されても平然としていた。前半の終了間際、左からのクロスを頭で折り返し、ロナウドが頭で決めて追いついた。

三都主も「玉田のゴールでいける」と思ったんだけど

 このときを振り返り、三都主は「玉田のゴールで『行ける』と思ったんだけど、前半のうちに追いつかれたのが本当に痛かった」と語っている。

ロナウジーニョをマークする三都主アレサンドロと中澤 ©JMPA

 後半に入ると、ブラジルの攻撃がさらに勢いを増し、日本は防戦一方となる。

 8分、MFジュニーニョ・ペルナンブカーノが無回転のミドルシュートを決めて逆転すると、14分に左サイドを突破し、左SBジウベルトが角度のないところからファーサイドへ蹴り込む。そして、36分にはゴール前でショートパスをつなぎ、ロナウドが右足で強烈なシュートを決めた。

 日本は健闘した。先制点を奪い、その後もオープンに攻めた。それだけに、力の差をまざまざと感じた。

 試合後、日本のエース、中田英寿がセンターサークルの中に倒れ込み、かなり長い時間、横たわっていた。チーム関係者に促されてようやく立ち上がったが、異様な光景だった。

中田英寿にとって現役最後の試合に ©JMPA

 そして7月初め、中田は代表のみならず選手としての引退を発表した。当時29歳。日本中の誰もが驚き、衝撃を受けた。

 第2回では日本にとって初勝利なるか、6日の試合展望について記す。

<#2につづく>

文=沢田啓明

photograph by JMPA