5月11日、38歳になった稀代の名手が、ようやく笑顔を見せていた。
14日のJ1第13節サガン鳥栖戦、先発してキャプテンマークを巻いたアンドレス・イニエスタは開始早々の2分、酒井高徳からのパスを絶妙なファーストタッチから右足でゴールに流し込み、今季2ゴール目をゲット。14分には代名詞のラストパスで汰木康也の追加点をアシストするなど4−0の快勝、そして神戸にとって今季初となるリーグ戦勝利に大きく貢献した。
「うまくいくときも、そうでないときもありますが、自分はピッチで最大限チームに尽くそうとしました」
フラッシュインタビューでこう語っていたイニエスタ。負傷離脱などでピッチに立てず、苦しむ期間があったものの、気付けばJでのプレーは5シーズン目となった。決してさび付くことのない妙技をピッチで見せるとともに……彼自身、そして妻のアンナ・オルティスさんは時に、日本での生活をエンジョイしている様子を伝えている。
「日本にはユニークなスポットがたくさんある」
「日本にはユニークなスポットがたくさんある」

イニエスタは「獅子殿」という大きな獅子の中に境内がある大阪の難波八坂神社をバックに写真に収まっていた。またアンナさんも神社や商店街を歩く様子をインスタグラム内で披露している。

普通に神戸の街中で出会ったら卒倒してしまいそうだな……と考えながら、イニエスタにとって日本に来てから初の著書となる『イニエスタ・ジャパン!』を読んでいると、バルサ時代やJリーグでのサッカーの話とともに、日本での生活について嬉しそうに語っているのが印象的だった。
「私は日本が大好きです。神戸の生活が大好きです」
こんな言葉を残しているイニエスタに、20分ほど話を聞けることになった。サッカーの奥深い話はもちろん聞きたい。だが、今回はその気持ちをギュッと抑えて、このテーマで一点突破することにした。
イニエスタさん、日本生活はどんな感じで楽しんでいるんですか?
「特にバルセロナから日本、神戸に来たことは自分の人生にとって大きな出来事でした。それを語りたかったのと、日本に来てからいろいろな経験がありました。それを(書籍で)共有したかったんです」
こう切り出してくれたイニエスタに、「4年間の生活で感じた日本」について聞いてみた。
バルサ時代に日本に来たことがありますが…
――ヴィッセルに加入される前、日本に対するイメージはどういったものでしたか?
イニエスタ:ポジティブなイメージでした。バルサ時代に確か2回ほど日本に来たことがありますが……その経験から神戸という選択肢が生まれたときにも、「ここが正解なんじゃないかな」という気持ちがありました。そして今、時間が経ってみても「確かに正解だった」という気持ちがあります。
――では来日して以降、神戸に住んでみての街の印象はいかがでしょう。
イニエスタ:とても良い印象で、楽しんでいます。人も街も大好きで、ここ日本で生活をすることが大好きです。できるだけ僕も家族もここの生活に慣れたいというところですね。
――ショッピングの際など、車を使わずに散歩されるそうですが……。
イニエスタ:神戸は快適な街ですからね。例えば、オフの日には商店街に行ったり、食事に行ったりなど。今後もどこかにお出かけできればと思いますし、そういう経験をしたいなと思っているんです。
――バルセロナと神戸は港町という共通点があります。
イニエスタ:そうです。2つの街は、すごく似ていると思います。特にどちらも海もあって山もあるというところ、あとは快適さ……“自分がどこにいるかすぐわかる”というのは、神戸もバルセロナも似ていると思います。
――日本や神戸、バルセロナの人で、気質的に似ていると感じる点は?
イニエスタ:地元が大好きなところ、あとはおもてなしです。スペインやバルセロナ、そして日本にも「おもてなし」の気持ちがあるのが、似ているのではないかと思います。

「オコノミヤキ」が気に入っていますね!
――ちなみに、食生活でお気に入りになった日本食って、ありますか?
イニエスタ:いろいろありますね。例えば……お寿司はもともと好きでしたね。日本に来てから初めて食べたもので言えば……「オコノミヤキ」が気に入っていますね!
――お、「お好み焼き」ですか(笑)。子供さんたちは学校に通われて、日本語も学んでいらっしゃるそうですね。
イニエスタ:長女と長男が、学校で日本語の授業を受けています。これは、僕と妻にとっても、とても良いことなんです。子供たちから日本語を学べる機会になりますからね。学校から家に帰ってくると、聞いたことのない日本語の単語を耳にすることがあるほどです。
――イニエスタ選手には、お子さんが4人いらっしゃいます。特に4人目のロメオさんは神戸加入後の2019年にお生まれになったそうですが……特別な感慨などあったりしますか?
イニエスタ:実は、将来的にロメオに言いたいことがあるんです。
――というと?
イニエスタ:「神戸に住んでいる時にあなたが生まれたんだよ」。このように伝えたいと思っているんです。もしかしたら、他の子どもたちに比べて日本人っぽいところもあるかもしれませんね(笑)。
◇ ◇ ◇
『イニエスタ・ジャパン!』でもこのように、愛する我が子たちへの教育や経験について触れている。
〈子どもたちは素晴らしい体験をしています。言葉に関しても、新しい人との出会いについても。学校で仲良くなったクラスメイトたちと、貴重で文化的な経験をしています。自分たちが生まれ育った故郷とはすべてが根本的に異なる街で、彼らがいま経験していることは明日への糧となるでしょう〉
ではそんな日本での生活で、印象深い出来事とは何だったのだろうか?
◇ ◇ ◇
クラブW杯の時、地下鉄に乗ってみたりしましたね
――神戸の方々との触れ合いで、何か覚えていることはありますか?
イニエスタ:よく聞くのは「日本を選んでくれてありがとうございます」という言葉です。私にとっては深い言葉で、とても感動しました。日本人は私たちに対して思慮深いというか……そういった感情があるように感じます。外国籍選手が日本でプレーすることを選ぶのはとても大事なポイントになっているのでは、と思います。
――日本のサッカーファンにとって大きく印象に残っている出来事と言えば……イニエスタ選手がバルサに所属していた頃のクラブW杯です。ピッチでの活躍はもちろんですが、バルサのメンバーそれぞれが練習以外の自由時間では東京を満喫している様子を、SNSなどで発信していました。当時のことを覚えていますか?
イニエスタ:そうでした。その日がオフ、もしくは午後がオフというときに、チームメートのみんなが「新しい経験をしてみたい、日本に関して知ってみたい」ということで地下鉄に乗ってみたり、どこかに行ってみたり新しい経験をしましたね。
◇ ◇ ◇
「イニエスタと日本」をつなぐ上で語り草なのが、2011年クラブW杯でバルサの一員として来日した時のこと。イニエスタや現監督のシャビにセルヒオ・ブスケッツら鉄板の中盤でゲームを支配し、リオネル・メッシらが仕留める。ジョゼップ・グアルディオラ監督体制下で完璧なポゼッションスタイルを確立した黄金時代のバルサに日本は沸き立ったが、そんな彼らが自由時間を与えられ、思い思いに首都圏のスポットを観光していた。

21−22シーズンにバルサに復帰したダニエウ・アウベスは当時、横浜駅構内の「Yokohama」の駅名標の前でウキウキな表情で写真に納まっていたな……なんてことを思い出しながらイニエスタに話を聞いたら、本人自ら「地下鉄」という単語を口にした。
そうだ。地下鉄、乗ってたな……文藝春秋の中吊り広告を前に写真を撮っているのに、ほかの乗客が全く気付いていない(のか、慮ったのか)様子はシュールながら、イニエスタが日本を満喫しているようで、本当に嬉しくなった記憶がある。
そんな些細な出来事も、穏やかで理知的なイニエスタは覚えていた。
それほどまでに、イニエスタにとっての日本での経験はかけがえのないものだったのだろう。そこから7年後、イニエスタがJリーグを主戦場にすることを決断し、さらにはJリーグでのプレーが5年目に突入するとは、本人もファンも、さらにはサッカーに携わる人々も……誰が想像しただろうか。
◇ ◇ ◇
日本に来て数多くの選手とプレーできてとてもうれしい
――書籍ではヴィッセル時代にチームメートとして戦った古橋亨梧選手や、フロンターレの一員として対戦した中村憲剛さんが、感謝の言葉を述べています。それだけイニエスタ選手が日本で愛されている証拠ですが、イニエスタ選手はどう受け取りましたか?
イニエスタ:本当に感謝しかありません。日本に来て数多くの選手とプレーできてとてもうれしいし、繰り返しになりますが感謝しています。

――最後の質問になります。「神戸に住んで晴れ晴れとした気分です」と記されていますが、日本に来て良かったですか?
イニエスタ:もちろん良かったです。僕や家族にとっての次のステップになるということは最初から分かっていたので良かったです。さらにできる限り、ここでの生活に慣れて、数多くのことを学び、全力を尽くしながら進んでいきたいです。
チームでは日々最大のパフォーマンスを出して、チームの目標達成のために貢献する。プライベートでも、みんなが楽しめるように過ごしたいと考えていますよ。
<#2、#3につづく>

文=茂野聡士
photograph by PIA CORPORATION