Jリーグ、日本生活が5年目を迎えたアンドレス・イニエスタ。偉大な名手のインタビューと著書『イニエスタ・ジャパン!』の一部転載を配信します(全3回/#1、#3も)

<はじめに>

 私は、マリとホセ・アントニオの息子、アンドレスです。マリベルという妹がいます。そして、妻のアンナとともに、ヴァレリアとパオロ・アンドレア、シエナ、ロメオという4人の子どもの親でもあります。

日本はやさしく手を差し伸べてくれた国です

 私はプロのサッカー選手です。常にサッカーボールといっしょに人生を歩んできました。私は自分にとって世界一の場所と言える、スペインにあるカスティーリャ=ラ・マンチャ州アルバセーテ県のフエンテアルビージャで生まれましたが、いまは地球の裏側、日本の神戸に住んでいます。

 ずっと情熱を注いできたサッカーのおかげで、私たちは素晴らしい国を見つけ、新鮮で、エキサイティングな多くの経験をしています。サッカーに限ったことではなく、広範囲に及ぶことに関して。

 神戸に来て3年以上経ちましたが、故郷にいたときと同じように快適に生活しています。未知の、全く新しい文化に触れ、楽しみ、日本が私たちに与えてくれるすべてのものを日々吸収しています。

©Masashi Hara/Getty Images

 日本は、今回の大きな冒険を始めた日から、私たちにやさしく手を差し伸べてくれた国です。いま、皆さんが手にしているのは、単なるスポーツの本ではありません。2018年の夏、それまで暮らしてきたスペインの家から1万キロ以上も離れた神戸にやってきて以来、私と私の家族が感じてきたことを皆さんと共有できたら幸いです。

 私たちが大きく前進した意味、そして、この“日出る国”でどのように迎えられたかを、舞台の内側から知っていただきたいと思います。まずは、私や家族が日本の方々にとても愛され、リスペクトされていると感じていることをお伝えします。

事実は小説よりも奇なりと言いますが

 そして、私たちが大切にしている「規律」「尊敬」「謙虚」「努力」といった価値観は、自分たちを豊かにしてくれています。同時に、異なってはいてもとても魅力的な文化に浸ることで、私たちはこれ以上ないほど有効に時間を活用しています。私の家族、イニエスタ・オルティス家は、サッカーボールの後を追いかけながら一瞬一瞬、生涯決して忘れることのできない経験をさせてもらっていることに幸せと誇りを感じています。

EURO2012でのイニエスタとオルティスさん ©Takuya Sugiyama

 私は子どもの頃からずっとサッカーを愛し、足元にはいつもサッカーボールがありました。プロのサッカー選手になりたいとずっと願ってきました。

 事実は小説よりも奇なりと言いますが、私がこれまでの人生で体験してきたことは夢にも思わなかったことばかりです。今日、私がこうしていられるのはサッカーボールのおかげです。はじめは、私をフエンテアルビージャから本格的にサッカーに取り組んだアルバセーテまで導いてくれました。

 次に、まだ12歳だった私にアルバセーテからバルセロナへの旅をさせてくれました。そして34歳になると、サッカーボールは私と私の家族を日本へ連れてきてくれました。日本という国はFCバルセロナ(※以下、バルサ)でプレーしていたときに何度が訪れたことはありましたが、私にとって遠い外国でした。バルセロナと同じく海と山がある街・神戸で、私たちは落ち着いて暮らしています。

2002年、18歳時のイニエスタ ©Getty Images

 それまで全く知らなかった街なのに、いまイニエスタ・オルティス家はずっと前からここに住んでいたように感じています。私たちは緊張と好奇心を抱きながら、神戸に到着しました。いま、両目を大きく開いて目の前に広がる世界を観ています。自分たちの第二の故郷となったこの国の、この街のどんな些細なことも見逃さないように。

 私たちが日本を、神戸を楽しんでいるように、皆さんにこの本を楽しんでいただけることを願っています。

『キャプテン翼』の世界の住人となっていたのです

<『キャプテン翼』の国――翼と同じチームでプレーしたいという夢がありました。>

 私と妻アンナは家族全員の人生を大きく変える次のステップについて考え抜き、慎重に検討していました。そんなとき、私のエージェントであり、友人であり、兄弟と言ってもいいジョエル・ボラスから電話がかかってきました。

「日本のクラブチーム、“ヴィッセル神戸”の三木谷浩史オーナーが、君を獲得したいと言っている」

 日本?

 ジョエルからの電話で「日本」と聞いても、私には何のイメージもわきませんでした。ところが、その後、三木谷オーナーとお話しをさせていただく間に、私のなかの日本への遠い記憶が呼び覚まされてきました。私自身のサッカーキャリアにとって、最も重要な瞬間について話していたそのときに、ずっと忘れていたことを思い出したのです。

 私、アンドレス・イニエスタは1984年に生まれて以来、ずっとスペインのラマンチャ州アルバセーテ県にある、世界的には全く知られていない、人口わずか2000人あまりのフエンテアルビージャという街に住んでいました。

 ところが私はその小さな街で、時空を飛び越え、何度も、何時間も、日本の偉大なマンガ家、高橋陽一先生が描く『キャプテン翼』の世界の住人となっていたのです。正直に言えば、当時はそれが“日本”という国のマンガだとは全く知りませんでした。『キャプテン翼』の連載がスタートした1981年、私はまだ生まれてもいません。

 しかし、それでも運命の糸が私と1万キロ離れた日本を結び始めていました。それは、高橋陽一先生とアンドレス・イニエスタという二人のアーティストが築いた、特別なつながりだったのかもしれないと想像しています。

 小さな子どもだった私はスペインの田舎町の家で、古ぼけた小さなテレビの前に座るたび、日本を旅していたのです。ピッチの上で必死にボールを追いかけてプレーしていたオリベル、そしてベンジを観るために、私は日本に“いた”のです。

(※アニメ『キャプテン翼』はスペインでは『OLIVER y BENJI』というタイトルで放送。主人公の大空翼はオリベル・アトム、若林源三はベンジ・プライスという名前になっている)

エンドラインなどなきがごとく無限に広がるグラウンド

 テレビに映るのは、エンドラインなどなきがごとく無限に広がるサッカーグラウンド。一方、私がサッカーをしていたのは、学校の隣にあるちょっとした広さしかないコンクリートの、グラウンドというよりは単なるコートで、一角には一本の大きな木がそびえるように立っていました。

 後に私が『OLIVER y BENJI』の国でプレーし、さらに作者である高橋陽一先生にお会いできたことは人生最大の喜びのひとつです。実現するまでには30年近い歳月を待たなければなりませんでしたが、私たちはいずれ巡り会う運命だったのでしょう。

 当時としては、知る由もありませんでしたが。フエンテアルビージャで私はオリベルやベンジたちのユニフォームを着て、夢中でサッカーをしていました。いっしょに遊んでいた仲間は私を入れてたったの3人。役割は変わりばんこ。交代で主人公のオリベルになりきっていました。そのうちのひとりが2018年、日本へ向けて旅立つことになろうなどとは、誰ひとり思いもせずに。

 私たちは毎日サッカーをしていました。学校が終わればすぐにサッカーがしたくて友だちを探し歩き、日が暮れて母や祖母が「ごはんだよ!」と呼びにくるまで夢中で楽しんだものでした。

©Takuya Sugiyama

テレビで観たアニメがすべて変える用意をしてくれていた

 当時から私は、オリベルとベンジについてなら何でも知っていましたが、日本という国や日本のサッカークラブについては何ひとつ知りませんでした。なのに、テレビで観たアニメが私の生活をすべて変える用意をしてくれていたことに、私はいま改めて驚いています。

 高橋先生も、地球の裏側で『キャプテン翼』を食い入るように観ていた少年が、まさか日本のサッカークラブでプレーするとは想像していなかったでしょう。それだけでなく、その少年が34歳になって来日し、お気に入りのアニメが創り出された場所を探るため、突然目の前に現れ、ソワソワと落ち着きなく、興奮しながら丸一日スタジオで過ごすなんて夢にも思わなかったはず。

 私には『キャプテン翼』を生み出したクリエイターの現場をのぞいてみたいという夢と、翼と同じチームでプレーしたいという夢がありましたが、ついにそのひとつを叶えることができました。

(※イニエスタはヴィッセル神戸への移籍後、希望して高橋先生の仕事場を訪れた)

 逆に、高橋先生は優雅にボールとダンスしていた、『キャプテン翼』の愛読者に魅了され、わざわざバルセロナまで私のプレーを観に来られていたそうです。スペインを離れ、いまこうして地球の裏側でサッカーを続けていますが、私を引っ張ってきたのは、『キャプテン翼』の主人公である翼だと言っても間違いではないでしょう。

<#3につづく>

『イニエスタ・ジャパン! 日本に学んだ 人生で大切なこと』(ぴあ)。(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)

文=アンドレス・イニエスタ

photograph by Takuya Sugiyama