「一体いつになったら、何か手を打つんだ?」

 ゴールデンステイト・ウォリアーズのヘッドコーチ、スティーブ・カーは声を荒げてそう言い、怒りと悲しみにゆがんだ表情で拳を机に叩きつけた。

 5月24日、NBAプレイオフのウェスタン・カンファレンス決勝第4戦の試合開始まで2時間を切っていた。いつもなら試合に向けてのチーム状況や意気込みなどを語る試合前会見でのこと。しかし、彼が怒りをあらわにした相手は記者でも選手でもなく、話していたことは試合のことでもなかった。

 この数時間前、テキサス州ユバルディの小学校で銃乱射事件が起き、児童と教師、合計21人が殺害されていた。その10日前にはニューヨーク州バッファローのスーパーマーケットで起きた銃乱射事件で10人が殺害されたばかりだった。バッファローの事件の翌日にはカリフォルニア州ラグナウッズの教会でも銃乱射があり、1人が死亡、5人が重軽傷を負っていた。

テキサス州ユバルディの小学校で発生した銃乱射事件 ©KYODO

 悲しいことに、アメリカでは銃によるこういった事件は珍しいことではない。カーHCも、これまでに数えきれないほど試合前に銃暴力の被害者のための黙とうを捧げてきた。何度黙とうしても、事件は減るところか増えているようにすら感じる。

 それなのに、事件を減らすために必要な銃購入の身元確認を厳格化する法案すら成立の見通しがたっていない。共和党の上院議員たちが反対しているからだ。カーHCが怒りを爆発させたのは銃暴力の対策を進めようとしない政治家たちに対して、そして、問題がわかっていながら解決できないアメリカの悲しい状況に対してだった。銃規制法案に反対する共和党の有力議員たちの名前をあげ、「礼拝者たちやお年寄り、そして子どもたちの命よりも、自分たちの権力を維持することを優先するのですか?」と問いかけた。

 現在56歳のカーにとって、人生で一番悲しい黙とうは1984年1月、カーが18歳で、アリゾナ大1年のときに捧げた黙とうだった。その4日前にレバノンのベイルートで命を落とした自分の父に対する黙とうだった。当時、ベイルートのアメリカン・ユニバーシティの学長だった父、マルコム・カーは、学内で2人の暗殺者に銃で撃たれて亡くなった。あれから38年の年月がたち、いつのまにか当時52歳だった父の年齢を超えた今でも、父の話をすると胸が締めつけられる。

 今、彼がアメリカで頻発する銃撃事件のたびに被害者や家族を思って心を痛め、試合直前でも怒りをあらわにして銃規制を訴えるのは、彼自身がそんな経験をしてきたからだ。父が殺害されたときとは国や状況など事件の背景に違いはあるが、銃暴力の被害者家族であることに変わりはない。だからこそ自分にできることをしたい、たとえ微力でも問題解決に向けて訴え続けたいという気持からだ。

 去年、PBS(アメリカ公共放送サービス)のインタビューを受けたカーは、その思いについてこう語っていた。

「父がああいう形で亡くなったこともありますし、これはこの国にとってとても大きな問題です。だからこそ、私が追い求めるプロジェクトと考えているのです」

NBAファイナル第2戦の会見では「END GUN VIOLENCE」のメッセージが刻んだTシャツを着用したスティーブ・カー ©︎Yoko Miyaji

NBAへの道を切り開いてくれた父

 カーにとって、亡くなった父は大きな存在だった。父はスポーツ選手ではなかったが、スポーツ好きな人だった。家の前のドライブウェイで、よく1対1の相手をしてくれた。父が勤めていたUCLAの男子バスケットボールの試合でボールボーイをできたことも、今となってはいい思い出だ。大学を決めるときには、カーを勧誘しておきながらしばらく連絡をくれなかったルート・オルソン(当時のアリゾナ大ヘッドコーチ)に電話をかけ、奨学金をオファーする気があるのかと問いただしてくれた。あのときの父の電話がなければ、カーは別の、アリゾナ大より弱小の大学に進学していた。そうなっていたらNBAへの道も開けていなかったかもしれない。

 父から与えられたのは、NBA選手としてのキャリアだけではない。政治学を研究していた父が、フランスやエジプトの大学で数年間働いていたおかげで、家族と共に異国での生活をすることができた。そのことで、自分とは違う価値観や文化を受け入れる下地ができた。他人の思いを理解しようとする共感力も培われた。父が同僚や知人たちと政治や社会の話をしているのを聞きながら、世界情勢への理解を深めていった。

 そういった人間性や知識は、選手時代に脇役選手としてチームメイトの信頼を勝ち取ることや、ヘッドコーチとなった今、チームをまとめるうえでも強みになっている。

シカゴ・ブルズなどでプレーした現役時代のスティーブ・カー(右)©USA TODAY Sports/Reuters/AFLO

 現役時代にシカゴ・ブルズとサンアントニオ・スパーズで計5回のNBA優勝に貢献し、ウォリアーズのヘッドコーチになってから、チームを7シーズンで5回のNBAファイナルに導き、これまでに3回のNBA優勝を果たしたのも、そして今、4回目のNBA優勝を目指してNBAファイナルの戦いができているのも、父から受け継ぎ、教わったことのおかげだった。

「18年間、父がいたことに感謝している」

 7年前、ウォリアーズのヘッドコーチになって1シーズン目に、地元紙、マーキュリー・ニュースの取材を受けたカーは、子供のころに海外で生活したことや、父の影響についてこう語っている。

「子供のときにエジプトで暮らして、貧困を見てきたことで、同情心を培ってきました。食卓を囲んで世界の政治の話をすることで、自分たちがどれだけ好運かを理解するようになりました。その経験によって、人生についてつり合いの取れた見方を身につけてくることができたのだと思います。そういったことが、選手時代にはチームメイトとして、そして今ではコーチとして、人を理解することに役立っています」

 同じインタビューで、カーはこうも語っている。

「18年間、父がいたことに感謝しています。人生において、今でも毎日のように父の影響を感じています」

 カーの怒りの会見は、ウォリアーズの公式ツイッターアカウントに掲載され、現在までに3700万回以上再生されている、ウォリアーズのスター選手、ステフィン・カリーは、その動画に「今夜の試合と同じぐらい何度も、この映像を見てほしい」とコメントをつけてリツイートしている。

 その日の試合後、カリーは、ひとりの父親として、カーHCのリーダーシップに感謝した。

「コーチのリーダーシップに感謝しています。試合前、あのこと(ユバルディの小学校での事件)はみんなの頭の中にあり、バスケットボールに集中することが難しい状況でした。僕にも子供がいて、毎日、学校に送っていっています。親として、被害者の家族が感じていることに思いを寄せています。コーチがあれだけのことを言うのに、どれだけ心を痛めていたか想像もできませんが、ひと言ひと言がとてもパワフルで、大きな意味を持っていました。

 難しいことですが、問題の解決に向けて僕も自分の声や持てる機会を生かして変化を起こしていきたいと思います。コーチがみんなの前で、このマイクを通してあれだけ語ったことがどれだけ大きな意味を持っていたか。ずっとそういった声をあげてきてくれた、そのリーダーシップをありがたいと思っています」

ステフェン・カリーとスティーブ・カー ©Getty Images

 ひとりが声をあげるだけで解決できるような簡単な問題ではないかもしれない。しかし、それでも無駄だと諦めず、心からの思いを伝え続けることで多くの人を動かしていく。

文=宮地陽子

photograph by AP/AFLO