日本最難関大学である東京大学に入学し、さらに体育会(※東京大学では「運動会」と称する)の花形である野球部で活躍した学生は、知力と体力を兼ね備えたスーパーエリートと呼んでいいだろう。彼らのような人材は、野球部を引退した後はどのような道に進んでいるのだろうか。東大野球部のウェブサイトやスポーツ紙には、東大野球部の4年生の進路が毎年掲載されており、それらを集計すると興味深い事実が見えてきた。今回数字を集めたのは、92年から現在の2022年まで。バブル崩壊を多くの日本人が実感しはじめた1991年の翌年3月に卒部した平成部員から令和部員までを追い、10年ごとの区切りのなかで、トレンドを紹介していきたい(全3回の3回目《12年〜22年編》/#1、#2へ)。

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 前回の記事に続いて、2012年〜22年の11年間のデータをもとに、卒部生の合計213人について以下のようなランキングを作成した。

 <進路割合>

 1位 就職(40%)86人
 2位 大学院(31%)67人
 3位 在学(24%)51人
 その他、プロ野球、大学病院復帰、留学など

 <業界別>

 1位 商社(19人)→就職者の22%
 2位 銀行(10人)→同12%
 3位 生損保(9人)→同10%
 4位 不動産(8人)→同9%
 5位 放送(6人)→同7%
 6位 自動車、陸運(4人)→同5%
 7位 コンサル、情報・通信、化学(3人)→同3%
 8位 広告、証券、小売(2人)→同2%
 9位 海運、電気・ガス、食品、人材派遣、鉄鋼、出版、総合電気、機械、医薬品、独立行政法人、公務員(1人)→同1%

 <企業別>

 1位 三菱商事、住友商事、三井不動産:5人
 2位 三井物産、東京海上日動火災:4人
 3位 伊藤忠商事、日本政策投資銀行、NHK:3人
 4位 みずほ銀行、三菱地所、TBS、トヨタ自動車、 JR東日本、JR東海、日本生命、ベイカレント・コンサルティング、野村証券、富士フイルム:2人
 5位 丸紅、JFE商事、三井住友銀行、三井住友信託銀行、日本銀行、農林中央金庫、モルガン・スタンレー、森ビル、フジテレビ、三井住友海上、損害保険ジャパン日本興亜、ゼビオ、三菱自動車倉敷、三菱自動車岡崎、住友生命、アクセンチュア、日本調剤、電通、Macbee Planet、オービック、野村総合研究所、商船三井、東邦ガス、サントリー食品インターナショナル、リクルート、APJ media、日本製鉄、日立製作所、旭化成、新東工業、協和発酵キリン(現協和キリン)、国際協力機構、freee、さいたま市役所:1人

 ※卒部時点での進路。選手の他に、マネージャー(主務)、学生コーチも含んで算出している。出典は、スポーツニッポン、スポーツ報知、および東京大学野球部ウェブサイト。また、マネージャーには他大学の学生もいるが、ここでは東大野球部卒部生として扱っている。

5大商社に計18人「やはり強い三菱商事」

 12年〜22年までの11年間は、世間の一般大学生の就職率が60%前半から上昇を続け、15年には70%を超えた。ゆえに「売り手市場」とも言われ、学生にとっては比較的就職が容易になった期間といえよう。コロナに見舞われた20年度、21年度でも70%台をキープしており、就職氷河期はいまや昔の話だ。

 また、初代iPhoneが07年に登場すると、スマホの普及は、10年代になって世界的に加速。IT分野で新たな企業や仕事が勃興するとともに、巨大プラットフォーマー4社を指すGAFAが広く知れ渡り、その影響力を世界は無視できなくなった。

 こうした状況下で、日本でも、デジタル化への対応やイノベーションの創出が図られた。働き方改革も進み、社会や経済に対して、これまでにない変化が促されている時期だといえよう。

 優秀な若者にとって、変革の時代とはチャンスの時代である。エキサイティングな世相にあって、東大野球部卒部生の進路で最も多いのは、やはり就職だった。

 就職組でまず目につくのは商社への入社の多さである。商社を選んだ者の割合は過去それぞれの10年に比べ、10〜14%も増加した。企業別にみても、三菱商事が5人とトップで、前の10年間から続いて東大野球部と同社のつながりは深いと思われる。他にも住友商事5人、三井物産4人、伊藤忠商事3人、丸紅1人と5大商社をおさえて隙がない。

 かつては世界中の商品を右から左へ流すトレーディング業務で稼いでいた商社業界は、00年代以降は事業会社に投資し、その事業環境を整えつつ経営にも参画する手法で収益を大きく伸ばしている。01年に三菱商事がローソンの筆頭株主になり、02年に社長を送り込んだのはいい例だろう。あらゆる業界の事業に当事者としてタッチできる商社のビジネスモデルは、知力と体力とガッツあふれる若手には、魅力的に映るだろう。

三井不動産5人、三菱地所2人…一気に増えた「不動産業界」

 銀行の人気は復調気味で、入行者は就職者全体の12%。そのうち注目は、17年から19年の3年連続で日本政策投資銀行に進んでいる点だ。一般的には、みずほ銀行や三井住友銀行といったメガバンクへの就職が人気だが、東大野球部卒部生は、投資銀行業務への関心が高いのだろうか。モルガン・スタンレーや農林中央金庫へ進んだ者もいるし、さらに言うなら、野村証券の2人も、投資銀行業務への配属希望の可能性もある。

 生損保業界への就職は、前期および前々期と比較してもとくに変わらず。業界ガリバーの日本生命と、東京海上日動火災への入社組が目立った。

 94年の三井不動産と95年の東急不動産以来、東大野球部が縁遠かった不動産業界には、12年以降は打って変わって8人が進んだ。特に三井不動産は5人と、個別企業の中では三菱商事、住友商事と並んでトップの入社数を誇る。オリンピック需要などが期待された時期でもあり、不動産価格が急上昇する世相の中で、神童たちの新たな進路としてフォーカスされたのかもしれない。

 放送業界も依然として支持され、特に3人が入局したNHKは不動の人気だ。学生コーチだった中村信博(12年卒)は現在、NHK松山放送局でアナウンサーを務める。中村は高松高校時代、21世紀枠で選抜高校野球大会に出場し、控え捕手としてベンチ入りした。2浪の末に東大野球部に入部するも、右肘を痛め、学生コーチに転身。数少ない甲子園経験者として、チームに貢献した。

 NHKに次ぐのは17年にまとめて2人が入社したTBS。斉藤正直(投手)は、2年ほどで退社し、19年に株式会社pamxyに入社。同社は、企業の動画や芸人のナイツ塙のYouTubeチャンネルの制作などを手がけている。斉藤と同学年の喜入友浩(捕手)はTBSにアナウンサーとして入社。民放キー局のアナウンサー採用は東大野球部としては史上初だった。喜入は、現役時代には、1年後輩で18年に日ハムに進んだ宮台康平(投手)とバッテリーを組んでいた。宮台がドラフト指名された会見では、すでにアナウンサーだった喜入が報道陣として質問する場面も話題になった。

近年、東大生に人気のコンサル業界は?

 また、この期間には、日本ナンバーワン企業であるトヨタ自動車が、東大野球部卒部生を迎えた。92年以来、卒部時点での進路としてはゼロだったが、16年と17年の立て続けで採用している。ただ、そんな期待の新人だった高木一史(外野手・16年卒)は、3年でトヨタを退職し、現在はサイボウズの労務と育成を担当している。『拝啓 人事部長殿』(ライツ社)という本まで出版する、人事労務管理のプロだ。

 他で着目したいのはコンサル業界への進路者数。東京大学の学生で構成されている、東京大学新聞社によれば、近年の東大生の就職先として、コンサル業界が上位になっている。しかし、東大野球部の進路を見ると、コンサルの比率は就職者の3〜5%と30年前からほとんど変わらないのは興味深いところだ。東大野球部とコンサル業界の相性については、関係者への追加取材で明らかにしていきたい。

 大学院進学については、例年と同じく理系の農学部、工学部、理学部が多かったが、今回は文系、特に教育学部からの進学者も目立った。在学者は前期間と比べて、割合が減り、「未定」もわずかひとりに減少した。

日ハムドラフト7位、宮台の今

 さて、次はこの期間の最大の特徴に移ろう。それは野球継続者の数が9人と多いことだ。

 まず、プロに進んだのは宮台康平(投手・18年卒)。宮台は1年時から神宮のマウンドに上がり、4年間で6勝を上げた大エースである。3年生の春には早稲田大学を相手に13三振を奪い、46年以降破られていなかった「1試合12奪三振」という東大記録を70年ぶりに更新。同年の日米大学野球選手権大会においては、東大では大越健介以来33年ぶりに日本代表チームへ選出された。4年生の秋には法政大学戦で完投勝利と救援登板をこなし、30シーズンぶりとなる勝ち点獲得にも貢献した。

 このように歴史的な活躍を見せた左腕は、ドラフトで日本ハムファイターズから7位指名を受け、18年8月に先発として一軍公式戦デビューを果たす。その後、故障などにより二軍生活が続き、20年には育成選手として再契約を打診されるも、これを固辞。自由契約選手となるが、トライアウトで三者三振のアピールを見せ、東京ヤクルトスワローズに入団し、現在に至る。聖地、神宮球場のマウンドに帰ってくる日も近いだろう。

社会人野球、独立リーグに挑んだ7人の“その後”

 一方、社会人野球や独立リーグに進んだのは7人。

 14年卒の井坂肇(投手)は最速145kmのストレートを武器に活躍し、卒業後は東大野球部史上初となる独立リーグの選手となる。信濃グランセローズ、高知ファイティングドッグスを経て、17年に現役生活を引退。現在は星槎道都大学の経営学部経営学科の助教として教鞭を執りつつ、硬式野球部の投手コーチとしても活躍。北の大地から指導者として神宮を目指している。

 井坂と同学年の鈴木翔太(投手)は、JR東日本で野球を続けた。鈴木といえば、10年秋のリーグ戦で1年生ながら先発登板し、当時の連敗記録を35で止める完投勝利が印象的だ。しかも、投げ合ったのは当時早稲田大学のエースであった斎藤佑樹(元日本ハム)である。ただ、その後はケガに苦しむ。リハビリを続けながら就職活動を行った。

 16年卒の飯田裕太(内野手)は、自身が主将を務めた代に、当時の連敗記録を94で阻止。東邦ガスに進み、野球を継続している。20年に行われた都市対抗野球では東大出身者として40年ぶりにスタメン出場を果たし、現在までプレイヤーとして活躍している。

 前出の宮台と同学年だった柴田叡宙(投手・18年卒)は、JR東日本に進んだ。先述のように15年春、東大は連敗を94で止めたが、その歓喜のマウンドに立っていたのが、リリーフとして登板した柴田だ。しかし、その後は投球フォームの変更などで調子を崩してしまう。悔しさをバネに社会人野球でプレーした。

22年卒部生は“野球継続”が4人も

 柴田以降、3年間野球継続者はいなかったが、22年卒部生からは、4人もの野球継続者が出た。

 奥野雄介(投手)は、三菱自動車倉敷オーシャンズに入団。21年春季リーグ戦で東大は64連敗をストップさせたが、その試合で先発し、法政大学を5回無失点に抑えたのが奥野だ。開成高校から東大に入学した学業エリートだが、卒業後は野球エリートの中に身を置き、自身の技を磨いている。

 不動の4番だった井上慶秀(内野手)は、三菱自動車岡崎へと進んだ。井上は、東大野球部を目指し、2浪するも届かず、一時は一橋大学へ入学する。しかし、東大への思いを断ち切れず、3浪の形で合格した経歴を持つ。4年生の全10試合に出場して.281の高打率をマークしたバッティングを武器に、卒業後は社会人野球に挑戦した。

 高橋佑太郎(内野手)は、先輩の井坂肇の勧めもあってトライアウトを受験し、高知ファイティングドッグスへ入団。東大史上2人目の独立リーガーとなった。私立武蔵高校1年時には、レギュラーとして西東京大会ベスト16、3年夏も同ベスト32に貢献した高橋だったが、東大時代は4年生まで出場機会に恵まれなかった。大学時代は通算9試合に出場し、1安打にとどまったが、野球への情熱は消えず、独立リーグでプレーを継続することを決めた。

 異色なのは、22年卒の齋藤周(コーチ・アナリスト)。彼は部内でデータ分析を担い、21年春のリーグ戦において連敗を64で止めた立役者とも評される。アナリストとしての能力を評価された齋藤は、高給で鳴らす大人気企業キーエンスの内定を蹴り、現在は福岡ソフトバンクホークスでGM付データ分析担当を務めている。

過去31年間ランキング「入社数が多かった企業1位は?」

 以上、東大野球部の過去31年の進路を振り返ると、475人中190人が就職、130人が在学(留年)、116人が大学院進学という結果だった。

 31年間で入社数が多かった企業は、三菱商事が10人とトップ。それに続き、電通とNHKが8人、東京海上日動火災7人(旧東京海上火災も含む)、みずほ銀行7人(旧日本興業銀行なども含む)という結果だった。また、6人ずつ進んでいるのは、三井不動産、日本生命、日本政策投資銀行、三井物産、住友商事である。東大野球部は全体的に、商社、銀行、マスコミ、生損保、不動産への就職が多い傾向にあるといえるだろう。

 野球継続者は31年間で15人。NPB選手は00年、05年、18年と3人出ており、まさに10年にひとりの逸材といったところか。しかも彼らの東大出身のプロ選手がいずれも、日本ハムに所属していることも、興味深い。この他にも西濃運輸から日本ハムの球団職員になった荻田圭もおり、「東大と日本ハム」という関係性も気になるところだ。

 強豪ひしめく六大学野球において、不屈の精神で戦ってきた東大生たちは、あらゆる面で並みの人間ではない。今回の3記事では卒部時点の進路を主に紹介してきたが、卒業後や大学院進学後の神童たちの人生ドラマも、引き続き追っていきたいと思う。(文中敬称略)

<#1、#2から続く>

文=沼澤典史

photograph by Sankei Shimbun