チームメートの前で監督の説教が始まった
「ふざけるな! こんなことで勝てるわけがないだろ!」
フランクフルトが試合に敗れた後だというのに、ロッカールームは、優勝チームのセレブレーションが終わったあとのような散らかりようだった。蹴られて先端が曲がったまま倒れているペットボトルが、グラスナー監督の怒りを表していた――。
2022年2月19日のケルンとのアウェーゲーム。鎌田大地は、後半開始時から試合に送り出されたのにもかかわらず、アディショナルタイムに入る直前にベンチへ下げられた。
途中出場からの途中交代。この状況に悔しさがないわけではなかったが、タッチラインを出て、監督と軽くタッチをかわしてから、ベンチに下がった。どんなに不満があっても、ここで握手を拒否したりすれば罰金の対象になる可能性もある。プロとしては当然の判断だ。
結局、試合は0−1で終わった。両チームが健闘をねぎらい、握手や言葉をかわしていく。それが一段落していたとき、鎌田は、監督の視線に気がついた。何か言いたげな様子だ。だが、あえて目線を合わせないようにした。納得の出来ない部分があることを態度で示すためだ。ところが、それでも監督が近づいてきて、雷を落とされた。
そして、ロッカールームに戻ると、チームメートの前で監督の説教が始まった。テーマは、鎌田がチームの求めることをこなせていない点と、鎌田の態度だった。

人生のなかで最も厳しい勢いで叱られました
その後、チームはバスで帰ることになった。ところが、夜遅くにフランクフルトへ到着すると、今度は本拠地のロッカールームに選手たちは再び集められた。
「EL優勝? CLの出場権獲得? このままでは到底、無理だぞ!」
怒号を飛ばしたグラスナー監督は、そこでも鎌田の名前を挙げた。チームメートの前での公開説教が再び始まった。
鎌田は振り返る。
「シーズン前半戦の最後はチームのために働いて勝ち点も稼いでいました(*前半戦最後の7試合で6勝1敗)。でも、ウインターブレイクの後の起用法になかなか納得できなくて。あの試合は自分も試合に集中しきれていなかったかもしれないし、何より、僕のパフォーマンスが良くなかったので。監督がそれに対して、すごく怒るのはわかるのですが……」
オレのサッカー人生、終わったかもしれんわ。
大げさではなく、そう思った。
「人生のなかで最も厳しい勢いで叱られましたからね。サッカー人生の中で最も厳しいという意味ではなく、僕が生きてきたなかで最もキツイ怒り方だったという意味です。『明日からチームの練習に参加させてもらえるのかな?』と感じたくらいなので」
翌日、不服そうな態度を取ったことを監督に謝罪し、自分のパフォーマンスが良くなかったことについても認めた。同時に、そこに至るまでの過程で、鎌田が起用法に疑問を覚えた理由などについてはきちんと伝えた。
「オマエの謝罪は受け入れるし、考えていることもわかった。昨日の件は、これで終わりにしよう」
監督からはこう言われて、いちおうの決着を見た。
“鎌田伝説”を物語る鳥栖でのルーキーイヤー

鎌田はそもそも、若いときから監督とコミュニケーションを取りにいくのをいとわない選手だった。
“鎌田伝説”の1つとしてよく語られるのが、ルーキーイヤーの話だ。
高卒1年目の18歳だった鎌田は、当時のサガン鳥栖で監督を務めていた森下仁志のもとへ「どうして自分が起用されないのか」を聞きに行った。これが鎌田の度胸や責任感の強さを表すエピソードとして紹介されるのだが、本人の感覚はそれとは少し違う。
「よく誤解されますけど、自分が試合に出られないから文句を言いに行ったわけではないんですよ。当時は練習をしていても、自分は良いプレーを見せられていると感じたし、周りからもそう言われていたので、チームのためにも……と思って話をしにいっただけなので」
鎌田は、物おじせずに監督に意見できるという資質に誇りを持っているわけではない。むしろ第三者のようにチームの状況を冷静に分析して、判断する力に自信を持っているのだ。
「実際、フランクフルトに来て最初のシーズン、コバチ監督のときには、一切話に行ってません。それは言葉の問題があったからでもなくて。いざとなれば通訳に頼めばいいわけだから。あの時点では、客観的に見て、自分の実力が足りていないというのがわかっていたからです」
ヘルタ戦、オレのサッカー人生がかかってるわ
ケルン戦のあとに監督から大目玉を食らったからこそ、そこから先が重要になると鎌田は自覚していた。ケルン戦の翌週、バイエルンとの試合では、0−1の82分から送り出された。もっとも、バイエルン戦では守備的な選手を並べる可能性が高いから、この状況は十分に予想できていた。
となれば、その翌週のヘルタ・ベルリン戦がキーになる。
残留争いに巻き込まれているチームとの試合だ。攻撃的なポジションの選手がチームを救うような仕事をしないといけない。実際、このタイミングで、鎌田の個人マネージャーを務めている東山高校時代の同級生にこう明かしている。
「次のヘルタとの試合、ホンマ大事やな。オレのサッカー人生がかかってるわ」
ヘルタ戦ではスタメンに復帰して、いつもの左シャドーのポジションで攻撃を牽引して、アシストをマーク。4−1の快勝に貢献した。試合後に個人マネージャーに電話して開口一番、こう伝えた。
「まぁ、どうにか耐えたやろ」
正念場となった試合で結果を残せたのは何故なのか?
明確な答えを導き出すのは難しいと鎌田は考える。実際、あの試合の前の夜はいつになく緊張していたのだから。とはいえ、並々ならぬ意気込みで臨んでいたのもまた、事実だ。

結果で見返さなければ単なるダサいヤツ
「何故なのかを聞かれても……僕はそういう星の下に生まれているんじゃないですかね(笑)。僕は両親のどちらに似ているかというと、性格では圧倒的にお母さんに似ていて。お母さんは昔からビンゴゲームなどで一等を取ったり、めちゃくちゃ勝負強いので、その遺伝なのかなぁ……。
ただ、そういう大事な試合で、結果を残せるのは自分の強みだと思っています。あの試合もそう。『オレはサッカー選手なんだから、サッカーの結果で見返さなければ単なるダサイやつだ』と強く思っていましたね」
そして、その次の週。木曜日に組まれていたELベティス戦でも、日曜日のリーグのボーフム戦でも、得点を記録した。ヘルタ戦から3試合続けてゴールに直接絡んだことで、自身の価値を監督に改めて証明してみせた。
もちろん、攻撃だけではない。
そこからチームはELを勝ち進んで優勝へと進んでいくわけだが、EL準々決勝のバルセロナ戦と準決勝のウェストハム戦後には、監督からこう言われた。
「守備でダイチが果たしてくれた仕事は、チームディフェンスを機能させる上でもっとも大きな意味を持っていた」
ELではチーム内最多得点を記録した。それほどわかりやすい活躍をしながらも、現在のドイツのなかで守備にもっともうるさいと言われる指揮官のタスクをしっかりとこなせたことに大きな意義はあった。
“お利口さん”な選手になりたくなかった
だが、1つだけ疑問が残る。
ケルン戦の後、監督から叱られるリスクを覚悟した上で自分の想いを言動で表わしたのは、なぜだったのか。
「今だから言えますけど、海外でよくイメージされる日本人像――“お利口さん”な選手になりたくなかったんですよね。監督から『こいつはスタメンで出ることが多いけど、たまにコロッと代えても文句は言わないだろう』と思われるような選手にはなりたくなくて。あの時は、スタメンから外されたり、交代させられても甘んじて受け入れるようでは、この世界で上を目指す選手としてはダメだろうと考えたので。
そういう意味で、僕は日本人らしくないというか、ヨーロッパの選手みたいな振る舞いだったのかもしれませんね」

小さくまとまりたくないし、負けていられない
あれほどの怒りを買ったことだけは予想外だったが――冷静に判断した上で、あのような行動を取ったのにはもちろん理由がある。
「フランクフルトの歴代の主力の中でも、アレ、ヨビッチ、レビッチ(*2017-18シーズンのDFBポカール優勝時に君臨した前線トリオ)などがそうでしたけど、気性が荒いというかワガママなのに、重宝され、使われてきた選手が数多くいました。上のチームに行けば、前線には強烈な個性を持った選手がいます。そういう選手をうまく使うことも大事なのですけど、そういう選手にうまく使ってもらえるような関係を作らないとダメなので」
個性の強烈な選手の要求に応えるだけの選手になるのではなく、彼らに「対等な選手」と認められる存在になる。それが前線の選手たちとのレギュラー争いをしながら、試合で活躍するには必要だと考えたからだ。そして、理由は他にもある。
「それに、フランクフルトはどんどん力をつけている良いクラブだとは思いますけど、ここではまだ終わりたくないんですよ、僕は。だから、小さくまとまりたくないし、負けていられないじゃないですか?」
結局のところ、海外で日本人としての良さで勝負するのではなく、かの地の価値観や気質に合わせて戦っているのが鎌田なのだ。
31億円の市場価値を持つ男になっても“通過点”
だからこそ、現地では高く評価されている。
今では、サッカー選手の市場価値を表わす権威となっているドイツの「Transfermarkt」というサイトがある。そこで日本人選手の評価額を見てみると、1位はアーセナルに所属している23歳のDF冨安健洋で、約35億円(2500万ユーロ)である。
では、2位にいるのは?
25歳の鎌田である。
約31億円(2200万ユーロ)だ。日本代表で定位置を争うライバルを抑えて、攻撃的なポジションの最高額の選手となっている。
「フランクフルトは、格としてはリバプールやアーセナルには劣りますけど、その次のランクのチームです。ここ5年でELでは3回出て、ベスト4、ベスト16、そして優勝です。ELに出ていない2シーズンも、DFBポカール優勝とブンデスリーガ5位ですから。
今シーズンのELで優勝したからというだけではなく、この3シーズンずっと、ポジションをつかんで試合に出てきた。他の選手に負けていないという自負はあります」
これが日本人アタッカー最高額という評価についての鎌田の見解だが、この順位も金額も通過点でしかない。

デブライネやベルナルド・シウバのように
「上のチームに行くと、最近だと、どこも4-3-3みたいなフォーメーションですよね。インサイドハーフには、デブライネやベルナルド・シウバのように、色々なことをできるオールマイティーなタイプが求められています。僕は彼らと同じポジションの選手だし、1つの能力が突出しているわけではないからこそ、あらゆる能力をもっと上げていかないといけないんで。まだまだ上を目指さないとダメっすよ」
物怖じしない度胸と、攻撃的な選手に求められる負けん気の強さがある。それでいて自分の立ち位置を客観的に把握できる。
何より、現状に少しも満足せずに上を見ているところに、鎌田の日本人アタッカー最高額の理由は隠されているのである。
第2回、第3回ではEL制覇での“号泣の真相”や大舞台での強さについて掘り下げていく――。
<#2、#3につづく>
文=ミムラユウスケ
photograph by Hideki Sugiyama