EL優勝を果たし、日本代表での活躍も期待される鎌田の連続インタビューの2回目。鎌田は優勝後にSNSで「試合後初めて嬉しくて号泣しました」と投稿した。号泣したのはなぜだったのか。マンガのような努力を重ねた学生時代とあふれる涙の関係についてあますことなく語ってもらった(全3回/#1、#3も)。

サッカーやってて初めて、「あぁ、報われたな」と

 水のたまっていない泉からあふれ出るものがないように、苦汁をなめてこなかった者の中から何かがあふれ出ることはない。鎌田大地の瞳から涙があふれてきたのは、血のにじむような努力や苦労があったからだ。

「あの場面が中継映像に映っていなくて良かったですよ……。最後にファンへ挨拶しに行った時、オレは大号泣でしたから」

 嬉しくて涙があふれてとまらないなんて、初めての経験だった。

「サッカーをやっていて初めて、『あぁ、報われたな』と思いました」

©Daisuke Nakashima

 近年はドイツの強豪の仲間入りを果たしつつあるフランクフルトで主力となり、日本代表にまで登りつめた25歳の報われない人生とはどんなものだったのか――。

「僕はこれまでサッカーに対して時間をかけて、誰にも負けないくらいやり続けてきた自信はありました。でも、ずっと上手くいかなくて……。これまでのサッカー人生がフラッシュバックしたからだったんでしょうね、あんなに泣いたのは」

 これまでは縁がなかった。日本代表にも、タイトルにも。

 例えば、2学年上には日本代表で共に戦う南野拓実がいる。同じ大阪育ちだ。年代別の代表でも常にエースや中心選手として戦ってきた先輩とはかなり違うキャリアだと感じている。

「拓実くんは、王道。どちらかと言うと、光という感じです。僕は、アンダーグラウンドというか、影のような感じ。僕の経歴は正直、全然ゴミだと思います」

ずっと両手と両足にオモリをつけて坂道ダッシュ

 少し刺激的な言葉で、自身の経歴を表現する鎌田だが、誇りを持っていることがある。

「そういう経歴であっても、個人的な練習だったり、サッカーにかけてきた時間や労力には、すごく自信があるし。高校のときもマンガのような生活をしていましたから」

 生まれた時代が昭和だったら『巨人の星』や『あしたのジョー』に感化されるタイプだったかもしれない。平成8年(1996年)に愛媛県で生まれ、大阪府岸和田市で育った鎌田のモデルは、アメリカンフットボールを題材にした『アイシールド21』だった。

「あのマンガみたいに、ずっと両手と両足にオモリをつけて坂道ダッシュを繰り返していたんです」

まるでスポ根マンガみたいな1日のサイクル

 この取り組みは中学の終わり頃に始めたと記憶しているが、そこから東山高校へ進むと、スポ根マンガ的な生活が加速してくる。当時の1日のサイクルはこんな感じだ。

 朝5時起床

 始発列車で登校
 ↓
 朝練として、サッカーの練習以外に両手と両足にオモリをつけた上での坂道ダッシュ
 ↓
 アスリートに必要な体力回復のために、授業中はほぼ睡眠(*良い子はマネしてはいけない)
 ↓
 放課後にチームでの練習
 ↓
 チーム練習が終わってから、自主練習をギリギリまでやる
 ↓
 23時に帰宅
 ↓
 泥のように眠る

 他にも、中学生の時に「サッカーが上手くなりたい」と親に懇願し続けた結果、高知県にある、願いをかなえてくれるお寺を見つけてもらい、お参りにいった。なお日本代表になった現在まで、毎年、そのお寺には通っている。

 たとえば、日本代表の先輩で(現在は鎌田に与えられている)9番を背負ってきた岡崎慎司や中山雅史が気合いや根性を試されるトレーニングをしていたとしたら、多くの人が納得するだろう。

 では――鎌田がスポ根的で猛烈なトレーニングをしていた姿を、どれほどの人が想像できるだろうか。

©Hideki Sugiyama

 それは「鎌田大地」というアスリートに対する、先入観があるからかもしれない。

 鎌田は話をするのが大好きで、短い言葉でパンチのある表現をポンポン繰り出せるセンスがある。一方で普段は淡々とした表情で、ボソボソと話す。その影響もあるのだろうか、聞き手を笑わせられる話術の持ち主であることが世間にはほとんど伝わっていない。

 だから、フランクフルトのチームメイトで日本代表のレジェンド長谷部誠にも、よく呆れられる。

「オマエはマジで、周囲からのイメージで損していることが多いよな。もっと、上手くブランディングすればいいのに……」

「俺は大損している」といつも思っていますよ

 先輩のアドバイスは的を射ている、と鎌田自身も感じている。

「『俺は大損している』といつも思っていますよ。まぁ、でも別に、自分からわざわざ発信して、有名になりたいとも思わないですしね。それに、よく絡んでいる人は、僕がそれだけのトレーニングをやってきていることや、熱いものを持っているのをわかってくれていますから。

 ただ、僕は『オマエが父親をしている姿なんて想像できない』とよく言われますけど、それは違います。俺、めちゃくちゃ家族を大事にしていますから」

 ピッチを離れた鎌田は愛息といつも一緒にいる。愛息は膝や肩の上、片手を占領して、寝ている時以外はいつも、くっついている。

「たぶん、僕のことをよく知らない人は、くっつきすぎている僕らを見て、“引く”と思います」

 愛息が寝たら、今度は奥さんとの時間だ。オンラインゲームのApex Legendsを一緒に楽しんでいる。サッカー選手は出張の多い職業だが、離れていても、これでつながっていられる。

 そんな鎌田はなぜ、周囲に自分を正しく理解してもらうことをあきらめているのか。それは昔から懐疑的な声をかけられてきたこととも関係しているかもしれない。

「走れない。戦えない。メンタルが弱い」

 そうした周囲の声を聞き流したわけではない。サッカー選手としての課題に関することならば克服しようとしてきた。

中学の頃は「走れない選手だね」という評価

 例えば中学生のころ、「君は上手いけど、走れない選手だね」とよく言われた。

 今でこそ身長184cmの鎌田だが、中学入学時は140cmをかろうじて上回るくらい。中学の3年間で身長が一気に伸びたのだが、急激な成長により身体のバランスが崩れ、走るスピードはなかなか上がらなかった。

 それでも、その状況に甘んじなかった。「足が遅い」、「走れない選手」と言われるのが悔しかったし、当時所属していたガンバ大阪ジュニアユースが走り込みを重視していたのも幸いした。さらに、中学の終わりころからは、自らオモリをつけて、走りまくった。

 同世代のエリートが集まるガンバ大阪ユースへの昇格はかなわなかったが、中学3年時には、チームでもトップ5に入るくらいの走力はついていたほどだ。

 プロになってもよく走る選手であるという事実を、周囲の人は認めてくれている。昨冬、フランクフルトのグラスナー監督が鎌田の得点力について問われたときに、こんな風に答えて話題になった。

「みなさんは、いつも忘れている。ダイチはほぼ全ての試合で、12キロ走っているのだよ」

 1試合で11キロ以上走れば十分に走っていると認識されるドイツサッカー界にあっても、長い距離を走れると評価される選手になったのだ。

イメージで損しているが、鎌田は今や「走れるプレーメーカー」だ ©Getty Images

周りの人に理解されないことばかりの人生だった

 鎌田が向き合ったのは走力だけではない。高校に上がると、「メンタルに課題がある」と繰り返し言われるようになった。

 ボールを持っているときの姿勢が良く、相手の逆を突くなど、独特のリズムとテンポでプレーできるのが鎌田の武器だ。一方でその優雅なプレースタイルゆえに、周囲からは「気持ちの感じられない選手」と見られていた。

「同じことをやったとしても、他の人ならすごく評価されるのに、僕がすごいことをしてもマイナスに見られがちでした。僕の人間的な部分に問題があるのか、そういう星の下に生まれたからなのかはわからないです。

 高校2年のときに、プリンスリーグの得点王とアシスト王を取りましたけど、年代別の代表には全くからめなかったんですよね。高校選手権にも一度も出られなかったですし……」

 そうした背景もあってか、高校3年生に上がる前には、自らキャプテンに立候補。当時の監督を驚かせた。最終的には、バレーボールやバスケットボールの強豪校として知られる東山高校のサッカー部から直接プロ入りした初めてのサッカー選手になった。周りの人に理解されないことばかりの人生だった。そういう運命を心のどこかで歯がゆく思っていたのだろう。

「PK蹴る気はあるか?」「オレ、蹴りますよ」

 だから、チームにタイトルをもたらしたという実感を手にしたのが初めてだったからこそ……EL決勝では、涙がとまらない感覚を「初めて」味わったのかもしれない。

 PK戦に入ってすぐ、チーム内で実はこんなやり取りがあった。

 グラスナー監督が選手たちの希望と覚悟を個別に聞いて回ったうえで、キッカーの順番を決めた。例えば、エースFWのボレは「絶対に5番目のキッカーしかやらない」と答えていたし、レンツは「1番目か5番目に蹴りたい」と希望を伝えていた。

 その結果、順番は以下のように決まった。

 1番目:レンツ
2番目:フルスティッチ
 3番目:鎌田
 4番目:コスティッチ
 5番目:ボレ
 6番目:長谷部

 長谷部は監督から、こんな風に声をかけられたという。

「3番目はお前かダイチに蹴って欲しいと考えているのだが、どうだ?」

 鎌田はこう聞かれた。

「蹴る気はあるか?」

 鎌田は、即答した。

「オレ、蹴りますよ」

長谷部から感謝されたPK戦での「初めてのトライ」とは

 そうしたやり取りをへて、鎌田が3番目のキッカーに指名された。そして、PK戦は後攻のフランクフルト5番目のボレが決め、5−4で優勝を果たした。

鎌田のPK成功 ©Getty Images

「よく決めたな! お前が蹴ってくれて良かったわ。オレは『自分まで回ってくるな』と思っていたんだよね」

 順番が回ってこなかった長谷部からは、そんな言葉をかけられた。実は、鎌田はそのPK戦で初めてのトライをしていた。

「小学校からの僕のサッカー人生のなかで、『初めて』右方向に蹴ったんですよ。練習で右方向に蹴ることはありましたけど、試合では左にしか蹴ってこなかったのですが」

 過去に左方向に蹴って外した記憶が頭に残っていた。たとえば、2018-19シーズンのシント・トロイデン時代にはリーグ戦で2度PKを蹴っているのだが、2回目は左方向に蹴ろうとしてゴールマウスの左に外してしまった。

 今回のELで初めて右方向に蹴ったボールは、右ポストをかすめてゴールネットを揺らした。GKはシュートスピードに遅れていたし、タイミングが合っていたとしても手が届きそうにないコースだった。

PKまで外して負けたら僕は完全に戦犯だった

 PKが決まったのを確認した鎌田は、思い切り右のこぶしを振りぬいて、喜びを表現した。

「試合中にチャンスを2本ほど外していましたからね。PKまで外して、チームが負けたら、僕は完全に戦犯だったので」

 自嘲気味に振り返る鎌田だが、劣勢の状況や強敵との試合でゴールを決めるのを得意としている。格上を次々と破っていった21-22シーズンのELではもちろん、20-21シーズンのブンデスリーガでもゴールは格上相手に決めたものばかりだった。

 第3節 ホッフェンハイム 対戦時は首位
 第10節 ドルトムント 対戦時は4位
 第22節 バイエルン 対戦時は首位
 第25節 ライプツィヒ 対戦時は2位
 第28節 ヴォルフスブルク 対戦時は3位

 “格下相手にしかゴールを決められない”と批判される選手は数多くいるが、“格上相手にしかゴールを決めない”鎌田は珍しいタイプだ。

「うーん、なぜでしょうね。ただ、練習の方法だったり、苦しい経験だったり、自分が積み重ねてきたものには自信があります。その積み重ねがあるから、どんな試合でも自信が持てるのかもしれませんね」

 しかし、「大舞台で力を発揮できる強心臓の持ち主なのでは?」という問いには、鎌田はこう答える。

「いや、僕なんかより、はるかにメンタルが強い選手がヨーロッパにはゴロゴロいますから。あのPK戦でも、僕の前に蹴った2人は、今シーズンそれほど試合に出ていなかった。それなのに『オレが蹴りたいです』と立候補していました。『アイツら、メンタル強いなぁ』とハセさんと話したくらいですから。僕もまだまだですよ」

©Hideki Sugiyama

 そう謙遜して、鎌田は笑顔を見せた。その笑顔の奥には、ヨーロッパでの厳しい生存競争を勝ち抜いていくのを楽しんでいるかのような、野望に満ちた目が光っていた。

<#3へ続く>

文=ミムラユウスケ

photograph by Angel Martinez - UEFA/Getty Images