プロ野球史上No.1投手を探る旅 第3回「ダルビッシュ有」

 大投手のベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。金田正一、田中将大に続く第3回は、あの野村克也氏が「平成最高の投手」と評したダルビッシュ有だ。

 2019年4月、テレビ番組の「平成ベストナイン」を選ぶ企画で、野村氏は先発投手部門でダルビッシュを1位に選んだ。

 平成の沢村賞受賞者を振り返ると、斎藤雅樹(巨人)にはじまり、野茂英雄(近鉄)、上原浩治(巨人)、松坂大輔(西武)、斉藤和巳(ソフトバンク)、岩隈久志(楽天)、田中将大(楽天)、菅野智之(巨人)といった錚々たるメンバーが並ぶ。その中でも、慧眼の野村氏が1位に選んだダルビッシュは、“史上最高の投手”有力候補といえるだろう。

 野村氏は、その著書『最強のエースは誰か?』(彩図社)などでダルビッシュを、「150キロ台後半のストレートを持ちながら、スライダー、カーブ、ツーシーム、カットボール、スプリット、チェンジアップといった七色の変化球を操り、その全てが一級品。ストレート、変化球、どのボールでもストライクが取れる。加えて、野球頭脳も優秀で、試合中に状況に合わせて投球を変えることができる。本格派にして技巧派。過去にこのような投手は存在しなかった。投手としての能力は、ほぼ完ぺきに近い」と絶賛している。

©BUNGEISHUNJU

筆者が見た“高校生ダルビッシュ”の衝撃

 筆者は、2003年夏の甲子園大会で東北高校のダルビッシュを見ている。3回戦の平安(京都)戦で、一塁側ベンチの真上の観客席、つまり投手をほぼ真横から見る位置にいたが、初回にダルビッシュがマウンドに上がったとき、まず196センチというその背の高さに驚いた。

 そして、軽めに投げていた投球練習時とはまるで違う、力の入った初球――。地面に叩きつけるように投げられたボールが浮き上がるようにしてキャッチャーミットに収まったのを見て、度肝を抜かれたものだ。

 そこで思い出したのが江川卓である。再度私事で恐縮だが、大学時代、野球部だった筆者は、法政のエースだった江川と神宮球場で対戦経験がある。183センチと当時としては長身だった江川を打席から見ると、実際の距離より前にいるように感じて威圧感を受けたものだ。

 そんな江川より遥かに大きい196センチのピッチャーが、オーバーハンドから150キロ近いストレートを投げ下ろしてきたら……。高校生にはとても打てないだろうと感嘆したのをよく覚えている。

高校時代のダルビッシュ ©BUNGEISHUNJU

史上唯一の5年連続防御率1点台

 ダルビッシュは高校卒業後、05年に日本ハムに入団。12年にテキサス・レンジャーズに移籍するまでの7シーズンを日本でプレーし、通算93勝38敗、勝率.710、防御率1.99の成績を残した。

 7割超えの勝率と1点台の通算防御率は驚異的な数字といえる。特に、07年から11年までの5年連続防御率1点台は、投手優位だった昭和の時代の金田正一、稲尾和久、村山実といった大投手たちも成しえなかった日本プロ野球記録である。

 相手チームからすれば、「9回の攻撃で2点取れない」投手。だから、好調時のダルビッシュが先発すると、相手は「今日は負け」と試合前から士気が上がりにくいケースもあるだろう。それが「日本では戦うモチベーションを保つのが難しくなった」と、もともとメジャー志向はないと公言してきたダルビッシュが渡米する一因になったのかもしれない。

 では、それほどまでに圧倒的だったダルビッシュの日本におけるベストシーズンはどのような成績だったのか見てみよう。

日本時代、ダルビッシュのベストシーズンは?

 ダルビッシュは、入団3年目の07年に沢村賞、07年と09年にパ・リーグMVPを受賞しているが、投手成績から見たベストシーズンはメジャー挑戦前年の11年と考える。 

 この年、ダルビッシュは25歳。余談だが、これまでとりあげてきた金田正一、田中将大のベストシーズンも同じく25歳というのは面白い。

●ダルビッシュの成績
【07年】
登板26 完投12 完封3 勝利15 敗戦5 勝率.750 投球回207.2 被安打123 与四球49 奪三振210 防御率1.82 WHIP0.83
【09年】登板23 完投8 完封2 勝利15 敗戦5 勝率.750 投球回182.0 被安打118 与四球45 奪三振167 防御率1.73 WHIP0.90
【11年】登板28 完投10 完封6 勝利18 敗戦6 勝率.750 投球回232.0 被安打156 与四球36 奪三振276 防御率1.44 WHIP0.83

(赤字はリーグ最高、太字は自己最高)

 2011年のダルビッシュは、登板、完封、勝利、投球回、与四球の少なさ、奪三振、防御率、WHIPで自己ベストを記録している。より多く投げ、より多く勝ち、より多く三振を奪い、四球を出さず、点を与えない。この年が日本ハム在籍時代のダルビッシュのベストシーズンで間違いないだろう。

2011年のダルビッシュ ©BUNGEISHUNJU

 ところが同年、ダルビッシュは沢村賞を受賞していない。25試合以上登板、完投10試合以上、15勝以上、勝率6割以上、200投球回以上、150奪三振以上、防御率2.50以下という、沢村賞の選考基準を全て十二分にクリアしているにもかかわらずである。

二人の若き天才が激突した2011年

 この年、沢村賞を受賞した人物こそ、楽天の田中将大である。その成績は以下の通りだ。

●田中将大の成績
【11年】登板27 完投14 完封6 勝利19 敗戦5 勝率.792 投球回226.1 被安打171 与四球27 奪三振241 防御率1.27 WHIP0.87

(赤字はリーグ最高、太字は自己最高)

 二人の若き天才が激突した2011年、ダルビッシュは、登板数、投球回、奪三振、WHIPで上回り、田中は完投数、勝利数、勝率、防御率で上回っている。

 ほぼ互角にも見えるが、沢村賞の選考基準7項目で見てみると、ダルビッシュが3項目、田中が4項目を制した。その点、どちらか一人を選ぶ必要がある沢村賞で、田中が選ばれたのは妥当と言えるだろうし、ダルビッシュにややツキがなかったと言えるかもしれない。

 さて、同企画の“チャンピオンベルト”を現在保持している1958年の金田正一との比較である。

・現状、ダルビッシュのベストシーズンである2011年の数字が僅差ではあるが田中に敗れた
・すでに田中が金田に判定負け(第2回)している

 以上の点から、金田の防衛成功とする。

 ダルビッシュは、防御率1点台を続けた2007年から11年にかけて、毎年沢村賞を狙えるような素晴らしい成績をあげ続けたにもかかわらず、実際に受賞できたのは07年のみ。2011年の田中のように突出した成績をあげた投手が他にいて、沢村賞争いで敗れた。

 対して田中は、楽天の7年で11勝、9勝、15勝、11勝、19勝、10勝、24勝と、一年置きに好不調を繰り返しながら、2011年と13年に突出した成績をあげて、その年に沢村賞を受賞している。

©JMPA

「理想の投手を形にするとダルビッシュになる」

 ちなみにダルビッシュは、2年後輩の田中に「勝とうと思えばいくらでも勝てるが、チームのために徹底的に内角攻めをして相手打線を狂わせるような投球をすることもある。お前もエースならそんな投球をしろ」と語ったという(出典:『絶対エース育成論 なぜ田中将大は24連勝できたのか?』佐藤義則著/竹書房)。

 また、「自分は野球がそれほど好きではない。自分が好きなのは変化球を研究することと、変化球を操って打者を翻弄すること」とも。

 ダルビッシュは、目先の勝利に汲々とするような投手ではないのだろう。160キロに迫るストレートを見せ球にして、変化球を駆使して打者を翻弄する。そんな遊びの要素を盛り込んだ投球を繰り返しながら、メジャーでも最多奪三振と最多勝のタイトルを獲得。13年と20年の2度、サイ・ヤング賞の投票で2位となり、年俸2500万ドル(現在の1ドル134円で換算すると34億円)という日本人プロ野球選手としては史上最高年俸を手にするまでに上りつめた。

 美しくダイナミックな投球フォームで、アメリカでも「理想の投手を形にするとダルビッシュになる」とまで評価される天才投手――今後のさらなる活躍に期待したい。

 次回は、野村氏が「史上最高の技巧派投手」と評した、稲尾和久の日本記録となる42勝を挙げたシーズンを検証してみよう。

文=太田俊明

photograph by BUNGEISHUNJU