日韓W杯から20年、様々なドラマが起きた大会にあって大きな話題となったのが決勝トーナメント1回戦「韓国vsイタリア」を裁いたモレノ主審の誤審問題だった。当時の騒動と20年後、今の彼の姿を追った(全2回/#2も)

 バイロン・モレノの名を聞けば、カルチョの国は今でも胸中にざわめくものを感じずにいられない。

 モレノは、世紀の誤審試合として知られる日韓W杯の「韓国対イタリア戦」を裁いたレフェリーとして、イタリア中で忌み嫌われている。

 今から20年前、南米サッカー連盟派遣審判として日韓W杯へ出向いたモレノは、大田(韓国)で行われた決勝トーナメント1回戦の笛を吹いた。延長戦にもつれこんだ試合は、FW安貞桓(アン・ジョンファン)のゴールデンゴールによって韓国が優勝候補イタリアを破る金星を上げたが、開催国有利に働いたジャッジには誤審との非難が殺到した。

イタリアの抗議にも淡々とした表情のモレノ主審 ※©Getty Images

 当時のイタリア代表監督ジョバンニ・トラパットーニは、御年83歳になった今もモレノを許していない。

「あの男がやらかしてくれた韓国戦のことを思うと、怒りで言葉にならん。あの時、VARがあれば勝っていたのは我々だ」

 今年4月、伊紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』がモレノへのリモート・インタビューを行ったところ、やはり大きな反響を呼んだ。未だ遺恨は晴れていない。

「レフェリー人生最高の試合の1つですね」

 サッカー史上に残る誤審ゲーム。

 あの韓国対イタリア戦は、モレノにとって何なのか。

「レフェリーとして自己採点をするなら?(10点満点で)8.5です。韓国対イタリア戦は、レフェリー人生最高の試合の1つですね」

 選手採点でいえばハットトリックにアシストを加えた英雄にのみ与えられるような高評価を、モレノは堂々と口にした。あまりの自画自賛ぶりに、質問を投げかけたイタリア人記者の方が言葉を失い、唖然としたほどだ。

 2002年6月18日、大田ワールドカップ競技場で主審を務めたとき、モレノは32歳だった。今日に至るまで多くの取材を受けており、日韓大会の試合のビデオは何度も見返している。『ガゼッタ』紙のインタビューでは、20年前の試合に出場した選手名をいくつも挙げながら、ゲームの流れを具体的にそらんじてみせた。

たった1つだけ認めた“あの試合での誤審”

 モレノは、韓国対イタリア戦での誤審をたった1つだけ認めている。

ザンブロッタとファン・ソンホン ©Getty Images

 試合終盤の72分に、MFジャンルカ・ザンブロッタを負傷交代に追い込んだFW黄善洪(ファン・ソンホン)のラフプレーだ。タッチライン際を走るザンブロッタの死角から、ファンがスパイクの裏を見せたまま臀部にタックルを食らわせたもので、当時の基準でも危険極まりない反則行為にあたる。

 だが、主審モレノは退場どころか警告すらも与えなかった。

「あの場面では韓国の選手にもレッドカードを出すべきでした。ずっと心残りでした」

 もしファンが退場になっていれば、前半にFWビエリが決めた1点を守りきり、アッズーリが逃げ切っていた可能性は十分にあった。

「ノー、ノー。私のジャッジが試合結果を左右したはずがありません。私の誤審はザンブロッタへのファウルだけです。それ以外に誤審があったとしても、私に一切責任はない」

 モレノは平然と主張する。イタリアの敗退に自分は無関係だ、と。

ミスジャッジは少なくとも2つ存在した

 否、彼が関与した誤審、それも試合結果に決定的な影響を与えたミスジャッジは少なくとも2つ存在した。

 1つ目は、延長13分にFWフランチェスコ・トッティへ出した2枚目のイエローカードだ。韓国ペナルティエリアで倒されたアッズーリの10番に、モレノはPKではなく退場処分を与えた。

トッティが退場した瞬間 ©Getty Images

 笛を握っていた男の言い分は昔も今も変わらない。

「W杯(の審判ミーティング)では、シミュレーション行為を厳しくとろうという合意がありました。サッカーのゲームは(審判と選手の)心理戦です。選手は笛を吹かれた瞬間に、笛を吹かれたのが相手か自分かわかっている。あの時、韓国の選手は最初にボールに触り、それからトッティに当たった。そしてカードを出した後、トッティは何の抗議もしてこなかった。つまり彼は自らの反則を認めたということです」

 だが、試合の翌々日、大会審判委員会は「モレノ主審のトッティへの警告判定はプレーの流れを無視したもの」で不当だったとする声明を出した。審判委員のフォルカー・ロス(ドイツ)とエドガルド・コデサル(ウルグアイ)から聴取を受けたモレノが「試合中にトッティへのイエローカードが2枚目であることを失念していた」と認めたことも合わせて報告されている。

 2つ目の決定的誤審は、延長20分のMFダミアーノ・トンマージの決勝ゴール取消しだ。数的不利にもかかわらず攻め続けたアッズーリ起死回生の一撃に、主審モレノはオフサイドを宣告し無効とした。

理不尽判定にイタリア国営放送は“キレた”

 この理不尽判定に、試合を中継していたイタリア国営放送RAIは“キレた”。生放送中にもかかわらず、怒り心頭に発したベテラン実況アナウンサーと解説者が、狂気じみた皮肉の叫びを吐き捨てたのだ。

「ハハハ、これはいい!(韓国を勝たせるために)この調子でどんどんいきましょう!」

 イタリアのゴールは有効だった。20年経った今、ビデオ映像を何度も見たモレノもそれを否定しないが、自らに責任はないとも言い張っている。彼の弁解はこうだ。

「誤審をしたのはホルヘ・ラッタリーノ副審です。あの時代、オフサイドのジャッジ権限は副審にありました。彼がフラッグを上げ、私はそれを信じただけ。私のいた位置からはオフサイド正否の判断は不可能でした」

 イタリア代表主将マルディーニが頭部を蹴られたラフプレーをはじめ、モレノは重要な場面をいくつも「見ていませんでした」とのたまい、赤一色に染まったスタジアムでアッズーリは力尽きた。

『恥を知れ!』の報道、イタリアから40万通の抗議メール

 試合後の反発は凄まじく、FIFAにはイタリアから40万通の抗議メールが殺到した。サーバーがダウンしたため、職員が徹夜で復旧作業を強いられた。

 翌日のイタリア紙は、猛抗議するMFディリービオと目線を合わせない主審モレノの大写真、そして『恥を知れ!』の特大見出しで埋まり、あらゆるメディアで誤審と審判買収疑惑の追及キャンペーンが渦巻いた。

 今でもはっきりと憶えている。6月18日はからっと暑い火曜日の午後だった。

 筆者はフィレンツェの片隅にある馴染みのレストランにいた。安貞桓の頭を離れたボールがイタリアゴールに吸い込まれた瞬間、その場にいた全員が口をつぐみ、店から音が消えた。TV中継を見ながら怒鳴り散らしていた客たちも陽気なウェイターも押し黙り、セミの鳴き声と表通りを走る車の音だけが聞こえた。強い夏の日差しに似つかわしくない、重い沈黙が喪失感をより深くした。

 それから10年と少し経った頃、決勝ゴールを取り消されたトンマージにインタビューしたことがある。

 韓国戦について触れると「ああ、あの試合か……」と顔を歪ませた彼は苦笑いし、「その話だけは勘弁してほしい。トラウマだ」と懇願された。

決勝点を“取り消された”トンマージにとってはいまだ「トラウマ」だという ©REUTERS/AFLO

 カルチョの国にとっての“日韓W杯の韓国戦”とは、絶望と無念の入り混じった憤怒であり、いつか遂げねばならない雪辱なのだといえる。モレノも敵役だ。

今はなんとサッカー番組の司会をしている

 日韓大会の翌年、モレノは母国エクアドルでも疑惑のジャッジを続けたためFIFAから資格停止処分を受け、33歳の若さで審判業から足を洗った。

 紆余曲折を経た現在、極太の眉はそのまま、撫でつけていた七三の頭に明るいものが交じる彼は、『バイロンの笛』というサッカー番組の司会を務めている。

 リモート・インタビューに応える2022年のモレノには、かつて国際審判の肩書を背負った壮年の男性相応の落ち着きがあり、茶化したところや威圧的な態度はまったく見られない。

「南米最高の大会、リベルタドーレス杯の決勝戦で主審を務めたのはわずか27歳のときでした。キャリア最高の栄誉です」と本人が言う通り、南米トップレフェリーの1人だった。彼自身はおそらく聡明な人物だろう。

 だから、不可解なのだ。

モレノ主審に抗議するマルディーニ ©Getty Images

北イタリアのお祭りに呼ばれ、生卵とワインを…

 韓国対イタリア戦から7カ月後、モレノはイタリア国営放送のバラエティ番組に招かれた。番組内で道化役を演じさせられ、さんざんな目に遭った。

 翌月には北イタリアのお祭りパレードに呼ばれ、晒し者となったモレノは罵声を浴び、コインを投げつけられた。

 モレノは、当時のイタリアにあった彼への憎悪を知らなかったはずがない。

 なのに、彼はその後もイタリアへ足を運び、わざわざ己を衆目に晒し、蔑まれ続けた。無表情のまま、仇扱いされることを受け入れた。本当にギャラに目が眩んだだけだったのか。

 日韓W杯から1年後の夏、モレノはイタリアの田舎町で、生卵と赤ワインのシャワーを浴びた。

 第2回ではヘロイン所持で逮捕されて刑務所に入った件や、韓国戦についてモレノ自身の言及したことについて触れる――。

〈第2回に続く〉

文=弓削高志

photograph by Sandra Behne/Getty Images