元日本代表・三都主アレサンドロは今、どのような道のりを歩んでいるのか。ブラジル在住のライターが両親、妻、本人に直撃取材。運営に携わる地元クラブが急成長した理由や日本・ブラジルそれぞれでの生活などについて聞いた(全3回の3回目/#1、#2からつづく)

 ご両親、妻・直美さん、三都主サッカーアカデミーやアルコの関係者から話を聞いて、三都主アレサンドロの人となりがかなりの程度、わかってきた。その一方で、いくつかの疑問も湧いてきた。

 マリンガ滞在の最終日、三都主に話を聞いた。

インタビューに応じてくれた三都主

ジーコがJリーグでプレーしていたから

――まず、1993年に明徳義塾高から勧誘されたときのことについて。母マリアさんは、「最初は日本行きに反対だったが、学校関係者の『日本で高校へ行けるし、仮にプロになれなくても大学へ進学できる可能性がある』と言われて気持ちが変わった」と話していました。自分ではどう考えていたのですか?

「高校を出たら日本でプロになり、Jリーグでプレーすることしか考えていなかった」

――しかし当時、日本はJリーグが創設されたばかりで、ワールドカップ(W杯)には一度も出場していなかった。一方、ブラジルはW杯全大会に出場し、すでに3度、優勝していた(注:その後、1994年と2002年にも優勝)。ブラジルと比べて、レベルの差は歴然としていました。また、グレミオ・マリンガでは将来を嘱望され、プロ契約を結ぶ寸前だったとも聞いています。そのような状況で、なぜ日本へ行こうと思ったのですか?

「一つの理由は、子供の頃から憧れていたジーコがJリーグ(所属先は鹿島アントラーズ)でプレーしてたから。当時、ブラジルでも毎週日曜日にJリーグの試合のテレビ中継があり、欠かさず見ていた。スタンドはいつも超満員。とても華やかで、『自分もあんなところでプレーしたい』と思っていた。

 別の理由は、当時僕が所属していたグレミオ・マリンガの状況にあった。プロ選手でも給料が出ないことがあり、優秀な選手であってもクラブが法外な移籍金をふっかけるので他クラブへ移ることもできず、飼い殺しにされる選手を何人も見ていた。そのままグレミオ・マリンガにいてプロになるよりも、日本の高校を出て日本でプロになった方がいいと思った。

三都主の運営クラブには所属したクラブのユニフォームが飾られていた

――もし明徳義塾の関係者が大学の話をしなかったら、マリアさんは反対のままだったかもしれません。その場合はどうしたと思いますか?

「日本へ行っていなかったと思う。親の反対を押し切って日本へ行くのは無理だし、そもそもブラジルでは、未成年者は両親の同意がなければ外国へ渡航できないからね」

僕たちの代が3年時、上下関係はなくしたんだ

――なるほど。明徳義塾の関係者がマリアさんを説得したことで、現在の三都主があるのかもしれません。ただ明徳義塾では、言葉、気候、食事の違いもさることながら、文化やメンタリティーの違いにも悩まされたのではないでしょうか?

「そうだね。最大の問題は日本語。必死に勉強したよ。また、当時の明徳はスパルタ式で、ブラジルでは考えられないような厳格な指導もあった。サッカー部の上下関係も厳しかった。僕たちの代が3年になったとき、そういう上下関係はなくしたんだ」

――当時、明徳義塾のサッカー部はブラジル人監督を招聘し、あなたたちブラジル人留学生4人を入れて強化を図った。しかし、在校中の3年間、一度も全国大会に出場できませんでした。

「僕たちブラジル人留学生は、全員、『何が何でもプロになる』という意気込みだった。でも、チームメイトの多くはそうじゃなかった。僕は『それなら自分が2人分、3人分頑張ればいい』と思ってプレーしたんだけど、フットボールはチームスポーツ。なかなか勝てなかった」

――それでも、プロになれると思っていましたか?

「プロになるのを諦めたことは一度もない。なれるかどうか、ではなくて絶対になるんだ、といつも思っていた」

――その思いが実り、練習生を経て清水エスパルスに入団しました。ほどなくレギュラーとなり、1999年に史上最年少でJリーグMVPに輝きます」

「それまで自分がやってきたことが間違いじゃなかった、と思った。本当に嬉しかった」

清水時代の三都主

突然、実家を訪れて両親に挨拶した理由とは

――この年、現在の妻・直美さんと出会い、交際を始めます。直美さんから聞いたのですが、ある日突然、彼女に何も知らせずに実家を訪れて両親に会い、「お嬢さんと真剣に交際しています」と伝えたそうですね。どうしてそんなことを?

「プロのスポーツ選手である自分が、彼女のご両親からどう思われているか、少し心配だった。そこで、直接お会いして自分のことを知ってもらい、2人が交際していることについての承諾を得たいと思ったからなんだ」

――でも、通常は交際相手にご両親と引き合わせてもらう、という形を取ると思います。なぜ自分一人で会ったのですか?

「これは僕と直美のご両親の問題だ、と思ったからだよ」

――もしご両親から直美さんとの交際を反対されたら、どうするつもりだったのですか?

「その場合は、交際をやめるつもりだった。ご両親が交際に反対だったら、将来、結婚もできないからね」

僕は、純粋に日本が大好きで

――これは、非常に勇気がいることだと思います。もしご両親から反対されたら、と考えてしまいますから。また、ブラジルは個人主義の国ですから、交際中の男女が互いの両親に交際相手を紹介するという習慣はありません。せいぜい、当人同士が結婚を決めてからだろうと思います。

「そうだね。でも、日本では少し違うと思ったんだ。日本にいて、ご両親は日本人なのだから、日本のやり方を最大限に尊重しようと思った」

――そして、日本国籍を取得したことについて。フットボールの世界では、ある国の選手が別の国の国籍を取り、その国の代表に招集されてW杯に出場することはしばしばあります。当時、『W杯に出たいがために日本国籍を取ろうとしている』と書いたメディアもありました。そのことについて、どう思いましたか?

「僕は、純粋に日本が大好きで、『日本人になりたい』と思って国籍を申請したんだ。『他の人が何を言おうと、自分には関係ない』と思っていた」

監督になることを諦めたわけじゃないけど

――1997年から2014年まで、ザルツブルク(オーストリア)に在籍した2007年を除く17年間、Jリーグの5クラブでプレーしました。加えて、2015年にブラジルへ戻ってきてさらに2年間プレーを続けました。

「両親は、僕がプロになってからほぼ毎年、日本へやって来て僕のクラブや代表でのプレーを見ていた。でもブラジルで、できれば地元のクラブでプレーするところを見てほしいと思ったんだ」

――そして、2016年に現役を引退し、この年の末、マリンガに三都主サッカーアカデミーを設立します。その理由は?

「いずれは監督になりたいと思い、日本でB級までのライセンスを取得した。監督になることを諦めたわけじゃないけど、『世界で通用する選手を育てたい』という別の夢があり、それを実現したいと思ったからだ」

――その後、愛知県の会社が母体となってプロクラブ・アルコが設立され、そのCEOを務めています。

「アカデミーはU-17まで。その先の受け皿としてプロクラブを作りたいと思い、日本のアルコの社長にそのことを説明してクラブの母体となってもらった」

――アカデミーにおける育成の成果は?

「現在、U-6からU-17まで300人を超える選手がいる。これまでにフラメンゴ、インテルナシオナル、アトレチコ・パラナエンセといった国内トップクラブなどのアカデミーに16人送り出しており、中にはすでにトップチームに上がって活躍している者もいる(注:20歳の長身CFロムロは、今年初め、アトレチコ・パラナネンセのトップチームに昇格。6月末までに21試合に出場して7得点3アシストを記録し、市場価格は200万ユーロ=約2億8000万円=とされている)。

 アルコのトップチームにも、うちのアカデミー出身の選手が4人いる。アルコは彼らの保有権の一部を保持し、将来、彼らが他クラブへ移籍したらその一部を受け取れることになっている。」

――常時、日本人選手もいるようですね。

「昨年、U-16のチームの得点王となったCF杉浦響君が、今年はU-17でプレーする。また、野末虎之介君(15)もU-15に加わった。2人とも順調に成長しつつあり、今後が楽しみだ」

右が16歳の杉浦響君、左が15歳野末虎之介君。三都主サッカーアカデミーの17でプレーしている

――アルコは、昨年、州3部から始めて最短の2季で州1部まで駆け上がりました。今後の運営方針は?

「ここまでは100点満点だけど、問題はここから。まず、来年、州1部で上位に食い込み、ブラジルリーグ4部に参入する権利を獲得したい。コパ・ド・ブラジルにも出場したい。

 クラブを強化するには、莫大なお金がかかる。僕たちは地に足を着けて、一歩一歩、着実に前進していきたい」

左がASB社長のパウロ・シゲマサ・シャビエル。背景は、2006年ワールドカップGSクロアチア戦前の集合写真

私もアレックスも、無給で仕事をしているんですよ

 州リーグの2部以下の試合はテレビで中継されないので、テレビ放映料は入らない。入場料収入も少ない。あるのはスポンサー収入だけで、当面は持ち出しになっていることが容易に想像できる。

 アルコのパウロ・シゲマサ・シャビエル会長は、「私もアレックスも、無給で仕事をしているんですよ」と漏らしていた。

「それでは、あなたたたちはどうやって家族を養っているのですか」と思わず尋ねたところ、 「私は、アルコのユニフォームに社名が入っている『テンカ』というスポーツウェアの会社を経営しており、そこからの収入がある。アレックスはマリンガ市内などに家屋や土地を所有していて、その不動産収入がある」。

 さらに、「将来的には、選手が移籍したらその移籍料の一部が入る見込みだけど、それはもう少し先の話」と付け加えた。

三都主のクラブ「アルコ」のエンブレムは忠犬を模している

 そのような厳しい状況でも、フットボールの発展のため、そして自らの夢を実現するため、三都主アレサンドロは日夜、奮闘している。

 以前、「自分では、日本人とブラジル人の割合をどう考えているか」と尋ねたことがある。彼は、「僕はブラジル系日本人だ」と明言した。

 今回、彼を取り巻く人々から色々な話を聞き、最後に本人とじっくり話をして、彼は日本人とブラジル人の最良の部分を集めたハイブリッドな男なのではないかと感じた。

<#1、#2からつづく>

文=沢田啓明

photograph by Hiroaki Sawada