90年前の1932年7月9日、「カヴァリーノ・ランパンテ」と呼ばれる跳ね馬のエンブレムがスクーデリア・フェラーリのマシンに初めて装着された。

 フェラーリがこの跳ね馬のエンブレムを使用することになったのは、いまから100年以上前の第一次世界大戦が関係している。

 イタリア軍のパイロットであるフランチェスコ・バラッカ少佐が、撃墜したドイツの戦闘機についていた跳ね馬の紋章を戦利品として自身の戦闘機につけていた。その後、バラッカは戦死。するとバラッカの母親が、23年にイタリアのラヴェンナで行われたレースで優勝したエンツォ・フェラーリの勇姿に戦死した息子を重ね合わせ、愛機に残されていた跳ね馬のエンブレムをフェラーリのレースカーにつけてほしいと申し出る。エンツォは快諾し、29年に創設した「スクーデリア・フェラーリ」のロゴに採用した。

 その3年後の32年7月3日にポンテデーラ・サーキットで開催されたオートバイのレースで、フェラーリは跳ね馬をバイクに装着。その6日後の7月9日、ベルギーのスパ・フランコルシャンで開催された24時間レースで、フェラーリは初めてレーシングカーに跳ね馬のエンブレムをつけた。

 ロゴの上部にはイタリアの国旗のトリコロールカラーを配し、跳ね馬の背景の黄色はチームの本拠地であるモデナ県の県章のカナリアイエローをオマージュ。跳ね馬の下部の「SF」は「スクーデリア・フェラーリ」のイニシャルである。スクーデリアとは、イタリア語で「馬小屋・厩舎」を意味し、レースでは「チーム」を指す言葉だ。

跳ね馬を決定づけたワンツーフィニッシュ

 このロゴが印されたアルファロメオ8C 2300 MMを駆ったアントニオ・ブリビオ&エウジェニオ・シエナ、ピエロ・タルフィ&グイド・ディポリトの2組のペアが、スパ24時間レースでワンツー・フィニッシュ(当時のフェラーリはアルファロメオ傘下)。跳ね馬とともに最高の結果を収めたエンツォは以後すべてのレースでこのロゴを付けるようになる。47年に設立された高級スポーツカーメーカーとしてのフェラーリでも、若干のデザイン変更を行なったものの、基本的に同じ跳ね馬の紋章を採用し続けている。

 記念すべきスパ24時間レースからちょうど90年。F1オーストリアGP2日目となる7月9日に、フェラーリは2台のマシンのコクピット両サイドに貼っている跳ね馬のロゴを、前日まで使用していた現在のデザインから90年前のオリジナルデザインに変更した。同時期にイタリアのモンツァで開催されていた世界耐久選手権でも、出場する488GTEに同様のオリジナルエンブレムを採用した。

 フェラーリにとって今年は、もうひとつ重要な節目の年でもあった。1982年にゾルダーで行なわれたベルギーGPの予選中にジル・ビルヌーブが命を落としてから40年目にあたるからだ。5月にフェラーリのホームコースであるフィオラノで催された没後40年を記念したイベントで、フェラーリは当時ビルヌーブが走らせていたフェラーリの名車「312T」を走行させた。もちろん、そのマシンにも跳ね馬のロゴが躍っていた。

 現在、F1のスクーデリア・フェラーリのチーム代表を務めるマッティア・ビノットは言う。

「フェラーリの一員になることは、跳ね馬の神話を受け継ぐこと。ジルはそれができた数少ないドライバーだった。たった6勝しかしていないが、全身全霊を傾けて走る姿勢に多くのティフォシ(フェラーリの熱狂的なファン)とわれわれチーム全員が胸を熱くした」

真紅の伝統を受け継ぐ者

 没後40周年のイベントで、ビルヌーブのファイティングスピリットが宿る312Tのステアリングを握ったのが、フェラーリで次世代を担うスターとして活躍するシャルル・ルクレールだった。

「このマシンを走らせるためのドライバーに選ばれたことに感動している」

 ルクレールはそう語った。

フェラーリ4年目のルクレール。レーシングドライバーの父を持つ24歳だ

 没後40年目に312Tを走らせ、跳ね馬のデビューレースから90年後にオリジナルの跳ね馬とともにF1のレースに出場したドライバーは、世界でひとりしかいない。そして、ルクレールはそのメモリアルレースとなったF1オーストリアGPの決勝レースで、王者マックス・フェルスタッペン(レッドブル)をコース上で3回オーバーテイクするという見事な走りで今シーズン3勝目を挙げた。

 今年は、エンツォ・フェラーリがマラネッロに小さなファクトリーを創業した1947年から75年の節目。戦後間もない厳しい時期に大衆向け自動車ではなく、時流に抗ってレーシングカー製造の夢を追い、すべてを注ぎ込んだエンツォ。バラッカの死後、エンツォが受け継いだ跳ね馬は、そのデビューレースから90年後、レッドブルリンクで蘇った。

文=尾張正博

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