横浜F・マリノスのセンターバック、角田涼太朗を眺めていると、どこか松田直樹がかぶる。

 松田は右利き、日本人離れした身体能力を誇り、プレーそのものが熱すぎる。一方の角田は左利き、日本人離れまでの身体能力とまではいかない分、読みと駆け引きで勝負する。プレーそのものも冷静である。

 どこがかぶってんねん!とツッコまれそうだが、共通点もあるんです。

 松田は左足のキックがうまかった。身体能力もさることながら、実は読みと駆け引きの人でもあった。対人の強さは逆に角田から感じるところもある。それに前橋育英出身、サイズ感(身長、体重はほぼ同じ)、マツダとツノダという名字の響き、そして松田が「3」なら、角田は「33」……。微妙に何かが重なっている。

横浜F・マリノス時代の松田直樹 ©︎BUNGEISHUJU

「3」と「33」の邂逅はニアミスに

 縁を感じないではいられない。

 2009年正月、松田は地元・群馬のサッカーイベントに出席した後の食事会で前橋育英時代の恩師である山田耕介監督に対して「先生、高校選手権勝たなきゃダメだよ」とハッパを掛けていた。その言葉を胸に、指揮官は2017年度大会でチームを悲願の初優勝に導いている。そのときの中心メンバーの一人が角田である。

 練習中に倒れた松田が帰らぬ人となってはや11年が経つ。命日の8月4日を前に、古巣のF・マリノスでは7月30日のホーム、鹿島アントラーズ戦を前にOBマッチが開催され、松田の名前も場内アナウンスされて在りし日の雄姿がビジョンに映し出された。天国からピッチに立っていた。

 角田はOBマッチ後のアントラーズ戦にベンチ入りしたものの、出番が訪れなかった。同じ日のピッチにおける「3」と「33」の邂逅は“ニアミス”に終わった。まだレギュラーを張るまでには至っていない。だが彼の存在は、クラブの新たな希望でもある。

 角田涼太朗、23歳。

2021年に横浜F・マリノスに加入した角田涼太朗  ©︎J.LEAGUE

 筑波大4年生だった昨年夏に退部して、内定先のF・マリノスに半年繰り上げて加入した。世代別の代表にも選ばれてきた即戦力候補ではあったが、分厚い選手層の壁を破れずに昨シーズンはわずか1試合に出場にとどまっている。

 彼はこう振り返る。

「あれだけ試合に絡めない日々が続くことはそれまで多くなかったので、メンタル的にも自分を保ちながらやり続けることが難しい時期もありました。ただ、やり続けなければ何も始まらないし、そこで終わり。気持ちを切らすことなくやれたというのは自分のなかでも経験としては大きなものでした」

 フォワードに負けないスピードを誇るチアゴ・マルチンスを間近にしたとき、「これは凄い」と圧倒された。畠中槙之輔、岩田智輝、實藤友紀らとの競争は刺激でもある一方で、打ちのめされそうになったこともある。

「あきらめて終わりにしたくはない。周りはトップクラスの人たちばかりですけど、このレベルでやれないとも思っていなかった。いろんな選手がいるなかで自分のスペシャリティな部分で勝てるようにしなきゃいけないと考えました」

卒論はセンターバックがテーマ

 スペシャリティな部分とは、読み、駆け引き、ポジショニングを指す。相手よりも一歩先に反応することで優位に立てる。そのためには日ごろのトレーニングと、スタンドから眺める試合こそが何よりの教材であった。自分がピッチに立ってプレーしている感覚で「自分ならどうするか」を常に考えるようにした。

 卒論はセンターバックをテーマにしている。シーズン後のオフはその時間にガッツリ充てて、完成させている。サッカーについて、センターバックについて、自分のプレーについて向き合い続けた。

 その成果は今シーズンにあらわれる。

 チアゴがニューヨーク・シティに移籍し、角田と同じ左利きのエドゥアルドが加入したなか、3月6日のホーム、清水エスパルス戦で初先発のチャンスを得る。

3月6日の清水エスパルス戦で初先発した角田涼太朗©︎Y.F.M

 クレバーなディフェンスを披露する彼がいた。ハイラインの裏を狙ってくるパスをことごとく処理してピンチの芽を摘んでいく。初先発に「前日もそわそわして緊張していた」と告白するが、熟練のセンターバックのごとく落ち着き払っていた。クリーンシートを達成しての勝利に角田の活躍は外せなかった。

「初めてのスタメンでしたから、結果にこだわりたかった。危ないシーンがなかったわけではないですけど、ディフェンダーとして無失点で終われたのは自信になりましたし、ブレることなくやってきて良かったなとは思いました」

 その後先発機会を増やしていくなかで角田の評価をさらに上げたのが、ベトナムで集中開催となったACLのグループステージである。第3戦のシドニーFC戦は後半途中から不慣れな左サイドバックで起用され、CKのこぼれ球を押し込んで決勝点を挙げている。

あれはうまくいきすぎましたね(笑)

 このゴールの前には、流れるような攻撃の連係に加わっている。中に入ってボールを受けて反転してドリブルで前に向かい、水沼宏太の折り返しを左足で合わせながらも外してしまった。

「体が勝手に動いた感じで、あれはうまくいきすぎましたね(笑)。とはいえシュートが入らなかったので納得はできませんが。このチームのサイドバックはどんどん中に入っていくなど特殊。それでも(センターバックからは)隣のポジションなので、動き方を見てパスを出しているので少しは理解しているつもり。周りに助けられたことが一番ですけど、そういったところも活かせてはいました。

 日ごろから周りが次のプレーをしやすいようにどっちの足につけるか、パス、パススピードはもちろんのこと、逆に自分がどこにいれば周りからすればいいのか、ポジション取りも意識しています」

 ぶっつけ本番であっても難なくこなせたのは、周りの動きがしっかり頭にインプットされてあるから。特長である確かな読みは、ビルドアップ能力や左足から繰り出されるパスにおいても強みになっている。守の成功体験のみならず、攻の成功体験が角田の成長を呼び込んでいることは間違いない。

 2年目の今シーズン、背番号を「36」から「33」に変更した。同じ30番台にスライドする例はなかなかないものの、それもこれも「3」に対する思い入れを示している。

「中学時代は何も残せないまま終わってしまって、高校2年から3番をつけるようになってサッカー人生が少しずつ変わっていきました。大学でもつけていたし、僕にとっては特別、大切にしている番号です」

 3はF・マリノスにおいて松田の永久欠番。日本代表でも背負ってきた。角田は松田のプレーを実際にナマで見たことはない。ただ高校ではよく山田監督から思い出話を耳にし、試合では「Forever 3」の段幕が張られたことでどこか身近には感じていた。F・マリノスに入ると、偉大なプレーヤーだったことは言われなくとも伝わってくる。

「熱い人というイメージがありますし、こうやって毎年のように(追悼の)イベントがあって名前が残り続けているのは偉大。ファン、サポーターの方々からも愛されていて、凄い人なんだなっていつも感じます」

 2人に重なるところが少しでもあるからといって、無責任に角田を「松田直樹の後継者」とは記したくはない。プレーヤーとしては別タイプだし、余計な重圧を与えてしまうのは本意ではない。

 8月4日の命日は、松田がこの世にいない現実を突きつけられる日でもある。

 生きていれば45歳。現役を退いて今ごろは指導者のキャリアを積んでいたとは思う。どうせ熱く、教えているんだろうなとも思う。いずれにせよ命日はどうしてもセンチメンタルになるのだが、トリコロールのユニフォームに背番号に3を重ねる角田がいる事実は、どこかその気持ちをやわらげてくれる。ピッチでの輝きに、喜びを感じさせてくれる。

横浜F・マリノス時代の松田直樹 ©︎BUNGEISHUJU

「偉大な選手ですし、リスペクトもしていますから」

 外野の目線は気にしなくていい。彼が自分で松田直樹を重ねる必要もない。

「偉大な選手ですし、リスペクトもしていますから、同じ高校の出身とはいえ、重ねられてしまうとやっぱりおこがましい気持ちになります。選手としてタイプも違うなと感じるので。ただ自分も多くの方に愛される選手に、クラブにしっかり自分の名を残せるような選手になっていきたいという思いは持っています。

 自分のなかでは本当にまだまだ。試合をやるごとにここに(パスを)出せたんじゃないか、ここが通っていればチャンスになったんじゃないかって、もっとやんなきゃっていう気持ちにさせられています。もっと味方を助けられるような選手になっていかなきゃなりませんから」

 愛されるだけの資質もある。大きなスケール感もある。角田涼太朗は己が信じる道を往けばいい。

文=二宮寿朗

photograph by Y.F.M/BUNGEISHUNJU