武藤敬司を筆頭に、唯一無二のレパートリーで不動の地位を築いたものまね芸人の神奈月(56歳)。プライベートでも親交のあるプロレスラー武藤の引退発表を、神奈月はいかに受け止めたのか。“武藤ものまね”誕生の知られざるウラ話――。《全3回の特別インタビュー前編/#2、#3につづく》

――神奈月さんと言えば武藤敬司さんのものまねのイメージが強いですけど、じつは武藤さんと同じ闘魂三銃士のひとり、橋本真也さんと同郷で同い年なんですよね。

神奈月 そうなんです。同い年で同じ岐阜県土岐市の出身なんで。学校は違ったんですけど、僕の高校の同級生で橋本さんと中学の時に同級生だった奴とかいっぱい知ってますよ。また、僕も高校時代は橋本さんと同じ柔道部だったので、他校にすげえデカくて強い奴がいるっていうのは噂になってましたね。

――同じ市内ですごい奴がいるぞ、と。

神奈月 その強い奴が新日本プロレスに入るって話を僕は高校卒業してから聞いたんですけど。僕はプロレスファンなので、「新日本に入るなんてすごいな」という思いと同時に、「こんな田舎の奴が行っても出世できるのかな?」っていう思いもあったんです。そうしたら闘魂三銃士のなかで最初にIWGPヘビー級チャンピオンになりましたからね。

橋本真也から「俺のものまねもやってよ〜」

――橋本さんは若手の頃から目立ってましたしね。

神奈月 僕が橋本選手の試合を初めて観たのは、デビュー2年くらいの第3回ヤングライオン杯(1987年)ですね。蝶野(正洋)さんと橋本さんの決勝戦をテレビでやってて、「あっ、これが土岐出身の橋本選手か。やっぱ、強そうだな」と思ったのを憶えてます。「闘う渡辺徹」とか呼ばれてて(笑)。

――当時、渡辺徹さんにそっくりだったんですよね(笑)。では、プロレスラーで最初に親交があったのも橋本さんですか?

神奈月 そうなりますね。最初はテレ朝のイベントで新日本の若手選手たちと一緒になったとき、僕が長州さんや馳浩さんのものまねをやってることをみなさん知っててくださって。その時、愛知県出身の田山(正雄)レフェリーと「僕、橋本選手と同じ土岐市の出身なんですよ」という話をしたら、「今度よかったら道場に遊びに来てください」って言っていただいて。それで行かせてもらったのが最初ですね。

――田山レフェリーも橋本さんと公私共に仲がいい方ですもんね。

神奈月 それで初めて新日本の道場に行ったら、橋本選手も僕が同級生だっていうのを聞いてたみたいで、初めて会った瞬間に「なんで馳なの? 俺のものまねもやってよ〜」って言われて、「いや、ちょっと体型が違うんで……」って(笑)。そこから仲良くしてもらうようになりましたね。

武藤ものまね誕生のきっかけになった“ある一言”

――プライベートでの交流もあったんですよね?

神奈月 橋本選手は家にいろんな人を呼んでワイワイやるのが好きみたいで、若手レスラーだけじゃなく、タレントさんやお笑いの人もよく呼んでいて、そこに僕も呼んでもらってたんです。橋本選手が料理をたくさん用意してみんなに食わせて、兄貴肌の人なんだなと思いましたね。若い頃の藤田和之選手や安田忠夫選手、吉江豊選手なんかも来てましたから。

――神奈月さんの武藤さんものまねを最初に「あれは面白い!」って言ったのも橋本さんだったとか?

神奈月 そうなんですよ。もともと武藤さんのものまねをやるきっかけは、野上彰(AKIRA)選手のひと言なんですけど。

――あっ、そうだったんですか。

神奈月 僕は前から長州さん、馳さんのモノマネはやってましたけど、次にどのレスラーのモノマネをやろうかっていうのは、すごく迷ってたんですよ。それで僕が無精ひげを生やしていた時、野上選手に「あれ? なんか武藤さんに雰囲気がちょっと似てますね。やったほうがいいじゃないですか」って言われてたんです。でも、当時はまだスキンヘッドにしてないオレンジパンツ時代で。

――まだ髪の毛がふさふさしていた時代ですね(笑)。

神奈月 舞台でムーンサルトはできないし、当時の武藤さんはカッコ良さのかたまりだから。黄色いパンツを穿いた馳さんと同じようなわけにいかないじゃないですか。

“スキンヘッドになった武藤”を見てひらめいた

――馳さんの場合、オカッパのカツラに付けヒゲ、甲高い声っていう要素が揃ってますけどね(笑)。

神奈月 でも、当時の武藤さんは超ベビーフェースだから、笑いにつなげられる要素が見当たらなかった。なので野上選手に言われたときは、「ああ、そうですか」って軽く流しちゃったんですけど(笑)。その数年後、大晦日の『猪木祭り』で武藤さんと高田さんがタッグを組んだことがあったじゃないですか。

――2000年大晦日に大阪ドームでやった『猪木祭り』ですね。

神奈月 その時、武藤さんがフードを被って入場してきて、「なんでフードをかぶってるんだろう?」と思ったら、フードをバッと取った瞬間、スキンヘッドになってたんですよ。あの姿を見た時、「これはパーティーグッズ屋でスキンヘッドのカツラを買って、黒いタイツを穿けばモノマネできるんじゃないの?」と思って、ライブでやり始めたんです。

スキンヘッドになった武藤(2002年撮影) ©AFLO

――スキンヘッド姿の武藤さんを見てひらめいたんですね(笑)。

神奈月 それで最初は舞台だけでやってたんですけど、番組でもやらせてもらえるようになったら、たまたま橋本選手がその番組を見ていて。深夜番組で僕の出番は2時すぎだったのに、出番が終わったらすぐ橋本選手から僕のケータイに電話がかかってたんです。「いま観てたよ!」って。

橋本真也からの電話「絶対に似てるからやり続けたほうがいいよ」

――視聴者・橋本真也さんからの直電が(笑)。

神奈月 その時、橋本選手が「いやー、武藤ちゃんのモノマネはめちゃくちゃ面白いよ。絶対に似てるからやり続けたほうがいいよ」って言ってくれて。闘魂三銃士としてずっと武藤さんの間近にいる人がそう言ってくれてるわけだから、これは間違いないんじゃないかって。それが自分の中でも自信になりましたね。

――破壊王のお墨付きとなったわけですもんね。

1993年の闘魂三銃士。左から蝶野正洋、橋本真也、武藤敬司 ©AFLO

神奈月 その後、ZERO-ONEが土岐市で大会をやったときに「来れる?」って連絡が来て、「武藤ちゃんのものまね道具用意して、リングに上がってよ」って言われたんですよ。僕はゲストとしてリング上でモノマネをやればいいのかなって思ってたんですけど、橋本選手はイタズラ好きだから“仕掛け”を考えてたんですよ。

――どんな仕掛けですか?

神奈月 ちょうど橋本選手のZERO-ONEと武藤さんが社長をやってた全日本が対抗戦をやるんじゃないかって言われていた時だったんですね。で、前半戦が終わって、土岐市の市長の挨拶が終わったあと、リングアナの方が「今日はスペシャルゲストとして、この方が来られております。武藤敬司、入場!」ってコールしたら、観客は「うぉー!」ってなるじゃないですか。そこに『HOLD OUT』のテーマ曲とともに僕が登場して、驚きから笑いに変わるっていう(笑)。

「橋本選手が僕と武藤さんを引き合わせてくれた」

――それはベタだけど、最高に面白いですね(笑)。橋本さんがゲストでテレビ番組に出てくれたこともありましたよね?

神奈月 それは僕とイジリー岡田さんで武藤&三沢光晴組をやって、その対戦相手が橋本選手と小川直也選手で、そっちは本物っていうのがあったんですよ(笑)。

――そんな夢のカードが実現していましたか(笑)。

神奈月 だから、今でこそ武藤さんと一緒に仕事させてもらう機会が多いですけど、もともとは武藤さんはあくまでものまねする対象で、橋本選手のほうが仕事やプライベートも含めて、いろいろとやってくださっていたんですよね。そして橋本選手が亡くなられたあと、武藤さんがものまね番組に出てくれて、そこから武藤さんとも親しくさせてもらうようになって。変な言い方ですけど、橋本選手が僕と武藤さんを引き合わせてくれたんじゃないかなって、いまになると思っていますね。《つづく》

(撮影=三宅史郎)

文=堀江ガンツ

photograph by Shiro Miyake