1965年から2003年まで帝京高校サッカー部を率い、全国高校サッカー選手権で戦後最多タイとなる6度の優勝を経験した古沼貞雄さん。今年4月で83歳となった名将は今でもハンドルを握り、高校へと指導に向かう。一体何が古沼さんをそこまで突き動かすのか、話を聞いた(全3回の1回目/#2、#3へ)。

 今年4月で83歳を迎えた古沼貞雄さんだが、どれだけ齢を重ねても高校サッカーに注ぐ情熱は変わっていない。集合場所の東京都江戸川区の一之江駅で取材班を乗せると、自らハンドルを握り、白いプリウスがスムーズに発進していく。挨拶もそこそこに今夏のインターハイの話が止まらず、行きつけのベーカリーレストランに到着するまでの5分はあっという間に過ぎた。1965年から2003年まで帝京高校を率い、全国高校サッカー選手権で戦後最多タイとなる6度の優勝を経験した名将は、いまも“現役”なのだ。週末になると、アドバイザーを務める栃木の矢板中央高校まで車を一人で運転し、片道180kmの距離を高速道路で2時間15分ほどかけて駆けつけるという。

「高校生と会うのが楽しみ」アドバイザーとして現役を貫く

「最近は日帰りで試合にしか行けないんですけどね。2年ほど前に女房の具合が悪くなり、泊まり込みで行けなくなって……。練習は指導できていないのですが、試合前後のミーティングで話したりはします」

 自身の体も無理が利かなくなりつつあることは自覚している。朝起きると、節々に痛みを覚えることもある。それでも、気がつけば、体を突き動かされている。

「どうしようもなく、サッカーが好きなんですよ。いつまで経っても、高校生と会うのが楽しみで」

©Yuki Suenaga

毎月の高速代は7万円から8万円

 80歳を過ぎてもなお、アドバイザーを兼ねた特別コーチとして、全国各地を飛び回っていた。

 月初めの木曜日の昼、羽田空港から熊本空港まで移動し、帝京時代の教え子である平岡和徳が監督を務める大津高校へ。放課後の練習開始前にはグラウンドに立っていた。3泊4日で滞在し、日曜日の試合を最後まで見届けてから夜の飛行機で東京に戻ってくる。翌日休むと、すぐにまた活動。火曜日から木曜日の朝練習まで泊まり込みで栃木の矢板中央高校で指導し、そのまま東京には戻らずに新潟の帝京長岡高校へ。木曜日の夕方から練習を見て、日曜日の試合まではずっと付きっきりだ。移動はほとんど自家用車。一人でアクセルを踏み、どこへでも足を運んだ。

「毎月の高速代は7万円から8万円はかかっていましたね。1カ月の走行距離は、かなりものでしたよ」

「また僕にダイレクト・シュートを教えてくださいよ」

 70代は毎月、目の回るような忙しいサイクルで指導。車で新潟と栃木を行き来しながら、大津高校にも月2回は出向き、笛を吹いた。教え子には、現在もJリーグの一線で活躍している選手たちは数多いる。それでも、いまの高校生たちに過去に指導した選手の名前を挙げるようなことはしない。

 2021年12月5日、等々力陸上競技場で開催された高円宮杯JFA U-18プリンスリーグ2021関東の最終節。矢板中央高校のアドバイザーとして、川崎F U-18戦に同行したときのことだ。試合後、選手たちが力負けして、ロッカールームで沈み込んでいるところに、快活な男がすっと入ってきた。

「古沼先生、しばらくです。元気にしていますか。また僕にダイレクト・シュートを教えてくださいよ」

「この爺さんはいったい何者なんだ」と思ったかもしれません

 スタジアムでのJ1優勝報告会を控えた川崎フロンターレの谷口彰悟である。高校生たちは、突然の来訪者にあっけに取られていたという。

今年のW杯アジア最終予選にも出場した谷口 ©Hironobu Kaizouji/JMPA

「矢板中央の選手たちには話していなかったからね。『この爺さんはいったい何者なんだ』と思ったのかもしれません。大津高校で谷口も1年生のときから見ていました。いまも昔も“ダイレクト”の練習ばかりしているので、あんなことを冗談まじりに言ったのかな」

 古沼さんは帝京時代にバスケットボール、ハンドボールなどからヒントを得て、テンポよくダイレクトパス(ワンタッチパス)をつないで崩し、シュートまで持っていく形にこだわってきた。昭和20年代、江戸川区の中学校に通っていた頃、同級生に男子バスケットボール日本代表選手の妹がいたこともあり、70年前からバスケットボールは熱心に観戦してきた。今夏のインターハイ決勝もライブ映像でチェックしたほどだ。

「ボールゲームには共通するものがありますから」

「古沼さんが行くところは、どこも優勝」

 どの高校に赴いても、指導法の根本は変わらない。トレーニング時間の7割はシュート練習に割くやり方も同じだ。特別なことを教えているわけではないという。ただ、帝京高校を定年退職で離れたあとも引く手あまただった。

 すぐに声がかかったのは、育成の名門として知られる東京ヴェルディの下部組織。2005年にアドバイザーに就任すると、同年には日本クラブユース選手権、高円宮杯全日本ユース選手権で2冠を達成。その2年後には流通経済大柏でもアドバイザーとして高円宮杯全日本ユース選手権、全国高校選手権の2冠獲得に貢献した。

 2008年1月14日、晴れ晴れとした気持ちで高校サッカーの「聖地」国立競技場で表彰式を済ませ、車で首都高速道路を走っているときだ。両国付近で携帯電話が鳴った。全国高校選手権の決勝を前半だけ会場で観戦していた“ある監督”からだった。急ぎ羽田空港から鹿児島空港に降り立ち、指宿の合宿に向かう車中から電話をかけてきたという。

「おめでとうございます。古沼さんが行くところは、どこも優勝しますね。いったい、どんな練習をしているのですか。今度、教えてくださいよ」

社交辞令なしで続くあの監督との交友関係

 声の主は時の日本代表監督。イビチャ・オシム前監督の急病により、急きょ指揮を執ることになった岡田武史(現・今治FCオーナー)だ。コンサドーレ札幌を率いているときからの付き合いで、2人の間に社交辞令などはない。フットワークの軽い当時68歳の古沼さんは、電話で話した2日後には指宿で日本代表のトレーニングを眺めていた。

日本代表の指宿合宿 ©Tamon Matsuzono

「岡田から電話をもらったので、『じゃ、行くよ』という感じでした。余計なことかもしれませんが、代表のシュート練習を見て、『あまり感心できないな』と伝えたんですよ。それから岡田と少し話しをして、15種類くらいのメニューを紙に書いて渡したのを覚えています。参考にしたかどうかは分かりませんが……」

 あれから10年以上が経つものの、変わらずに岡田との交友関係は続いている。今年7月のE-1サッカー選手権をテレビ観戦していると、思わずうならされた。

「びっくりしましたね。岡田ほどの解説をできる人は見当たらないですよ。局面の状況を即座に説明し、持論までしっかり述べるんですから。やはり、簡潔に言葉で表現するのがうまい。1本の筋がしっかり通っているので、考えがブレることもない。サッカーはいろいろな見方はできますが、岡田はずっと勉強しているんでしょうね」

名伯楽が語る、指導者に必要な要素とは

 古沼さんは、いまの自分に言い聞かせるように言う。

「人の話を聞くこと。聞く耳を持つことは良い指導者になる上で、とても大事な要素だと思います」

 気がつけば、周囲は年下の指導者たちばかりになったものの、幅広く交流を持ち続け、常に学ぶ姿勢を持っている。帝京時代の教え子である大津高校を率いる平岡監督のミーティングは感心させられることが多く、メモを取ったりもする。35年以上、書き続けている日誌をめくると、印象深い出来事、人から聞いた言葉などが事細かに記されている。

その日の体調から観戦したスポーツ、最近はコロナウイルスの感染者数まで記された日誌。教え子の活躍やもらった連絡なども記録されている

 83歳とは思えないほどかくしゃくとしている古沼さんの指導熱が冷めることはない。

あの指導者との意外なつながり

「目が見えるうちは、たとえ自分の足で歩けなくなり、車イスになっても、現場に連れて行ってくれる人がいれば、サッカーの試合に行くでしょうね。私はグラウンドで亡くなることもいといません。女房には『バカ言ってんじゃないよ』と言われますけどね」

 いまも日本サッカー界に多くの人材を送り出している名伯楽は、生涯、現役の指導者にこだわり続けるつもりだ。

近所でいきつけのベーカリーレストラン「MARUKO」で話を聞かせてくれた古沼さん

 そんな古沼さんをもってして、サッカーにかける熱量がすさまじいと舌を巻いた指導者がいる。イビチャ・オシムだ。

「ジェフの監督時代に『面白い練習をする監督がいるよ』と聞きまして、見学に行ってから交流が始まりました。彼のほうが歳は2つ下で、お酒を飲んでいる時なんかは普通のおじさんなんだけど、サッカーのことになるとね……」

 語られたのはイビチャ・オシムとの意外なつながりだった。

(オシムとの交流秘話編へ続く)

文=杉園昌之

photograph by Yuki Suenaga